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『エイス・グレード』映画の感想:SNSに生きる痛々しい現代ティーン…かこれ?

エイス・グレード映画9月20日公開あらすじ感想

エイス・グレード(9月20日公開)

ケビンのベーコン、リース・シャクレスプーンなどセレブも絶賛!の新作映画「エイス・グレード」を鑑賞した感想です。

「エイス・グレード」は8th gradeのことで、中学2年生くらいですね。アメリカの小中高は、6-2-4だったり、5-3-3だったりと学区によって異なるようで。6-2-4だと中学校が2年で卒業となるわけです。したがって本作では中学2年生を最後に卒業間近のティーンを描いています。

口コミでどんどん人気が出てきて大ヒットしたという映画で、「映画の神々からの贈りもの」とまで評された一作なので、ちょっと楽しみにしていました。

 

『エイス・グレード』作品紹介

原題:Eighth Grade

公開年:2019年

監督:ボー・バーナム 

出演:エルシー・フィッシャー(ケイラ、娘)、ジョシュ・ハミルトン(父)、エミリー・ロビンソン(オリビア、高校生)

上映時間:105分

ボーバーナム監督はユーチューバー出身の若手俳優・監督です。もといコメディアン、ミュージシャン、俳優、映画製作者、監督、そして詩人。ミレニアル世代(80年~94年生まれ)らしく、一つの肩書きに満足しないマルチタレント世代の一人。

8年生を演じた主演のエルシー・フィッシャーは、Despicable Me(ミニオンの映画2作)でアグネスの声優を務め、海外ドラマ「キャッスル・ロック」に出演しています。

皮肉なことに、この映画は中学2年生を扱っているのにR指定されています。これは性的な言葉が出てくるためで、激しい暴力や性的シーンは一切出てこないので安心してください。

 

『エイス・グレード』あらすじ

生まれたときからウェブサイトやSNSが存在する“ジェネレーションZ世代”のティーンたちのリアルな葛藤や恋、家族との関係を描き、全米で評判を集めた青春ドラマ。

中学校生活最後の1週間を迎えたケイラは、“クラスで最も無口な子”に選ばれてしまう。待ち受ける高校生活に不安を抱える彼女は、SNSを駆使して不器用な自分を変えようとするが、なかなか上手くいかない。

高校生活が始まる前に、憧れの男の子や人気者の女の子たちに近付こうと奮闘するケイラだったが……。

エイス・グレード-映画.com

 

『エイス・グレード』感想

中学2年生のケイラは学校で「最も静かな子」に選ばれてしまうほど内気な子だ。顔にはニキビが点々とし、ポッチャリ体型、下っ腹が出ていて、間違いなくスクールカースト下位に属する女子である。

日本では無口さが「謙遜」「思慮深い」というようにプラスのイメージに変わることもあるが、アメリカでは「無口」「静か」といった性格はイコール退屈と思われているも同然で、ケイラが目指す「クール」とは程遠い評価である。(西欧人はうるさい人間よや嫌な奴より退屈な人間をもっとも嫌う傾向がある。)

ケイラはSNSに「自分らしくいることの大切さ」「自分の殻を破ること」といった人生アドバイス動画を投稿しているが、こうした動画は実際は自分に向けて言い聞かせている。

人気者の女子のSNSは可愛い写真と称賛コメントで溢れている一方、自分のインスタはイイネの数もPVもほぼナシ。それでもひたすら動画やセルフィーをアップして動画の中で「グッチー」でしめるケイラは、痛々しくて見るに堪えない

ジェネレーションZ時代(1995年~2002年生まれくらい)のスクールカースト上位女子たちは、もはや下位ピープルに嫌味をいったり罵倒することさえしようとしない。話しかけられても上の空の返事、スマホを見続けながら返事をする、会話を続けない。爺さん婆さんよりも脱力している。

彼らは目の前のスクールカースト下位人間より、スマホやSNSの世界が大事という世界に生きている。インスタグラムのイイネ!の数やPV数で人気度を測る社会が本物であると信じこまされて生きている。

ちなみに「フェイスブックなんかもう誰も使ってないよ」という世代である。

ある日、ケイラはカースト上位のケネディの誕生日パーティに誘われる。誘われるといってもケネディが誘ってきたわけでなく、ケネディの母ちゃんに招待されただけであって、後日ケネディから「ママに招待しろって言われたから招待しました」みたいなKYな正直テキストが送られてくるという仕打ち。

それでも勇気を出してケネディの誕生日パーティに行ってみるケイラ。だが、よりにもよってプールパーティである。バスルームで水着に着替えようとするが、パニック発作を起こしそうなケイラ。

水着姿で裏庭のプールに向かうと、スリムでカワイイ女子たちや憧れのエイダンたちが楽しそうに遊んでいる。まさに戦場。しかしやっぱり馴染めないケイラで、オタク系男子とよくわからん会話をするだけだった。

ケイラはその後、高校生に誘われてショッピングモールで「ハングアウト」するといった戦場も経験するが、そこでも会話に入れず、中途半端に笑って誤魔化すだけに終わる。

こうした経験を通じながら、結局はパパンとの腹を割った会話で「パパはそのままのケイラが大好きだよ」と言われて、自分らしくいることの大切さを悟り、もう無理はせず自然体でいこうとする…というのが映画のあらすじである。

コメディ要素も含まれていて、ところどころクスッというシーンもある。特にケイラの憧れのエイダン(周りには嫌な奴と言われている)の性への食いつきや、ケイラがやけくそになってバナナをパパンに投げつけるシーンなど、ジェネレーションZらしい脱力した笑いである。

映画の意図するところはとても理解できる。好きな男子のインスタを眺めながら、自分の手の甲を彼の唇と見立ててキスをしたり、「クール」な喋り方を練習してもぎこちない会話しかできなかったり、初めての性的な経験はたいてい苦々しい思い出に終わることなど、世代が異なっても青春時代に経験する痛々しさと気まずさは不変である

現代のZ世代を象徴的に捉えることにボー・バーナム監督は成功したように思うが、一方で低評価をつけたくなるような点も多い。

ケイラが極端なコミュ障なのか、彼女の台詞は5つの単語で構成されているといってもいいくらい酷い。その5つとは、like、cool、totally、awesome、okである。

英語がわからなければ気にならないのかもしれないが、この5つの単語以外ろくな会話をしていないので、聞くに堪えない。英語を話せない留学生より酷い。シャイで内向的で不安障害を抱えているのは分かるが、いくらなんでも酷すぎる。

こんなに会話ができないアメリカの十代は実生活で見たことがないし(障害を抱えていない限り)、非現実的である。

とはいえ日本でも「ヤバイ」「マジで」で会話を成り立たせる若者も多いので、意図するところはお分かり頂けると思う。

ケイラほど父親に失礼な態度をとる十代も私は見たことがない。アメリカは家父長的ではないものの、親や大人をリスペクトしない言動には日本よりずっと不寛容である。

要はリアルだけど非リアルなの。したがって、この辺りは「リアルな現代アメリカのティーン」というより、ジェネレーションZの象徴的な描写と理解するにとどめたほうが良いだろう。

ケイラもカースト上位女子も24時間365日スマホをのぞいているかのように描かれているのだが、ジェネレーションZには本当にスマホとSNSしかない単なる抜け殻の人間たちのだろうか。

スマホとSNSしか出てこない抜け殻人間を描いているので、その背景に哲学的な意義を見出すことはできず、ドラマというよりはドキュメンタリーを見ている印象だった。

そのため、セレブたちのように絶賛などはとてもできないが、好きか嫌いかで言われれば割と好き。ただし映画として褒められたものではないし、見る・聞くに堪えかねるというのも嘘ではない。

セレブたちって、現代若者がどのような日常を過ごしていて、どのような悩みがあるかが分かりやすく描かれていれば手放しで喜ぶんだよなぁー。単純だよなぁー。

レディ・バード(感想ここ)のほうが良かったかな。