はい、どうも、皆さん。
元気でお過ごしですか。
そろそろ梅雨シーズンなので憂鬱になりがちだけど、そんな時は私を思い出して元気になってくださいね。私も鬱になってますから。
さて。
アダム・ドライバーの「ハングリー・ハーツ(感想)」とニコライ・コスターの「真夜中のゆりかご(感想)」のベビー虐待対決を終えてぐったりした後は、キッズに移行しようと思います。
今日ご紹介するのは、フレンチキッズを描いた「スクールズ・アウト」です。
【スクールズ・アウト】作品情報
原題:L'heure de la sortie
製作年:2018
監督:セバスチャン・マルニエ
出演:ロラン・ラフィット、ルアナ・バイラミ他
上映時間:1時間44分
監督は良く知らないけど、2016年「欲しがる女」のセバスチャン・マルニエ監督です。
あらすじ
名門中等学校で、先生が生徒たちの目の前で教室の窓から身投げする異様な事件が発生した。新たに教師として赴任したピエールは、6人の生徒たちが事態に奇妙なほど無関心なことに気付く。彼らの冷淡で気まぐれな振る舞いに翻弄され、やがて6人がなにか危険なことを企んでいると確信するようになり・・・・・。
スクールズ・アウト-Filmarks
感想
フランスのとある名門中等学校で教師が突然教室から身投げする。
当然、生徒たちは「キャー」と叫びながら教室から逃げていくが、6名の生徒たちだけは窓から地面に横たわる先生をじっーと見下ろしていた。
ほどなく、代理教師としてピエールが赴任してくる。
ピエールは、例の無関心6がいるエリートクラスを担任することに。
成績は優秀なクラスだったが、6名の生徒たちの言動がどうもおかしいことにピエールは気付く。
最初の頃は「将来の夢は?」というアンケートに
「Amazonの倉庫作業員」
「レジの店員」
「メイド」
と、ふざけた回答をしていたので一瞬社会や学校を小馬鹿にしているのかと思ったのだが、その後も生徒の様子を観察しているとどうもそうではなさそうだった。
森の中をサイクリング中に偶然6名の生徒たちを見かけたピエール先生は生徒たちの後をこっそり尾ける。
すると生徒たちは採石場でたむろってた。
ピエールがそっ~と覗いていると、一人の少年がおもむろに他の少年たちから腹パンチを受け始める。
しかしそれは明らかに虐めではなかった。パンチを浴びせた少年たちは「大丈夫か?」と腹パンを受けた子に寄り添っていたのだった。
そして、生徒たちは腹パンの様子を動画に収めて地中に埋めていた。
生徒たちが去ると、ピエール先生は地中に埋められた動画データを掘り起こして家に持ち帰る。
・・・カルト宗教の儀式?
・・・それとも猟奇殺人者の養成?
とドキドキしながら動画を観てみると、そこには環境汚染、屠殺、食品加工、核実験などの動画が大量に映っていた。因みに福島原発と東北を襲ったドス黒い津波も映っていたので日本人としては複雑な心境。
「何だこれは」と思いながら、ピエール先生はその後もとりつかれたようにこの6名をこっそり監視し続ける。
ある時は一人をガムテープでぐるぐる巻きにしたあとにプールに落として女生徒が溺死するギリギリのところでピエールが駆け寄って助けるということもあった。しかし、そんな致命的な危機一髪にも誰も反応を見せず無関心な態度を貫く。溺死しかかった女生徒さえも。
まもなくピエールは生徒たちが少しずつ歩み寄ってくる夢や睡眠中にゴキブリが体中を這う夢に魘されるようになる。
終始笑顔を見せず無関心な様子の6名の生徒たち、そして彼らを覗き見する先生という構図が程よくスリリングで、これから何が起きるか好奇心をそそられる。
「光る眼」のように生徒たちの目がそのうち光ってくるのかもしれない・・・と思っていたのだが、事態は意外な展開へ。
お泊りを兼ねた修学旅行で、夜中に6名の生徒がいなくなる。ピエール先生は6名に警戒していたのですぐにいなくなったことに気付いて教師たちと探し始める。ピエール先生はすぐに6名がスクールバスに乗っていったことに気付いて(勘が良い)他の男性教諭1名と追跡する。
6名の生徒が採石場に向かっていることに気付いたピエール先生(勘が良い)は、彼らが採石場の高所からスクールバスでそのまま落下して集団自殺することを察する(勘が良い)。
・・・6名の生徒が襲ってくるのかと思いきゃ、集団自殺するのか。なーんだ。と、ここまで緊張を高めてきたスリルが、カーチェイスによってB級サスペンスに成り下がってしまう。先生が見事にバスを止めて生徒たちを救ったこともメロドラマのよう。唯一負傷したのは同行した数学の男性教諭だが、首を痛めただけなので心配はない。
ちなみにこの学校は何故かブサイクで男に飢えた女性教諭と同性愛の男性教諭しかいない。
さて、無事に一件落着、公園のやけに汚い沼のようなところでピエール先生や他の生徒たちが水浴びして遊んでいると、そこに6名の生徒たちがやってくる。
「あぁ、ついに6名の生徒たちは他の生徒同様にソサイエティに入ってくれるんだー良かった良かったー」と思っていたところ、映画はミュートモードに。
人々はある方向を見ながら後退し始め、6名の生徒たちは棒立ちで同じ方向を見つめている。
ピエール先生は何事かと6名の生徒たちの方に泳いでいき、女生徒の隣に立つ。
ドッカーン。
後はわかるな。
黄色いビキニ姿の女生徒とピエール先生は自然に手を握り合う。
この手の握り一つに互いの感情が込められていた。
ピエール先生は「御免ね、信じなくて。あと光る眼とか言って。どうせ僕たち皆死ぬのにね。最初から君たちが正しかったね。」というメッセージを込めていたし、女生徒の側は無関心と脱感作を纏いながらも初めて見せた「怖い。助けてピエール先生」という目には見えないエモーショナルなメッセージでした。
まぁ、ときどき散りばめられる画から、多少このエンディングは予想できたのではないかと思う。
原発(公園のすぐ傍)やピエール先生に降り注ぐ灰のような雨もしくは雨のような灰、生徒たちが観ていた環境汚染の映像・・・
生徒たちがすべてに対して無関心だったのは世界の終わりを予期していたからだった。おそらくこの6名の成績が良いベスト・オブ・ザ・ベストの生徒たちは、膨大な環境汚染データを基に強い観察眼、分析力、感受性などから、終末が近いことを知っていた。
終末がまもなくやってくることを知っていたら、将来の夢を考えても無駄だし、喧嘩を吹っ掛けられて応戦しても無駄、何もかも無駄な行動でしかない。教師が身投げしたところで彼らにとっては死が早まっただけに過ぎない、来る死に比べれば苦痛も少ない。ピエール先生がゲイであることを隠すのも無意味だし、経血も無意味だ。
腹パンや溺死寸前のゲーム、集団自殺未遂は、死の予行演習だろう。
まさかのグレタ・ソーンバーグ的エンディングに少し面食うかもしれないが、本作は単に環境汚染による終末オチを描いてるだけではないだろう。
劇中、スクール内にサイレンが響き渡りピエール先生が「防災演習?」と尋ねるシーンがある。生徒たちは苦笑しながら「違うよ」と言うと、落ち着いた様子でドア側の壁を背に静かに座るのだった。
それは防災演習ではなく銃乱射事件を想定した演習だった。生徒たちはピエール先生が机の上に教科書などを置きっぱなしであること、携帯を飛行機モードにしなかったことを注意する。これらは銃撃犯が教室を覗いたときに誰か中にいることを知らせてしまうサインだからだ。
生徒たちは日常ルーチンとして銃乱射事件の演習をこなしていた。ピエール先生以上の世代には存在しなかった日常ルーチンである。実際には銃乱射は起きていないが、生徒たちが冷静に落ち着き払った様子で行動していること自体に、背筋が凍る思いがしなかっただろうか。
私たちが生きている世界はここまで来たのかと。
そして銃乱射(環境汚染)といった極限的状況で子どもたちに脱感作を強いてしまうような世界になったのかと。
さて。
こうした社会的なメッセージを逡巡できる映画ではあるけれども、映画としてはあまりよくできたものとは言えないですわね…
大円団のカーチェイス劇は味気ないし、キャラクターの掘り下げも殆どない。環境汚染オチなのに、中盤までのミステリースリラーから終盤のカーチェイスアクション劇というのはどうも違う気がするし。