先日久しぶりに映画の感想を記事にしてみたらコメントがいっぱい届いたので、調子に乗って今回も映画の感想記事を書きましたよ!書いたから読めコノヤロー。
それはそうと、半分アメリカンな我が子は「はひふへほ」が聞き取りにくいらしく、「ひさしぶり」を「しさしぶり」、「ひこうき」を「しこうき」と言います。
どうやら英語圏の人は「はひふへほ」が聞き取りずらいみたい?
たとえば最近のカーナビは頼んでもいないのに勝手に「700m先、踏切です」とか喋るんだけど、アメリカ人の夫が「みきりデース」とか真似するわけ。
日本語は低周波数、英語は高周波数で、ほとんど重複している音がありません。そのため、日本人は英語の音が聞きとりづらく、英語圏の人は日本語が聞きとりづらいみたい。
娘のように生まれたときから両方の音を聞かせていると、英語の音も日本語の音も聞き取れるようになるようです。
私はバイリンガル環境で育ったわけでも帰国子女でもなく、バリバリジャパニーズな環境で育ち後天的に英語を学んだ人なので、アクセントが強かったり訛りが強かったりすると聞き取れない音がどうしても出てくる。
テキサスの空港で珈琲を頼んだ時に南部アクセントの強さに「ソーリー?」と何度も聞き返す羽目になったり、スコットランドに行った時に「へぇ、スコットランドは英語じゃないんだ」と思った事さえある。
ところがハーフの娘はちゃんと聞き分けているので、子どもの頃の吸収力は凄いものがあるなぁと感心している次第でございます。
「はひふへほ」は聞き取りづらいようだけど。まぁ日本人でも「はひふへほ」は聞き取りづらいよね。
では今日の映画は、そんな「は」から始まる「ングリー・ーツ」ですよ。
「ハングリー・ハーツ」作品情報
原題:Hungry Hearts
製作年:2014年
監督:サベリオ・コスタンツォ
出演:アダム・ドライバー、アルバ・ロルバケル
上映時間:109分
あらすじ
ニューヨークで運命的に出会い、恋に落ちたジュードとミナ。やがて結婚し、2人の間には可愛い男の子が産まれる。それは幸せな人生の輝かしい始まり――のはずだった。しかし息子の誕生後、独自の育て方にこだわり神経質になってゆくミナは、息子が口にするもの、触れるものに対して次第に敵意と恐怖心を露わにし始める。やがてその攻撃の矛先は、医者や友人そしてジュードの母親、更にはジュード本人にまで向けられてゆくが、彼はそんな妻の異常とも取れる頑なな愛情を、何とか理解し、支えようとする。しかしその結果、息子の体が徐々に変調をきたし始めたことで、 ジュードは遂にある決断を迫られる。果たして、その答えの先に、彼らを待ち受けるものとは―。
ハングリー・ハーツ-Filmarks
感想
主演は「スターウォーズ/フォースの覚醒(2015)」でヴィランを演じたアダム・ドライバー。
911をきっかけに海兵隊に入隊し2年間を過ごしたが、怪我を負ってイラク派兵ミッションに参加できず退役した189cmの大柄男性である。
米国内外で評価されている若手俳優だが、本人は自分の演技を観るのも、ラジオ番組の自声を聴くのも嫌いなことで知られているシャイボーイである。
シャイボーイらしく、スターウォーズに抜擢するまでは人付きあいが下手なキャラを演じることが多かったようです。
俳優は自分が目立ってナンボの世界なので、虚栄心や自尊心やプライドが高々な人たちの集まりだと思うのだけど、たまにこういう質素で目立つのが嫌いという俳優もいるのよね。キアヌ・リーヴスとかね。
実はスターウォーズの時に初めてアダム・ドライバーを観たのだけど、滲み出る微かなシャイさを感じて「この人、ヴィランぽくないなー」なんて思ったものだが、あの直感は当たったみたい。たとえスクリーンの中の俳優であっても、なんとなく滲み出るものがあるんだよなぁ。
「リンカーン(2012)」は観てないけど「ブラック・クランズマン(2018)」でもそのシャイさと真面目さが隠せずにいたよね。ジョン・デヴィッド・ワシントンのおちゃらけぶりとバランスを取っていた感じ。
最近はその滲み出るシャイさと真面目さを生かしてマリッジものに出演するようになったが、結婚生活や女性に振り回されて「どないしよーどないしよー」と悩む元海兵隊の189cmアダム・ドライバーが私は好きです!
さぁ、今回アダム・ドライバーが戦うのは、ビーガン原理主義者のママという強敵よ!
昔むかし、NYの中華料理店のやたら狭いトイレで、アダム・ドライバーが排便をしていました。
そこへミナ(アルバ・ロルバケル)という女性がトイレに入ってきました。
トイレが使用中だったのでミナは外に出ようとしますが、ドアが開きません。
ドアと格闘していると、便を終えたアダム・ドライバーが便の臭いを漂わせながら出てきました。
「くっさ!」
ミナはアダム・ドライバーの便臭に卒倒しそうになりますが、ドアが開きません。
二人は狭いトイレの洗面所に閉じ込められてしまいました。
最初は「くっさ、くっさ」言っていたミナですが、吊り橋効果も手伝って二人は和やかな雰囲気になり、交際が始まります。
劇全体に言えることだが、アップの画が多く、物理的な閉鎖空間と心理的な閉塞感がこれでもか!というぐらいにしつこく繰り返される。このしつこさ、イタリアン。(監督はイタリア人)
すぐに交際が始まるが、非情にもイタリア大使館に勤めるミナに異動辞令が下りる。ミナと離れたくないアダム・ドライバーは、ミナが「中出しはダメ」というのを無視して中出ししてしまい、ミナは妊娠する。
思えばこの時ミナのお願いを無視したことでアダム・ドライバーへの不信感を生んでしまったように思うのよね。子供が生まれたあともミナがアダム・ドライバーに「声を荒げないで」とか「私を信じて」とか寂しそうにお願いするときがあって、ミナの視点からみればアダム・ドライバーが利己的で荒々しい男という風に見えなくもないわけ。
とはいえ映画はミナがメンタルをきたしてビーガン原理主義を子供にも徹底させて子供を飢餓状態にさせてしまうという流れなので、ミナが悪者に仕立てあげられているのだけど。
二人はフラッシュダンスの音楽に合わせて挙式します。式後キッチンでお互いを貪っていたところ、ミナが物音に気付いて中断し、外に出るとボードウォークに鹿が死んでおりました。その数メートル後ろに鹿を撃ったハンターが立っていました。ハンターは何も言わずに歩いて消えていきます。
鹿はこの映画でシンボルのように扱われていて、ミナはたびたび鹿が射殺される夢を見る。結婚式のあとにボードウォークで撃たれた鹿も現実なのかミナの夢なのか分からないが、この出来事の直後にミナがベッドから突然起き上がるので、おそらくこれも夢だったのでしょう。
ミナの後ろにいるアダム・ドライバーは、鹿やハンターには目もくれず、あさっての方を見ていて鹿やハンターが見えないようでしたし。ということは鹿もハンターもミナが観た幻影か、ミナの夢ということになりますねー、はい。
さらによく見てみると、このハンター・・・アダム・ドライバーに見えないかい?
ていうかこれ絶対アダム・ドライバーでしょ!
夢に出てくる鹿というのは基本的に吉兆、幸運を示すものであり、鹿自体は繊細な人の象徴らしい。
参考サイト:世界各国で鹿が象徴するもの | DEER INFO-日本で唯一の鹿情報総合サイト
つまりミナはスピリチュアル的に自分をシカの化身と信じ込んでいて(鹿=ミナ)産後鬱のせいなのか何なのかは分からないがメンタルをきたし(栄養不足では…)、アダム・ドライバーが自分(鹿)を殺す夢を繰り返し見ていたというわけだ。
ミナは妊娠中も現代医学を拒否し、エコーは放射線を出すからダメとかなんとか言って(エコーは放射線出てないのに)エコーの途中で出ていったり、水中出産したり、看護婦が止めるのもきかず保育器の中にいる赤ん坊を無理やり抱っこしたりする。
アパートで家族三人の生活が始まると、ミナは子どもが9か月になっても「外は危険」といって一度も外に出なかった。さらに子どもは2週間も37度台の微熱が続いていたが、ミナは「子供の免疫を強化するため」といって医者にみせることを拒否する。
アダム・ドライバーはミナの隙をみて子供を医者に連れて行く。
そこで医師に「お子さんは発育不全。体重が少ない。ちゃんと食べさせてますか?」と言われる。妻がビーガンであることを告げると、医師は子供にタンパク質をしっかり与えるようにと言われる。
アダム・ドライバーはミナに問いただすが、ミナは「肉なんて絶対食べさせちゃダメ」と断固拒否する。
こうしてアダム・ドライバーとミナの冷戦が始まる。
アダム・ドライバーが言い訳を作って子供を1日3回外に連れ出して教会でこっそり離乳食を食べさせる一方、ミナはミナでこっそりとバスルームで「ヨラックス」という栄養吸収を阻害するオイルを赤ちゃんに与えていた。
アダム・ドライバーは子供に食事をしっかり与えてほしいと何度も頼むのだが、ミナがその頼みを聞いてくれることはなかった。
押し問答の末にアダム・ドライバーがミナを平手打ちしてしまったこともある。第三者からみれば、子どもを飢餓状態にする母親なんだから殴られても当然ーという物騒な考えを抱きだちだが、ミナからしてみたら「勝手に中出しした挙句に私を殴る男、そして夢で何度も私を殺す男」と感じていたに違いない。
赤ちゃんを巡る二人の歪んだ関係は、顔のドアップ(正面は映さない)、魚眼レンズといったカメラワークでしつこく映し出される。NYのアパート自体の狭さも閉塞感を強調している。
そもそもここはNYなのだろうかというぐらいNYらしくないシーンが並んでいて(そもそもアップが多く、引きが少ないので)、いわばウッディ・アレンと正反対に位置するNYぶりよ。
アダム・ドライバーは弁護士の助言に従い、赤ちゃんを実家で一時保護することにする。とはいってもミナに黙って赤ちゃんを連れ出してしまうわけなので、法的には「誘拐」にあたる。
弁護士が誘拐をすすめるのもどうかと思うが、児童福祉課に相談とかできないの?
ミナは赤ちゃんに会いにNY郊外にあるアダム・ドライバーの実家に行くが、そこには所せましとばかりに鹿のはく製が飾られていた。ミナにしてみたら恐ろしい光景。
アダム・ドライバーの母が赤ちゃんの面倒を見ているのだが、ミナが何も言わずに背後に立ちつくしたりしているので、ミナが襲ってくるのではないかとドキドキしてしまう。「ゆりかごを揺らす手」みたい。
こうして二人の危険な関係は加速していき、最後はああいう悲劇に至る。
あのときミナは「やっぱりわたし鹿でした」と思っただろうな。ある程度、予想していたんだろうなと思うと悲しい。
ビーガン原理主義の母ゆえに極端な育て方になってしまったのかもしれないが、夫婦の赤ちゃんの育て方の考え方には大なり小なり差異があるもので、それによって諍いが生じることは多いのよね。
我が家でも夫が砂糖たっぷりの甘すぎるケーキやお菓子を子供に与えようとするので、私が止めて喧嘩になったりしますよ。あとは教育方針とか。夫婦あるあるでしょ?
今なら、コロナワクチンの接種でも意見が分かれるよね。
アメリカにはワクチンを一切打たせない超自然派ママもいるけど、ミナがあのままいったらやはりワクチンは打たせなかったことでしょう。
女性は産後はホルモンの関係で母性が強くなり、子どもを守るために些細なことにも敏感になる。ミナは子供への食事や養育だけでなく、音にも光にも繊細になっていた。なのでミナに同情する部分も多かったのだが、この映画ではミナが明らかに悪者扱いされてしまっていたのが気になる点ではある。
なお、このあとアダム・ドライバーは「マリッジ・ストーリー」でスカヨハと泥沼離婚劇を繰り広げ、スカヨハに「お前なんて車に轢かれて死んじまえ」とか言ってます。
がんばれアダム・ドライバー。
ハングリー・ハーツはHuluで視聴できます。