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【ランボー:ラスト・ブラッド】映画ネタバレ感想:最終章5作目の敵はメキシコ人身売買組織!

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ランボー:ラスト・ブラッド(6月12日公開)

シルベスター・スタローン主演「ランボー」シリーズの最終章とされる「ランボー/ラスト・ブラッド」を視聴しました。シリーズ5作目となります。

日本公開は2020年6月12日(金曜日)です。

やなぎやさんが「ランボー最後の戦場」の評論記事で「もうすぐ最新作出るで」と言っていたので待ちきれずに海外版DVD観ちゃった。

シルベスター・スタローンはアラセブンの実母が認めるスター10選で見事一位に輝いた男優です。パチパチパチ。ちなみに彼女の中ではシュルベスタ・スタロオンという名前で記憶されている。

さすがのスタローンも73歳、顔が若干マダム・タッソーの蝋人形ぽいのでポスターでガウスぼかされちゃった。ランボーをガウスぼかすなよ!

 

【ランボー/ラスト・ブラッド】作品紹介

原題:Rambo: Last Blood

制作年:2019年

監督:エイドリアン・グランバーグ

出演:シルベスター・スタローン、パス・ヴェガ、イヴェット・モントリオール、セルヒオ・ぺリス=メンチェータ、オスカル・ハエナダ

上映時間:89~101分(公開国によってバージョンが異なる。最初にスタローンがボランティアで人を助けるシーンがあったら長い方のバージョン。)

レーティングはR15なので15歳未満の入場・鑑賞は禁止されています。

本作と前作「ランボー:最後の戦場(2008年)」は死体の損壊シーンが多いのでお子様は観れませんのでご注意下さいねー。大人には大したことないから心配ない。むしろ楽しい。

 

【ランボー/ラスト・ブラッド】あらすじ

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ベトナム戦争のPTSDに未だ苦しみながらも、元グリーン・ベレーのジョン・ランボー73歳は旧友マリアが所有する牧場で静かに余生を送っていた。乗馬したり、マリアの作るコンティネンタル・ブレックファースト食べたり、たまにボランティアで救助活動したり、馬の面倒を見たり、巨大地下トンネル掘ったりと楽しそう。

ある日、マリアの孫娘ガブリエラがメキシコにいる実父(クズ)を訪ねに行くが、言わんこっちゃない、そこで人身売買組織に誘拐されてしまう。

ランボーは自分の娘のように面倒を見てきたガブリエラを救出しに単身メキシコへ向かう。

 

【ランボー/ラスト・ブラッド】感想

ランボー1作目は実に1982年。このブログでランボーを取り上げたことはないが、こう見えても私はランボーを毎月のように観ていた少女時代を送っていた。私だけでなく多分アラフォーの民は洋画劇場に頻出する「ランボー」「コブラ」「ターミネーター」あたりを何度も見せられたはず。

欧米人の顔を覚えられない実母でさえ6回くらい観たあとに「あれぇ?これ前観なかった?」とか言うぐらいですからね。

なお、スタローン、シュワちゃん、沈黙セガールあたりは当時最もTVの洋画劇場で上映されていたお茶の間俳優です。(次いでマサト、玉井さん、あのハゲかな。全然分からねえという人はここを読め)

つまり私はこの御三方を見ながら思春期を過ごしたので、好き嫌いは別としても、この御三方(特に前者二人)には家族のような思慕の念があります。(「ナイトライダー」のデビッド・ハッセルホフに至っては隣に住んでそうな憧れのお兄ちゃんである。)

ちなみにスタローンやシュワちゃんの映画をTVで観るときは、もれなく映画評論家のご尊顔を拝むまでがワンセットであった。木曜日は木村奈保子さん、金曜日は水野ハルロウ(故水野晴朗とかいてハルオさん)日曜日は長さん(故淀川長治)という一週間のルーチンを毎週繰り返していたのだ。

木曜日に木村奈保子さんの「あなたのハートには何が残りましたか」を聞いて「やったー明日はフライデー」と歓喜し、金曜日は水野晴朗さんの「いや~、映画って本当にいいものですねぇ~」に「そうですねぇ~ハルロウ。金曜日はいいですねぇ~」と返し、日曜日は長さん(故淀川長治)の「サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ」を聞いて「おやすみ長さん」と言いながら月曜の通学通勤の鬱を癒すというプロセスまでがセットだったのだ。

当時は子どもだったので、世の中は本当は不公平だとかこの世には極悪人がいるだとかベトナム戦争がどうとか何も考えずに「ランボー筋肉すげえ」「ランボー飛んだ」「ランボー泣いた」「大佐はやく」「ランボー切れた」「ランボーのウルフカット可愛い(もとは理容師のスタローン)」「よく分からんがアメリカかっけえ」「アメリカは世界の覇者になるから英語覚えとこ」とか思っていた。

「ウォーキング・デッド」の人気キャラであるダリルや「指輪物語」のエルフ・オーランドがクロスボウを愛用していたことで「キャー格好いい」と女子が黄色い声を出していたが、クロスボウはダリルでもオーランドでもなければ、ロビンフッドでもキャットニスでもホークアイでもない。クロスボウといえば元々はランボーなんだよお前ら。

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ランボー 怒りの脱出

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ランボー 怒りの脱出

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ランボー 怒りの脱出

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ランボー 怒りのアフガン

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ランボー 最後の戦場

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ランボー ラスト・ブラッド

クロスボウで音を立てずに敵を次から次へと仕留めていくランボーに憧れた小学生の私は、父に「父ちゃん、弓矢が欲しい」と言った。すると父は竹藪から竹を取ってくると、竹とタコ糸でお手製の弓矢を作ってくれた。夕方になると弓矢で練習をしたものだった。割と真面目に。

「ランボー」シリーズがいかに素晴らしいかは、戦争映画にうるさいやなぎやさんが分かりやすく説明してくれているので、是非ご覧になって頂きたいと思います。

それから、例のごとく、本作もトランプ贔屓のプロパガンダとか言っている民主党や左翼連中がいるようだけど、やなぎやさんが「ランボー 最後の戦場」の評論で「実際のミャンマー軍事政権による弾圧は別の話なんだから私たちは勧善懲悪の世界とランボーが繰り出す鉄拳でカタルシスに酔えばいいだけなんだよ」と言っているように、本作も実際のメキシコ人がどうとか別に考える必要ないわけ。

まぁあちらのコメントを見てみると、大方の人たちは「何言ってんだ、何かにつけ政治を持ち込むのもいい加減にしろ、映画を楽しめ、ランボーを楽しめ」という意見が多いようだけれども。そもそもメキシコで麻薬カルテルや人身売買組織が蔓延っているのは現実だしな。

 

「光」としてのガブリエラ

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ランボーが救出に向かうガブリエラ

2作目「ランボー 怒りの脱出」で現地アジアンビューティを助けそこない、4作目「ランボー 最後の戦場」でNGOのブロンド女性を助けたランボーは、5作目では自分の娘ともいえる大切な存在を救出しに向かうことになる。

反戦映画だプロパガンダ映画だ(本作について左翼がトランプ贔屓のプロパガンダだと錯乱した模様)とレッテルを貼ったところでランボーの懐心理を知ることはできない。ランボーはそんな小難しいことを考えているわけではなく、一兵士として当然のことをしているだけだ。それ即ち、闇から光を守ること。闇は人間が認知する「悪」であり、光は「善」である。動物の世界では暴力に善悪という概念はない。殺るか殺られるかだ。ランボーは善悪を考えているわけでも反戦を考えているわけでもなく、この世界に蔓延る闇から光を守ろうとしているだけなのである。

ランボーが救出しにいく「光」の象徴ガブリエラはそれはそれはナイーブな存在で、可哀想にこの世の不条理を散々味あわされたあとに非業の死を遂げる。母にはガンで先立たれ、父には捨てられ(DV野郎の糞)、祖母とランボーに反対されながらも一念発起してメキシコの父に会いに行けば「俺にとってお前たちは無価値。 ナーダ。ナッシング」とすげなくされ、友人に裏切られて人身売買組織に売られ、ヘロインを打たれて男たちの性奴隷にされてしまう。

ガブリエラは、ともすれば「ちょっと危機意識なさすぎ」と批判されそうなほど危うく隙だらけなのが、私たちが闇をまだ見ぬ赤ちゃんを本能的に守ろうとするように、純真無垢だからこそ守らなければならないのだ。光を失った世界に何の意味があるだろうか。

私の米兵の夫は仕事の話を全くしないが、10年以上前にこう言ったことがあった。「ユーはこの世のgoodなので、darkな世界には踏み込ませない。ユーをこのダークな世界から守りたいのです。」あのとき私はナイーブな乙女だったので「何言ってんだこいつ」と思ったものだが、ランボーを観続けた今なら分かる。

夫の私への愛を教えてくれたのは…ランボー、貴方でした。

ランボーのように正義という名の下で暴力の世界に身を置く者にとって、光は希望、安らぎ、癒し、そして故郷(home)である。彼らにとって光を守ることは自分の存在意義でもある。夫はオーダーを受けて日本を去る時に私にこう言った。「物理的には離れるが覚えていて欲しい。私のhomeはいつもユーである」。未だに彼からもらった言葉のなかでこれを超えるものはないなぁ…

 

ランボーの今回の敵兵

さて、ガブリエラ救出のために、土煙をあげて車をメキシコに走らせたランボーは、まずガブリエラの友人ジゼルを締め上げます。

ジゼルがこれまたプロレスのヒールに付いてる子分のような顔をしている上にギャングの話し方をきちんとマスターしているようないじらしい子でして。地味な努力にMVPを進呈します。

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本作のMVP、ジゼル(左)

ランボーは次に、ジゼルが「あの男ですわ」と指差し確認した男を締め上げるが、組織の間にはグリンゴ(白人)がウロウロしているという情報がすでに伝わっていて、あっという間にランボーは敵兵に囲まれてしまう。メキシコを舞台にした映画やドラマを見るといつも思うが、メキシコの組織力と機動力が凄い。

ランボーがいつになく心許なく見えてしまって心が痛んだ瞬間のショット。73歳だから勘弁してやってほしい。

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かくして「96時間」のリーアム・ニーソンを超える救出ぶりへの期待は打ち砕かれてしまう。ランボーはボコボコにされ、あっというまに顔が腫れ上がる。こんなにボコボコにされたのはアポロ以来さ

人身売買組織の親玉はこのマルティネス兄弟なんだが、悪人であることが全然伝わってこない。「ランボー」はランボーに見合う素晴らしい敵兵が歴代いたものだが。それにこの親玉は親玉なのに何故そう簡単に姿を現してくるのか。小玉か。

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マルティネス兄弟(左と中央)、善人顔

組織に包囲されてしまったので、ランボーも拉致って過去の戦争のように監禁され、そこから脱出コースかと思いきゃ実はそうでもない。ランボーはボコられたあと、その場に放置される。

メキシコの人身売買組織が組織に喧嘩を挑んできた者や商品(性奴隷)を追ってきた身内を放置するという展開は腑に落ちないが、ランボーをここで殺したら映画が終わってしまうので見過ごさざるを得まい。

よくよく考えてみると百戦錬磨のランボーがあっさりと囲まれてしまうのも腑に落ちないのだが、これも粗筋の便宜上、見過ござるを得ない。

というのもボコられたランボーは、組織を調べていたジャーナリストの女性に助けられ、その後4日間を寝過ごすから。ランボーを見過ごしたら寝過ごされた。

その間にガブリエラは顔に傷をつけられ(マルティネス兄弟によるランボーへの仕返し)、ヘロイン漬けにされ、男どもにいたぶられ続け、4日後にランボーがいともあっさりとガブリエラを救出するも結局ヘロインの過剰投与で車内で息を引き取ってしまうのです。

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要するにここまでは映画の前菜みたいなもので、別に「96時間」のような人身売買組織を描きたいわけじゃないということが分かる。人身売買組織や麻薬カルテルを本気でぶっ潰そうと思っているわけじゃない。あくまでも主題はランボーであり、この世の闇を相手にランボーが光を守るために戦う姿を描きたいだけです。そのための闇の題材は何でもいいんだけど、今回は人身売買組織により身内が性奴隷にされて殺されたので、よりパーソナルな世界になっています。パーソナルということはそれだけ社会的なスケールも狭まっているので、過去の「戦争」らしい戦争とは違う戦いになっています。

 

「96時間」から「ワナオトコ」へ

さて孫娘まで失った旧友マリアを牧場から避難させたあと、ランボーはいよいよ復讐の準備を始めます。牧場の庭に掘りまくった地下トンネルを使う機会がやってきました。

マルティネス兄弟のヒゲの方をメキシコで斬首したあと(ベリーメキシカンスタイル)敵兵を牧場へ呼び寄せます。組織は自分たちの地下トンネルを通って不法に米国アリゾナへ。どんだけ地下トンネルがあるのか。

ランボーは納屋と地下トンネル中に罠を張り巡らせ、武器を至るところに配置して敵を待ち伏せる。干し草用フォーク、鍬、鋤、つるはしなど牧場には戦闘武器が豊富。そこに地下トンネルに忍ばせたC4爆弾、M16A1ライフル、M1ガーランド、ショットガン、サイドショットガン(銃口を切って短くしたやつ)を使った近代的武器と古典的武器の夢のコラボ。

ランボーはまずどでかい花火をあげて組織の足を止める。ここではトリガーを踏んだ車一台だけしか吹っ飛ばないので、弾薬勿体ない。

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車から降りて重装備で歩き始める組織メンバーたち。ランボーは地下トンネルの穴からぽこぽこ飛び出しては一人また一人と始末していくモグラ叩き戦法で重装備の構成員たちの戦力をどんどん低下させる。

地下トンネルの入り口を発見した組織メンバーたちは地下トンネルに入るが、そこはランボーの仕掛けた罠だらけなので、もうランボーの独壇場。完全にワナオトコ。(ワナオトコファンとしてはたまらない)

それでもランボーらしいと思ったのは、敵が干し草フォークにぶっ刺されたり、落とし穴に落ちて鋭利な鉄鋼にぶっ刺されて死んでるのに、そこに必ず銃弾をぶっ放して、死んでるけどもう一回殺すという念の入れ用でしょうか。身内を殺したランボーの怒りが二度殺しに如実に現れていました

前半はガブリエラが犯罪組織に誘拐されて性奴隷にされて救出しなければならなかったので時間を取られてしまい、後半がちょっと急ぎ足になってしまっていた点は残念。ランボーファンとしては後半の戦いを実はもっともっと観ていたいんじゃないかなぁと思う。

また、時折現れるランボーのフラッシュバックが全然生かされていなかったのも勿体ない。人身売買組織という闇の題材自体は悪くないけれど、ランボーにはやはり旧来の戦場が画的に似合う。地下トンネルで戦場を再現するアイデアも悪くないけど。でも御年73歳の退役兵を戦場に送るのは酷ですわよね。

当初はこの牧場が完全に戦場化する大掛かりなアクションを予定していたものの、スタローンがやり過ぎのアクションを嫌ったらしく、彼の意向でスケールダウンしたというので、これが今のランボーの望んだレベルの戦場だったのだと思う。

なお、短髪でバンダナなしのランボーは今回が初めてなので、現役のランボーとは様相が違う点も見せたかったのかもしれない。

ランボーは親分(マルティネス兄弟の残り)を最後に始末し、家のバルコニーに座ってこんなナレーションを語る。

I've lived in a world of death. I tried to come home, but I never really arrived. A part of my mind and soul got lost along the way, but my heart was still here where I was born, where I would defend to the end the only family I've ever known, the only home I've ever known. All the ones I've loved are now ghosts. But I will fight to keep their memory alive forever.

John Rambo-Rambo: Last Blood

ランボーはもともと寡黙だが、これまでは故トラウトマン大佐や民兵仲間に締めの言葉を語って映画を〆ていた。しかし今回は誰もいないので、ナレーションで視聴者に語るという手を使いました。

愛する者は皆死んでしまったが、思い出を守るために戦い続けると。ランボーはポーチでそのまま死んでいくという暗示がなされます。

その後、エンドロールでランボーは「シェーン」のように馬に乗って歩き始めました。これは明らかに続編もあり得るというメッセージですね。

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エンドロールで「ランボー」1作目からの映像が流れる辺り、1982年からのランボーとの思い出が一挙に去来して目頭が熱くなったまま映画は幕を閉じます。

正直、一番感動するのがこのエンドロールです。

また、冒頭でランボーが地元のボランティアとして人を救出し、保安官に「ランボー、いつもありがとな」と感謝されるシーンは、第1作目「ランボー」で保安官に不条理な意地悪をされて虐げられたランボーへの罪滅ぼしであることに気づかされ、感傷的になる。

1作目から観返したくなるなー。

アクション映画で魂を動かされる機会はあまりないが、考えてみるとスタローンの「ランボー」と「ロッキー」は魂を動かされる作品だよなぁ。スタローンは凄い役者だと思った。

ランボー、感動をありがとう。

 

ランボーの続編はあるの?

スタローンは2018年12月のインタビューで「これがランボーの最後の映画になる」と宣言したものの、2019年カンヌのインタビューでは、本作が成功したらランボーを再び演じる用意があると述べています。

ランボー1作目の原題は First Blood(ファースト・ブラッド)で、本作は Last Blood(ラスト・ブラッド)ということで、題名はうまく〆めてはいますが、私としてはまだまだランボーが観たい。

ランボーの戦いは終わってない。

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地下トンネルにガブリエラが描いたという絵。ユニコーン、お前が描いとったんか。