ある日の午後、Netflixでいつものように無駄に時間を浪費してブラウジングしていたら、「Coming Home in The Dark」というニュージーランドのクライムサスペンススリラー(カテゴリ分けが難しいィィィー)映画をNetflixにおススメされました。
ところで、Netflixに限らず、VOD(ビデオ・オン・デマンド)が主流になってからはブラウジング作業にやたらめったら時間を奪われている気がしない?なんなら本編を観ている時間よりブラウジングしている時間の方が長くなってるかもしれん。1時間もブラウジングした挙句にいまいちピンとくるものがないので何も鑑賞せずに寝る、という無駄な時間を過ごしている私のような同類がどれだけいるんだろうなーと思う。
蔦屋に足繁く通ってた幼少青年期は、店内でウロウロはするものの「何観るかなーヴァンダムにしとくか、それとも眠らない山猫シリーズ新作でも観るか」でさすがに1時間も悩まなかったもの。せいぜい30分だよね。その後、本屋もぶらぶらするというルーチンが楽しかったな。
チャリンコかっ飛ばして坂を上り下り1本300円、2本なら500円で借りてきた映画は、日曜の10時でもギリギリ観て夜1時までに返しにいってたわ。苦労して手に入れてるので鑑賞せずに返却することに抵抗があるんだよね。だから意地でも観る。苦労機会と同じかな。
インターネッツとSNSの発展で人々は長時間の集中力を要する映画やドラマ、本をブッチして、短編集みたいな動画や僅か数秒の一般人が意味不明に踊るアプリに依存するようになってしまったわけだけど、技術が進歩するたびに人間が後退しているという反比例現象に名前を付けてください。答えはコメント欄にビシバシ書いて下さいね。ベストアンサーには何かプレゼントを考えておく。
粗筋を読むと、ハイキング&ピクニック中の家族が二人の怪しい男に出くわして地獄…というような内容だったので、「ああ、よくある田舎通り魔ホラーかな、ホラー界の女王Gさん(爺さん)としては抑えておくべき作品かもしれん」と思い切って見てみました。
アメリカで観てるので日本では配信されていないかもしれない。邦題を探したけど見つからなかったから。原題のままで御免ね。
「Coming Home in The Dark」
舞台はニュージーランド。教師の夫ホギーが同業の嫁ジルと息子二人(10代)を連れてハイキングをしていた。湖の畔でピクニックをしているところに、男二人がやってくる。一人は銃を持っていた。ホギー一家は地獄のような一夜を過ごすことになる。
というような粗筋です。
よくある田舎ホラーというか、休暇を利用して田舎に遊びに行ったら殺人鬼に追い回される単純な話かと思ったらそうではなく、実はホギーの過去が暴かれていくという少しツイストの効いた話になっています。
主犯格の白人男は「マンドレイク」、もう1人の有色人種の男は「タブス」と名乗った。
ホギー家の皆さんが湖の畔で生殺与奪の権利を二人に奪われる少し前、この二人が崖の上から家族を見下ろしているシーンがあり、息子の一人が二人を目撃している。ニュージーランドの大自然を背景にこれから何か良くないことが起きる前触れを予感させてくれる。この時、息子が両親に何か言っていたら、事態は変わっただろうか。
マンドレイク達に捕まった後、ホギーは「彼(マンドレイク)の言う通りにするんだ」と言ってマンドレイクに従う。他の旅行者が通りかかるシーンもあり、息子や妻のジルは何とかして相手を組み伏せるチャンスかもしれないと目配せをする。しかしマンドレイクは銃を持っているし、相手は犯罪者に間違いない屈強な男二人。ホギーは成す術もなく静観し事態が過ぎ去るのを待とうとする。
マンドレイクが静かに言う。
「行っちゃったね。お前、後悔するよ。あぁ、あの時何か行動に移していれば良かったと」
二人は何が目的なのか。単なる通り魔ではないのか。そんなことを考えながら画面を見ていると、マンドレイクが突然息子二人を射殺する。ジルはマンドレイクに飛びかかり殴られて気絶、ホギーはタブスに飛びかかるが倒されて腕を折られる。
タブスが息子二人の遺体を湖に浮かべた後、マンドレイク達はホギーとジルを車に乗せて移動し始める。
タブスはほぼ口を利かないのでマンドレイクが話し始めるが、どうやらマンドレイクとタブスは少年時代に「ハカワイ・ポイント」という男児専用の寄宿学校に住んでいたらしく、そこで暴力教師たちから心身的・性的虐待を長らく受けていたらしい(のちに全国ニュースになるほど)。そう、ホギーもその寄宿学校の教師だったのだ。
それならホギーだけ殺せばいい話だが、それじゃ詰まらないので映画はこんなプロセスを経ていく。
マンドレイクはホギーとの過去の接点を明かした後も、無辜の民であるガソリンスタンドのおっさんやホギーが助けを求めた若者グループ4人でさえ、無慈悲に皆殺ししていく。
多少無理のある話だが、マンドレイクは狂人には間違いないのだが彼なりの思惑があった。それは「暴力を傍観することの罪」で、それこそが映画が伝えたいメッセージなのです。
心理学で「傍観者効果」てありますよね。あるシーンを目撃したけれども傍観者が多すぎて実際に行動しない、てやつ。悲鳴が聞こえても「誰か通報するだろう」と思って何もしないやつ。
ホギーが弁解しているように、ホギー自身は子供たちに危害を加えることはなかったんです。しかし、虐待を黙認した。マンドレイクが腕にナチスのハーケンクロイツのタトゥーを入れた時、他の教師がワイヤナイロンブラシでそれを削り落としたらしいが、それも黙認して内部告発することもなかった。ホギーは暴力の傍観者だったのです。
面白いのは、マンドレイクがただ単に復讐をしているだけではなくて、暴力を傍観視することは暴力を振るうことと変わりないことを説教したかったという事。それ故、自分が暴力を振るう側になって、ホギーに傍観視せず介入する何度もチャンスを与えるんだわ。
ところが、子どもたち二人を救うために体を張らず、傍観してやり過ごそうとしたホギーには、マンドレイクが何度もチャンスをあげても、マンドレイクの真の意図が理解できないんだな。
例えば、ガソリンスタンドのおっさんに腕の骨折のことを聞かれたホギーは「転んだ」と嘘を付きますが、マンドレイクは「本当のこと言っていいよ」と促します。ガソリンスタンドのおっさんを殺す事もホギーは傍観するのか、マンドレイクは試しているわけです。
これを知ってから映画を観返すと、台詞やら小さなディテールが意味深で面白いのよー。
前述した、通りすがりのキャンパーが通ってやり過ごしたあとにマンドレイクが「お前、後悔するよ。あの時何か行動に移していれば良かったと」という台詞とかね。それを聞いたホギーが浮かべる表情とかね。マンドレイクは現在だけでなくホギーの過去(寄宿学校時代)についても言及してるわけだけど。
ホギーがタブスに「いつも彼の言いなりか?」と言った時にマンドレイクが向ける嘲りの表情とかね。(ホギーこそが言いなりで暴力を傍観してきた人間)
ガソリンスタンドのおっさんを殺したあと、おっさんの血が付いたネームタグをわざわざホギーに渡したりね。
一方で妻ジルはホギーとは異なり、意地を見せます。子供たちが射殺された時に実行犯のマンドレイクに飛びかかったのもジルでした。ホギーは何故かタブスに飛びかかっている。その後、マンドレイク達はジルには一切手出しをしないのね。つまりジルは暴力を傍観視せずに介入することを厭わない人間であることをマンドレイクは知るからです。
ジルはある時点で「暴力を振るう事と傍観する事は違う。でも同類だわ」と言った後、自ら車から飛び降ります。そして下に川だか海だかあると思われる崖から自ら飛び降りちゃうの。この時マンドレイクはジルを助けようとする素振りさえ見せました。
たとえばジルがあの時の寄宿学校の教師だったら、ジルは目の前の暴力を傍観せず介入していただろうと想像がつくわけです。
だからマンドレイクにジルを殺す意図はなかったと思われる。ホギーの傍観者性根を叩きのめすために最終的にジルも殺したかもしれない可能性はあるけれど。ちなみにジルの生死は不明。その後、流れる水上に浮いているジルの姿が一瞬映るが、腕を動かしているようにも見える。
その後、ホギーが隙をみて逃げ出し、ドリフトして遊んでる若者4名に助けを求める。若者4名はマンドレイクに説得されてホギーを引き渡したあと、無残にもマンドレイクに撃たれて死ぬ(1名は幸運にも逃げ出して助かる)。
若者たち「なんで?」
と思うかもしれないけど、マンドレイクの思考回路によれば、若者たちは暴力を傍観視した側の憎むべき人間だからです。ホギーを引き渡してもらっといてなんだけど。
しかし、この辺りからタブスに「ちょっとぉ…やり過ぎじゃないの?早くパブ行こ」みたいな曇った表情が目に付くようになる。助手席のタブスが窘めるように車のハンドルを握ると、マンドレイクが「あともう一歩。そしたらパブ行こ」(タブスは早くパブに行きたくてしょうがない。)
最後の舞台はハワカイ・ポイント。あの寄宿学校である。
タブスはこれ以上やる気はないらしく、車から出るのを拒否。マンドレイクがホギーを連れて、かつて教師に腕をナイロンブラシで削られた思い出の場所に向かう。
ホギーが最後に石で反撃してマンドレイクも瀕死の重傷になる。マンドレイクが昔を思い出しながらブツブツ言ってホギーにむかって銃を撃っていると(ふらふらなので当たらない)、後ろからタブスがやってくる。
タブスはマンドレイクから銃をとると、ホギーではなくマンドレイクを射殺する。
理由は、タブスが暴力の傍観視を止めて介入して終わらせたからです。
このシーンでのホギーはかつてのマンドレイク。マンドレイクは過去の虐待していた教師たち、という構図です。
だから、マンドレイクの身体は死んだけど、魂的には救われたともいえる。なぜならタブスという暴力を傍観しない人間が介入して、暴力を止めたからである。
その後、タブスは歩いて丘を登って行く(おそらくパブに行った)。ホギーは腹を撃たれているし、人気のない場所だし電話もないだろうから、あのままあそこで死んだかもしれん。
ホギー達がもしかしたら逃げれるかもしれないと思わせるシーンも幾つかあったり、車内の4人と道路の景観を代わる代わる映したり、ほぼずっと4人が車に乗って降りてを繰り返す単調な映画の割に、飽きずに観れたのも高ポイントだった。
タブスが先住民(男優の父はサモア系)、ジルがマオリ系という人種的側面も見逃せない。タブスは射殺された息子二人の遺体を水辺に浮かべて儀式でもしているかのような行動を見せたし、最後にホギーを殺そうとするマンドレイクを止めた。
ジルも暴力への介入を厭わあい精神性を有していた。双方とも有色人種で、介入する側の人間である。他方、マンドレイクは暴力を振るう側、そしてホギーも傍観視する側の人間で、双方とも白人である。
ホギーは最後の場面で、マンドレイクはハーケンクロイツを腕に掘った少年だったのだから暴力を受けて当然だと開き直るシーンがある。(現在のマンドレイクが有色人種のタブスと仲間であることからも分かるように、マンドレイクは人種差別主義者でもなんでもなく、単なる若気の至り、反抗心の現れだったに違いない。)これは、社会的に唾吐すべき側面を持つ人物が暴力にさらされた時、私たちはその暴力を許容して良いのだろうか?という疑問も投げかけてくれる。
そんなことを思いながら、二度目の視聴を終えました。
マンドレイク役の人、イケメンだったなー。こういう顔も好きなんだよなー。