ミセスGのブログ

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コロナウイルス…未曾有の有事に脆弱な国、日本

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コロナウイルスの感染拡大のため、安倍総理が全国の小中高の休校要請と聞いて衝撃をを受けております。休校措置は、感染エリアの学校だけでいんじゃない?遊びに行っちゃったら同じことだし、親が感染したら子どもだって感染しちゃうよね?

あと「要請」というのが狡猾ですよね。イベント自粛も「要請」だったし、あくまでも決定は自治体、教育委員会に任せることで、責任をとらない気が満々です。

「全力でやってます」感だけ出すものの、休校中の国民への経済支援を出すということはなく、緊縮財政は維持。コロナウイルス対策予算はシンガポール5000億円、台湾2000億円、香港3500億円、アメリカ2700億円、日本153億円…え?一桁少なくない?

そして、いまだ感染源国である中国からの訪日者を入国禁止措置していないというのは本末転倒、理解に苦しむところです。「万全を期する」て…何もやってないじゃん。

高須クリニックの高須克弥氏が中国人を入国禁止にする署名活動をしたところ、政府からの返答は「入国禁止はしない」「倒閣につながるから」ダメという返事…国民を感染から守るために感染国からの入国を止めることが何故倒閣になるのか。

日本人を守る気概がいっさい感じられない日本政府の態度に失望した人は多いのではないでしょうか。

いずれにしても消費増税の影響で10月~12月のGDPがマイナス6.3%だったところにコロナウイルスによる影響が加わり、経済面でも日本はさらに貧困化するでしょう。さらなる消費増税も思ったより早くやってきそうな気がします。

日本政府は10月~12月のマイナス経済成長を「台風の影響」としていますが、1月~3月のマイナス成長(マイナスに決まってる)を間違いなく「コロナの影響」にするでしょう。(特に設備投資がヤバイ)とはいうものの、「経済は緩やかに回復している」と大本営発表を固守するに違いありません。戦前から何も変わっていないのでは。そのくせ「二度と過ちを犯しません」みたいな表現を軽々と慰霊碑に刻印する。きわめて無責任。

なお、新年度の日本の所得に占める税率は44.6%の見通しだそうで、すでに四公六民を超えています。まもなく五公五民になりそう。

庶民に重税を課しておきながら、過去30年間公務員を減らし続け、行政サービスの人員や予算を削ってきた結果、疫病や感染病、災害などの有事に脆弱な社会体制ができあがってしまいました。

政治家は少子高齢化にも30年間手を付けることなく先延ばししてきたので、内需は減退し、中国人をメインとした外需に依存するリスクの高い国家になった。外需に頼る戦略がうまくいくのは平時に限定されており、有事の際にどうなるかは今起きていることを見れば明らかです。

そして悪化するのはこれからで、体力のない中小企業は軒並み倒産していくことも想定できる。

とはいえ、外圧に弱く、国益を考えず、有事に対応できない脆弱な政府を作り上げてしまった国民にも責任の一旦はあるわけです。

お上の言うままに増税を受け容れ、(私を含め)ネットで文句を言いながら、餓死して死んでいく。日本人は暴動を起こすことさえできないのです。

ブラジルでは2013年にバスの運賃が3レアルから3.2レアル(73円→78円くらい)に値上がっただけで国家を揺るがすような暴動が起きました。その規模200万人。

フランスでも2018年に燃料増税をきっかけに暴動が起き、増税は延期されました。

このとき日本人の多くは「民度が低い。日本人で良かった」と言っていたことに私は強い違和感を覚えました。たしかに教育水準が高い、マナーを遵守する、秩序が保たれているといった民度でいえば、日本に比肩する国は他にないでしょう。

しかし、日本人は国の命運を握る政治には無関心で、政府に丸投げ状態。過度の増税に対して暴動を起こすことができないでいる。暴動という最後の手段に飛びつかなくともストライキという手段もあるのに、それもできない。国民が政府の横暴や無能さに反旗を翻す社会ならまだ希望はあるのに、日本にはそれが感じられない。

日本人は横並びで均質的になるように育てられてきたので、波を起こすのが苦手なのです。

こういうときに社会が必要とするのはリスクテイカーだったり反骨精神がある人だが、日本はそういう人は「非常識」として排除する傾向にある。たとえばリスクテイカーの性質をもつ人物像の例としてタトゥーを入れた人がいるが、「不快なので隠してほしい」と子どものようなことを言う始末である。

マナーを他人に強要する人や他人や自分の言動に口うるさい人も同様で、「世間の常識」から逸脱する人を徹底的にバッシングし排除しようとする。マナーの強要も度を過ぎると息苦しい社会になるということを人々も少しずつ自覚しつつあるようだけど、そうした空気が社会の変革に及ぼす可能性も忘れてはならない。

ベクトルが違えば社会を変えるために必要な人物はこうした人たちなのだが、日本では世間の常識を越えて活動できる人材を日頃排除しがちなので、社会に転換が必要な時期にこうした人材がおらず変化も望めないというわけだ。

さぁ、どうなる日本。変革しないと。