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【レディ・バード】映画の感想:十代の少女が羽ばたくまでのハートフル青春ドラマ

レディバード映画の感想

(C)2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24


2018年6月1日公開の【レディ・バード】を見た感想です。

10代の少女が大人として羽ばたくまでの心温まる青春ドラマです。10代のお子さんがいる方はもちろん、子どもがいる方の心に響くであろう静かで美しいドラマでした。

 

【レディ・バード】作品情報

原題:Lady Bird

監督:グレタ・ガーウィグ(フランシス・ハ20センチュリー・ウーマン

出演:シアーシャ・ローナン(ラブリー・ボーン、つぐない、ブルックリン)、ローリ―・メトカーフ、トレイシー・レッツ、ルーカス・ヘッジズ、ティモシー・シャラメ

上映時間:94分

言語:英語

受賞:ゴールデン・グローブ賞作品賞&主演女優賞、アカデミー賞主要5部門ノミネートなど

「フランシス・ハ」「20センチュリー・ウーマン」などで知られる女優のグレタ・ガーウィグが、自身の出身地でもある米カリフォルニア州サクラメントを舞台に、自伝的要素を盛り込みながら描いた青春映画。

「フランシス・ハ」や「ハンナだけど、生きていく!」などでは脚本も手がけ、「Nights and Weekends」(日本未公開)では共同監督を務めた経験もあるガーウィグが、初の単独監督作としてメガホンをとった。

カリフォルニア州のサクラメント。閉塞感漂う片田舎の町でカトリック系の女子高に通い、自らを「レディ・バード」と呼ぶ17歳のクリスティンが、高校生活最後の年を迎え、友人やボーイフレンド、家族、そして自分の将来について悩み、揺れ動く様子を、みずみずしくユーモアたっぷりに描いた。

レディ・バード : 作品情報 - 映画.com

先日のアカデミー賞で、「シェイプ・オブ・ウォーター」「スリー・ビルボード」と激戦を繰り広げた一作で、imdb、rotten tomatoesでも評判はすこぶる良い。

アメリカ人も実はアメコミヒーローものやCGだらけの映画に食傷気味なのかもしれない。アメコミやCGものも、それはそれで楽しめるんだけど。

 

【レディ・バード】あらすじ

舞台は2002のカリフォルニア州サクラメント。片田舎でカトリック系の女子高に通うクリスティン。

クリスティンは自らを「レディ・バード」と呼んでいて、東海岸の大学に進むことを希望しているが、父はリストラされ、母はダブルシフトで働いており、家庭にそんな余裕はない。

レディバードは、初めてボーイフレンドを作ったり、スクールカースト上位の女の子と付き合うようになったり、進路のことで母に秘密をもったり、悩みながら、旅立ちの日を夢見ている。 

 

【レディ・バード】感想

アカデミー賞は逃してしまったものの、評価が高いのは頷ける作品だった。シェイプ・オブ・ウォーターはまだ見ていないのだが(半魚人とかいうからさぁ…)スリー・ビルボードと比較すると、若干インパクトが足りなかったことがアカデミー賞を逃した敗因だったように感じられる。

とはいえスリー・ビルボードより劣っているとは思わない。リアリティでいえばスリー・ビルボードより上で、進路、友人、恋、家族といった十代の青春時代の悩みをそれは丁寧に繊細に描いてる。

シアーシャ・ローナンはすでに演技に定評のある若手実力派なので、彼女の魅力については割愛する。「つぐない」や「ラブリーボーン感想を読む)」など難しい役をこなせることはすでに証明済みで、若手ながら大物を予感させる女優だ。

スリー・ビルボード」や「マンチェスター・バイ・ザ・シー」などアカデミー賞受賞作品に出演している若手実力派のルーカス・ヘッジズも、レディバードの最初のボーイフレンド役として出演している。

冒頭はカリフォルニアにウンザリした様子のクリスティン(レディバード)が母親に鬱憤をぶちまけるシーンから始まる。

「カリフォルニアなんかウンザリ!カルチャーのある東海岸に行きたいの!」と叫ぶクリスティン。君は私か。

カリフォルニアにしばらく住んだ人なら分かるかもしれないが、カリフォルニアには特有の空気が流れている。のどか、広々、温暖、ゆったりといった形容詞がそれに当たるだろう。

バケーションで日本や東海岸から遊びにきたら「ゆったりして温暖で、なんていいところなんだ」と思うのは間違いない。実際、いいところである。

しかしそんな素晴らしい場所でもずっと住んでいると死ぬほどウンザリしてくる時がある。

カリフォルニアに私より長く住んでいる日本人女性は、いみじくも「この気候が人々をダメにしている」と語った。私は「この気候は鬱になる」とも言った。

カリフォルニア州全体がアルコール中毒やドラッグ中毒になった人たちのリハビリテーション施設のような雰囲気なのである。

8年しかいない外国人の私がそう感じるのであるから、高校生のクリスティンの悶々とした鬱憤たるや、察するに余りある。

舞台がカリフォルニアでなくとも、自分の生まれ育った土地に嫌気がさし、広い大海に飛び出てみたくなるのは、思春期の子たちやや思春期を経験した大人であれば、誰もが理解できる渇望だ。

そんなクリスティンは、ボーイフレンドを作ろうと男子に接近する。最初のボーイフレンドは所属する劇クラブ仲間のダニー(ルーカス・ホッジズ)。思いやりがあり、色々なことを話せて、育ちも良い富裕層の男の子で、クリスティンにとっては理想の相手である。

しかしダニーには秘密があった。ひょんなことからダニーの秘密を知ってしまったクリスティンだが、自分がショックを受けているにも関わらず、ダニーに優しく手を伸べる。

クリスティンが次に目をつけたのは、やはり上位カーストにいるバンドマンのカイルだ。カイルと初体験をするクリスティンだが、カイルが嘘をついていたこともあって、カイルへの気持ちは冷めてしまう。

クリスティンにはちょっと肥満で冴えない旧友のジュリーがいるのだが、クリスティンは上位カーストのジェナと友達になりたくて、ジェナに近づく。そのせいでジュリーはクリスティンと距離を置いてしまう。

高校のプロムにはカイル、ジェナとそのボーイフレンドと向かうことになる。ジェナやカイルは「クリスティンて weird(変な奴)」と表現するものの、富裕層の子らしくwhatever メンタリティなので、ジェナを邪険にすることもなく、普通にツルんでいる。

プロムに行く途中、かねてから憧れていた隣の芝生がそう青くないことも知ったクリスティンは、自分の居場所はここにあらずと気づき、ジュリーの元に向かって仲直りする。

クリスティンは成績優秀でもなく、家庭は財政的に困窮しているので、たとえ行きたくてもイエール大学に行くことができないことを知っている。それでも自分の可能性を信じているので、現実的なアドバイスをする母親とことごとくぶつかる。

クリスティンの父同様、クリスティンの母はとてもクリスティンを愛しているので、現実を見てベストな道を選択するように説くのだが、若くて将来に希望を持ったクリスティンは自分の可能性を試したいのだ。 

そんなわけで東海岸の大学にもいくつか願書を提出したところ、コロンビア大学でウェイトリスト(補欠)に入ることができた。ただし母には内緒。父は相談を受けて協力している。

東海岸の大学に願書を出していたなんて青天の霹靂だった母は、ひどくショックを受け、クリスティンが必死に話しかけるも、まともに話ができず、沈黙するのみ。

その後コロンビア大学から音沙汰がないので実家から1時間半ほどのデイビス大学に進学することにしたクリスティンだが、忘れていたころにコロンビア大学から繰り上げ合格の通知をもらう。

父はクリスティンの奨学金と、家のローンのリファイナンスで、なんとかクリスティンがコロンビア大学に入学できるように資金繰りをする。

クリスティンが合格通知を受けてから流れるBGM「This Eve of Parting」がまたピッタリの歌で、クリスティンを車で空港に送り届ける母が沈黙を貫き、バックに太陽が映し出されるところと重なるんですよ!これ凄いよ。

Flesh cries out, "Don't move, don't leave me"

Conscience runs till out of breath

Sunrise pregnant with your leaving Creeping in like certain death

John Hartford - This Eve of Parting

頑なにクリスティンの決断を拒む母の気持ちが痛いほど伝わってきて、私は涙を流さずにはいられなかった。母として子どもが巣立つことは輝かしいことだが、まだ小さい娘を持つ私には、この歌のように娘が離れていくことはある意味「死」としか思えない。

そんな母が寸前で思い返して空港に引き返し、クリスティに駆け寄っていく姿に心から共感してしまい、自分のことのように泣いてしまった。

クリスティンが大人に成長したことがわかる細かい描写がなんといっても優秀だった。

自室のピンク色の壁の落書きを白のペンキで塗りつぶすシーンは、クリスティンがついに少女から大人として羽ばたく象徴的なシーン。

店の試着室で母に「愛してくれているのは分かってる、でも私のこと好き?(I know you love me, but do you LIKE me?)」というシーンはまさに大人から大人への質問であって、クリスティンは娘としてではなく一人の人間として、自分の性格や決断、生き方を母が好いてくれているのかどうかが知りたいのだ。

そんな大人へと変遷するクリスティンの質問に戸惑い、躊躇してしまう母。この鮮やかな妙技に思わず唸ってしまう。

ニューヨークで新生活を始めてから、泥酔したためにERに運ばれたクリスティンが目を覚まして起き上がった先には、貧困層と思われるアジア移民の母子の姿があった。

地元サクラメントで憧れの上位カーストの友人とつるむことで新しい世界を覗き見たものの、隣の芝生はそう青くなかったことを理解したクリスティンは、憧れのニューヨークに行ってやはり同じ経験をするのだ。

その後クリスティンは最後の母への電話で、「ママ、初めてサクラメントに車できた時、感情的になった?私はなったわ。道路のカーブや、お店とか全部、生まれてからずっと親しんできたもの…ママ、愛してるわ、ありがとう」と伝える。

これがまた泣ける。親しんだ土地を去るとき、道路の曲がり角や店とか、なにげない日常が妙に愛おしくならないだろうか。それがたとえ「ウンザリ!」と言っていた土地であってもだ。まさしく私は今いる場所から去ろうとしているので、クリスティンに憑依したかのような感覚を受けた。

こうしてクリスティンは大人へと「立派に」羽ばたいていくのだった。

青春時代を描いた映画は数多くあれど、ここまで母娘関係をうまく描いたものは見たことがないかもしれない。しかもクリスティンは決してグレているわけではなく、健全な反抗期を見せてくれるのだ。

明るく、ポジティブに描いてくれたことで、将来、子どもの旅立ちを経験するであろう親としても、悲しいながらもなんとなく救われる思いがした。

評価:80点