ラッセル・クロウ主演の注目作【アオラレ】を観た感想です。
…アオラレってタイトルおかしくない?
そもそもアオラレってのは、「煽られる」という動詞を途中でぶった切っているので単語でさえないわけですよ。だから「アオラレ」というタイトルはどう考えてもおかしいんじゃないの…?とあーだこーだ考えていたんだ。そんなことどうでもいいか。
タイトルは「アオリオトコ」で良かったんじゃないかなぁと思うの。「ワナオトコ」的な。
それか「煽られて」とかね。「追いつめられて」的にちょっとセクシーにしてみたり。ラッセル・クロウは90年代~2000年代初頭は世界で最もセクシーな男として女子に崇められていたんだから、そのぐらいの配慮はしてもいんじゃないの。
ちなみに原題は「Unhinged」で、ネジが外れた状態のことを言います。ネジてか蝶番なんだけど。日本語ではまぁ「キレた」とかに相当するかなぁ。
煽り運転を示す road rage(ロードレイジ)をタイトルにしなかった理由は、多分煽り運転だけじゃなくてラッセル・クロウが完全にキレて煽り運転以上のことをしまくっているからなのでしょう。
「アオラレ」作品情報
原題:Unhinged
製作年:2021年
監督:デリック・ボルテ
出演:ラッセル・クロウ、カレン・ピストリウス
上映時間:109分
あらすじ
美容師のレイチェルは今日も朝寝坊。あわてて息子のカイルを学校へ送りながら職場へと向かうが、高速道路は大渋滞。度重なる遅刻に、クビとなる。最悪の気分のまま下道を走るが、信号待ちで止まると、前の車は青になっても発進しない。クラクションを鳴らすがまだ動かない。イラついたレイチェルが追い越すと、ドライバーの男が「運転マナーがなっていない」と言う。レイチェルに謝罪を求めるが、彼女は拒絶して車を出す。息子を学校に送り届けたものの、ガソリンスタンドの売店でさっきの男に尾けられていることに気づく。店員は「あおり運転の常習犯よ」と警告。車に戻ったレイチェルはある異変に気付いた。が、時すでに遅し。信じられない執念に駆り立てられた男の“あおり運転”が、ノンストップで始まるのだった──
アオラレ映画HP
感想
ここ数年、日本では煽り運転が大注目を浴びました。煽り運転による死亡事故や暴力事件はすぐさまSNSで拡散され、犯人が逃亡すると日本全国大走査線!お偉いさんも無視できなくなり、まもなく危険運転の法整備が施行されました。
アメリカでは日本みたいに後方にピタッと張り付くタイプの煽り運転はあまりないのね。車線が多いので前の車がチンタラ走っていたらすぐに車線を変更できるためだと思うんだけど。でもそこは車社会アメリカ。ドライバー同士のトラブルは頻発するし、最悪、銃殺されるケースもございます。おぉコワッ。
大概はクラクションを鳴らすか中指を立て合うか「ファッキュー」と挨拶し合ってその場で発散して終わるような軽微なものだけど、カッとなった運転手同士が車外で喧嘩をおっぱじめたり、車をぶつけあったりしてデイリー・メールあたりに発信されることも少なくありません。
劇中でガソリンスタンドの女性店員が解説してくれたようにこうした心理行動を表す「road rage(ロードレイジ)」という英単語もあることから、アメリカでの運転トラブルの多さが伺えますわね。
どうでもいいけど本編の字幕忘れちゃったけど、予告で店員が「煽り運転の常習者よ」と言ってたけど、ちょっと意味違くない?店員は He's road-raging.て言っているだけなのに、なんで常習者になるの?常習者とは言ってないし、そもそもこの店員がラッセルが煽り運転常習者であるかないかなんて知らないのだから、「煽り運転の常習者よ」という字幕に「あれっ?」と思った人も少なくないでしょう。どう?
さて、煽り運転即ちロードレイジだが、ロードレイジ関連の映画は多い。スピルバーグの処女作にして衝撃の傑作「激突」はあまりにも有名で、のちにカート・ラッセル主演「ブレーキ・ダウン」、ポール・ウォーカー主演「ロードキラー」などが制作された。
そして2021年、ついにジョン・グッドマンラッセル・クロウがロードレイジするわよぉォォォォ!!
ラッセル・クロウは公私ともにアグレッシブな言動が度々取りだたされている俳優で、共演者に頭突きを食らわしたり、ナイトクラブの外で喧嘩してみたり(脅迫されて金を要求されていた事件だったかしら)、ホテルの電話を投げつけてホテル従業員の顔に当ててしまって逮捕されたり、時のラブコメ女王メグ・ライアンと不倫してみたりと、なかなかどうして物騒なやんちゃ坊主。
俳優といえども自分と似ていたり親和性の高いキャラはそれだけ憑りつきやすいので、こうした煽り男役なら思う存分ラッセルも暴れることができるし映画も盛り上がるというものです。
「グラディエーター」が成功したのもラッセルの中に潜む暴力性が上手い具合に引き出されていたという面があるだろうしね。猫科の大型動物と対決させたり、最終的に家族を殺した大ボスの独裁者も倒せたし。(あっ、暴力性は人間誰でも内包しているので、ラッセルだけが暴力的と言っているわけじゃないしラッセルを批判しているわけではありません。むしろ好きな方ですよ。)
そんなわけでラッセル・クロウが煽り男に扮するのも無理はないと思います。(オファーが来た時は一度断ったらしいですけど。)
冒頭。
雨の降りしきる中、一軒の家の前にピックアップトラックが停車している。車内で目をギラギラさせているデブがいる。それがラッセル・クロウ。
ラッセルはこのあと家のドアを蹴破り、「なんですか貴方!」と騒ぐ男を殴りつけ、キャーと悲鳴をあげる女を殴り倒すと(音声のみ)、家にガソリンを撒いて火をつける。
この女はラッセルの元妻だった。ラッセルと離婚したあとに新しい男を見つけて同棲しているのか、それともラッセルに嫌気がさして男と不倫していたのかラッセル夫婦の詳細は不明だが、とにかく別居もしくは離婚した元妻とその恋人を血祭にあげたという、まぁよくある愛憎の末の殺人だ。
だが、ここで私はこの映画が最大のミスを犯したことに気付く。
前述したスピルバーグの衝撃作「激突」然り、「ブレーキ・ダウン」「ロードキラー」といった作品がまぁまぁ成功した理由って何か分かりますか。
それはずばり、「犯人の素性が分からないこと」です。
「激突」は最後まで犯人の素性が明かされないまま終わるし、「ブレーキ・ダウン」も妻を誘拐されたカート・ラッセルは途中まで犯人が誰だか分からずパニくる(犯人が分かると割と冷静になる)。「ロードキラー」も声こそ聞こえるが最後まで犯人が誰だか分からないまま終わる。「犯人の顔を一目見たい」という視聴者の声を敢えて無視する強気なスタイルは成功しました。
人間は未知のものに異常な恐怖を感じるのであって、素性が知れると恐怖バロメーターが下がってしまうのです。
「13金」のジェイソンが怖いのはマスクを被っていることが大きいし(外すと単なる溶解顔なので襲われている方は俄然やる気を出し始め「なんだこいつ」と逆襲し始める)、「悪魔のいけにえ」のレザーフェイスも皮マスクを外せば単なるタラコ唇の大男、手懐ければ可愛いらしいものだ。
「ハロウィン」のマイケル・マイヤーズや「スクリーム」の犯人、「サプライズ」、「リーカー」、「ストレンジャーズ/戦慄の訪問者」、「ワナオトコ」、「蠟人形の館」、「CAGE~ベビーシッター恐怖の一夜~」等々、ホラー/スリラー作品においてマスクがどれだけ人々の恐怖を高めることに貢献しているかがお分かりになるだろう。
まぁ別にマスクを被らなくてもいいのだけど、要は「素性が分からない、得体の知れない人物」というのが恐怖ポイントになるわけ。
それなのにだよ?
「ラッセル・クロウが煽り男です」と知らされたら、恐怖感半減じゃない?
まぁ、それを言ったらそもそも「ラッセル・クロウが煽り運転男と化すゥ」と派手に宣伝している時点でアウトなんだけどね。
でも、それならばラッセル・クロウが殺人放火を犯した危険人物であることを冒頭で明かすべきじゃないのよ。冒頭シーンですでにラッセルの危険な精神状態が明らかになってしまっているので視聴者は心の準備ができちゃっているから。「あぁ、こいつ何でもやりかねない危険人物やな」と。
だからあの殺人シーンは最後にニュースとかで見せれば良かったわけ。「あっ、この人あんなことしてたんだ。道理でこれだけ煽ってこれたわ。なるほどねー」みたいに。
なんならラッセルが出演することを隠してだね、最後まで素性を見せずにした方が意外にヒットしたんじゃないだろうか。帽子を被せて窓を黒くして誰が乗っているのか分からなくして、最後にラッセルの顔を見せて「ラッセルだったんかーい」みたいな。最後だけ顔出して終わるアカデミー賞総なめ俳優てのもなんだけど。
まぁでも宣伝方法などその辺は大人の事情があるので仕方ないのでしょう。
さて。ラッセルに煽られるのは、離婚ホヤホヤのシングルマザーのレイチェル(カレン・ピストリウス)です。
レイチェルは離婚手続き中で、息子カイルと一緒に弟とその婚約者の家に居候している。遅刻魔でだらしない所があり、この日も息子のカイルの学校の送迎に遅刻、しかもその最中に親友かつ上司にクビにされるという駄目ぶり。さらに行く先々で渋滞に巻き込まれるということもあって、レイチェルも多少苛々していた。
そして赤信号でレイチェルは運悪くラッセルの車の後ろについてしまう。信号が青に変わっても動かないラッセルにクラクションを鳴らしまくってしまったのだった。そして中指を立てながらラッセルの車を右からぐるりと大きく追い越して左折していった。
だが、その先も渋滞。
そこへ、先ほどのラッセルの車が右側に並んでくる。
レイチェルの息子カイルにやおらウインドーを下げるように言うと、そこからラッセルがグダグダ言い始める。
日本を代表する煽りメンズどもの台詞は「何さらしとんじゃコラァァァァ」「なめてんのかてめぇ」「出てこい、この野郎」といった3パターンぐらいの極貧語彙が特徴的だが、ラッセルは違う。
「君のママ、運転マナーがなってないよね。さっきのお母さんの行動、君はどう思う?ごっつあんです」「軽くピッピッて鳴らせばいいと思わない?そうだよね?ビーーーーッとか鳴らす必要ないよね。そういうの何ていうか知ってる?ビッチて言うよね?君のお母さん、ビッチだよね。謝罪してくれれば赦す。ごっつあんです。」
といった具合に延々と喋ってくる。
レイチェルも最初は「やべーちょっとやりすぎたかな」といった表情で「カイル、無視しなさい」というが、隣でラッセルが延々と喋ってくるので、ついにレイチェルは「あんたみたいな奴に謝罪なんかしないわ。私は何も悪い事してないからね!あなたおかしいわよ!」みたいに言い捨てる。
間に挟まれている息子カイルが不憫で仕方ない。現実社会は往々にして子どもの方が大人だったりするよねー。大人はつまらんプライドが邪魔して引くに引けなくなったり、意見の不一致から本気モードの喧嘩になったり、些細なトラブルが殺人事件にまで発展したり。大人って子どもなんだ。何なら子どもが政治やった方がこの世は平和になるんじゃないか。
まぁ、そんなわけでレイチェルはこのあとずっとラッセルに煽り運転され、追いかけられる羽目になります。
ハッとするような煽り運転を受けた後、ラッセルがどこかに消えたので安堵したレイチェルだが、息子を学校に落としてきた後ガソリンスタンドに寄ったところでラッセルが再び現れた。ラッセルはレイチェルの車の後ろにピッタリと車を付ける。
ガソリンスタンドの店員と男性客がレイチェルのただならぬ様子に気付く。男性客がレイチェルを車までエスコートしてくれることに。男前。私もエスコートしてください。
男性客は「おい、さっさと失せな」とラッセルに警告。
レイチェルは車にさっと乗りこみ出発するが、予想通りラッセルがこの男前客を轢いてレイチェルを追いかけてくる。
まぁ、予想通りの展開なんだけど、…男前客、お前さ、ママとかに車の真ん前には立つなと言われなかった?
というわけでそこから怒涛のカーチェイスが始まるが、思えば映画としてのクライマックスは男性が跳ね飛ばされる前にラッセルが車中で汗かきながらフーフー言っている瞬間だった。
先ほど述べたのだが、ここで冒頭のシーンを思い出して欲しい。ラッセルはすでに二人を殺しているので三人目を殺すハードルは相当低くなっていることを視聴者はすでに知っている。だから男性客を轢くのも想定範囲内なので大した驚きはなく新たな恐怖心は生まれない。ここで改めて「うわっ、ラッセル怖っ」とはならないわけだ。
こうした通り魔的な事件を扱ったホラー映画では何をしでかすか分からない怖さが怖いのであって(マスクを被ったり素性を隠すこと怖さが増幅するのと同じ)、既に二人殺しているラッセルが三人目を殺したところで驚かないでしょう?
「ラッセルがどこまでやれる人間なのか」がポイントなのに最初であんな豪快に殺しちゃあ、トランプの手を見せちゃうようなもんだよ。
このあとラッセルは煽り運転したり、レイチェルの電話をゲットして
「友人や家族など身近な人を殺していくので、誰にするか選んでください」
とか言う。
百歩譲ってレイチェルを殺そうとするのは分かるけど…
なんでレイチェルの身近な人達も殺そうとするの…?・・・煽り運転の域を超えてない?
レイチェルもレイチェルで、少し考えたあとに
「・・・じゃあ、デボラで」
といってラッセルが暗殺する対象を選ぶ。選ぶんかい。
(ちなみにデボラはレイチェルにクビを言い渡したボス兼友人です。)
まぁ野暮にも説明してしまうと、ラッセルはレイチェルに元妻を重ねて見ていたわけだ。謝罪をせず自分に楯突いてくる生意気な女(私か)ーラッセルにとってそれは成敗しなければならない対象だったわけです。
それからドタバタ劇が始まるが、それに合わせて突っ込みどころも増えていく。突っ込みどころは多すぎるので突っ込んでも意味ないので突っ込まない。そもそもホラー映画って突っ込んでもあまり意味はないしね。野暮だよね。なんつって、突っ込む意義のあるものは突っ込むけれど。
敢えて突っ込むとしたら、レイチェルはホラー映画のヒロインらしく愚かな選択ばかりしていくし、やっと繋がった警察の女性もフリーウェイのド派手な交通事故の対応で「自分でななんとかして下さい」みたいなこと言うし。ちなみにそのド派手な交通事故はラッセルとレイチェルが起こしているのだけれど。
それから一番ツッコミたいシーンは、最後にレイチェルがラッセルの顔に蹴りを食らわすシーン。必死の思いで反撃したあと、セオリー通りに犯人てもう一度立ち上がってくるじゃない?
で、ラッセルが再び立ち上がってきてレイチェルが蹴り入れるときにね?
「Here's Your Courtesy Tap!!」とか長ったらしい台詞を言うわけ。
・・・あの情況でそんなこと言う奴いる?
日本語字幕は覚えてないけど、この courtesy tap というのはラッセルが車を横付けしてきたときに「軽くピピッてクラクションならすのがマナーでしょ?」と言ってたことね。Tapというのは軽く叩くという意味で、クラクションを軽く叩いて(tap)ピッと鳴らすことを意味します。
ラッセルが「courtesy tap しろ」と言ったので、レイチェルは「here's your courtesy tap!」とかキメ台詞を吐いて〇〇〇を叩いたというわけなんですが…
・・・あの情況でそんなことどう考えても言わないだろ。
長々と説明したけど。
まぁ、ガソリンスタンド以降はドタバタ劇と化してしまったけれど、途中からラッセルが「13金」のジェイソンに見えてきたのでホラー映画としてはまぁまぁマシな方だと思う。
「些細な交通トラブルで馬鹿だなーこいつら」と視聴者に運転する上での自戒の念も起こさせてくれるし、浮気・離婚・遅刻・解雇・交通渋滞といったトラブルやストレスが重なると、人間誰でも悲劇に巻き込まれやすいといった人生の真理も何気に描いていますね。
レイチェルが煽られた末に無辜の民を危うく轢きそうになるシーンも描かれていて、煽り運転が第三者を傷つけてしまうリスクや、煽り運転の被害者が不安と焦りに駆られて加害者になるリスクも描かれていたのは良かったと思います。
考えてみたらUnhinged(ネジが外れている)という原題は、加害者のラッセルだけでなく被害者のレイチェル(遅刻魔で人生をコントロール出来ておらずラッセルを煽った)にも言えることだなと思ったらよく出来てるタイトルだなーと思った。もともと最初に煽ったのはレイチェルだもんなー。
「ハロウィン」のマイケル・マイヤーズみたいにラッセルが実は生きていて続編てのもアリかもしれないよ?