ミセスGのブログ

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書評【ネット・バカ】最近の映画が説明し過ぎなのは、本からインターネットに読み物がシフトしたから

愛しのふかづめさんとたまにあーだこーだ言っていたことの一つに、最近の映画が説明しすぎという件があった。

どうもここ最近の映画は言葉で過剰説明するものが多い、登場人物の表情や背景の画、演出などで描けるようなものをわざわざ言葉に出して説明するものが多いということだ。

それはそれは丁寧に説明していて、「いや、それは別に言葉で説明しなくていいから」という物も少なくない。

これはインターネットが読み物として主流になってきた現代社会だからこそ見られる現象だ。

当初、私たちは、印刷物の書物がインターネットに取り込まれることで、電子書籍で便利に本を楽しめるようになるというメリットばかりに期待を寄せた。

インターネットが普及したおかげで、人々は検索ワードとクリックするだけで、いともたやすくお目当ての情報を得られるようになった。わざわざ重くてかさばる本を買いに行ったり、図書館に行く必要もない。

インターネットがある限り、世界中の人々が膨大な情報にアクセスできることが可能になったのだ。世界のどこにいても人々はより多くの情報を手にすることができ、より博識になる—―ところが実際はそうではなかった。現実世界では、人々の脳がまるで退行しているかのような動きを見せている。

インターネットで手軽に書物の引用や抜粋をチラ見できるようになったため、人々は本を最初から最後まで熟読する必要がなくなった。

インターネットである単語を検索してリンクをクリックすると、リンク先のページには関連情報へのリンクが埋められている。

人々は更なる知識を求めて、次々とリンクをクリックし、ページからページへと高速サーフィンしていく。

オンラインでのリーディング行動パターンは、必要な部分をかいつまんで速読するというものだ。端から端まで熟読するということはない。

その行為に集中力は必要ないし、次から次へとクリックを進めていくので注意散漫な読み方をするようになる。

バイラルメディアやSNSからの秒刻み、分刻みの速射砲による膨大な情報量と刺激を受けると同時に新着情報の通知攻撃も受ける。集中力は分断され、注意は散漫になる。

パソコンで作業をしながら、通知エリアに現れるメール通知をクリックしてメールをチェックし、SNS通知をチェックし、気になるニュースをスマートニュース朝昼晩チェックする。

ネット中毒という言葉もあるように、ネットはある種の朦朧状態を引き起こすのだ。

本を熟読したときに期待できるプロセス—内容を消化したり反映させること—がインターネットの読みでは無視される。つまり、深い読みをしなくなる。

深い読みは深い思考の一形態になる。

ネット・バカ」-ニコラス・G・カー

バラバラの情報の断片をパターン化された知識へと組織することによって、スキーマ(体系的図式)はわれわれの思考を深く豊かなものにする。

ネット・バカ」-ニコラス・G・カー

オーストラリアの教育心理学者ジョン・スウェラーはこう語っている。

「われわれの知的能力の大部分は、長きにわたって獲得したスキーマに由来している。専門的な概念を理解できるのは、それらの概念に関連するスキーマを持っているからである。」

ネット・バカ」-ニコラス・G・カー

本を読まないと馬鹿になるという意見は度々散見されるが、ニコラス・G・カー著書「ネット・バカ」の内容はそれを十分裏打ちするものである。

本を読まない人へのマウンティングだとかそういう次元の低い話は置いておくとして、私もこれには同意している。

深い思考ができないということは専門的な概念を理解できないことになるし、本質的な概念を理解できないことになる。

最近はtwitterなどSNSで他人の問題行動がアップされて炎上するのがすっかり現代社会の慣習になったが、糾弾した人や賛同して拡散をする人々は、一時的に承認欲求を満たすことには成功しているものの、そこで満足して本質に迫ることはない。本質的なことまで深く掘り下げて思考する人はごく一部にとどまっている。(書くことが仕事のブロガーの中には、事件を取り上げて検証したり意見を公開している賢者も多いのは幸いかもしれない。)

ブログの世界でもその片鱗を垣間見ることができる。書き手が本質的な概念まで掘り下げているどうかはブログを読んでいても容易に判断がつくし、そうでない人のブログは表面的であり得られるものは少ない。

脳は単なる記憶の容れ物ではなく、それは総和以上の何か新しいものを生み出す。

ニコラス・G・カーのいうように、断片化された情報を組織化・体系化することで、自己の本質、ひいては、世の中の事象の本質も見えてくるのだ。

インターネットにシフトして本を読まなくなった人々が多くなった結果、映画の内容に対する活眼を持った人が少なくなり、作り手も説明に頼らざるを得なくなった。

あるいは同じように本を読まなくなった作り手が観客の理解力、想像力と判断、洞察力を信頼できなくなった。そんなことが起きているのではないだろうか。

※なお、本書のタイトル「ネット・バカ」が著しく内容に不適切であることを指摘しておきたい。