4月7日公開のロシア映画「ラブレス」を見た感想です。
先日のアカデミー賞外国語賞ノミネート作品です。
登場人物の誰にも感情移入できなかったら、この映画は成功。暗くて寒くて憂鬱なロシアの情景に生きる破たんした家族の姿を通して、愛が欲しいけど愛することができない不幸な現代ロシア人が見えてきます。
ネタバレなし
【ラブレス】作品情報
原題:Nelyubov/Loveless
製作年:2017年
上映時間:127分
監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ(代表作:「裁かれるは善人のみ」「エレナの惑い」「ヴェラの祈り」「父、帰る」)
出演:マルヤーナ・スピバク アレクセイ・ロズィン
製作国: ロシア・フランス・ドイツ・ベルギー合作
言語:ロシア語
ジャンル:ドラマ
【ラブレス】あらすじ
大企業に勤めているボリスと美容院を営むイニヤの夫婦には、12歳の一人息子アレクセイがいるが、どちらにも新しいパートナーができて離婚協議中だった。
離婚後の生活にアレクセイを必要としない二人は、ある夜激しい口論の末に息子を押しつけ合う。翌日、学校に行ったアレクセイの行方がわからなくなり……。
サイトによって母の名がジェーニャだったりイニヤだったりしてますが、Zhenyaなのでゼーニャじゃね?
息子もアリョーシャって名前だったけど、邦訳はアレクセイなの?なんで?
【ラブレス】感想
モスクワって言ってた気がするので舞台はモスクワだと思う。ときどき merci とか言ってるので「あれ?フラ語?」と思ったら、スラングでありがとうを「メルシー」と言うらしい。
モスクワのしかも冬とだけあって、寒い、暗い、どんよりの三重苦である。南カリフォルニアの明るい青空に嫌気がさして「くっそ太陽まぶしすぎる何だコノヤロウ」と文句を言ってすまぬ。
最初から最後までこのモスクワの暗くてドンヨリした憂鬱な季節が続くので、内容とあいまってこの上なくダークで憂鬱な映画です。でもこれは監督が伝えたいこの寓喩でもあるので、雪空の枯れ木など意味のなさげな静シーンもしっかり目に刻みながら見ていくと良いでしょう。
ゼーニャとボリスの夫婦は、利己的な男女がデキちゃった結婚するとこうなるという事例の典型です。お互い外にパートナーを作っており、12歳の息子アレクセイは完全にネグレクト。二人は自分たちが不幸せなのは、息子アレクセイのせいでデキ婚したからだと信じています。
親権をお互いに押し付け合っていて、挙句の果てには互いへの罵り合いの途中で「産まなきゃよかった」とか「中絶すりゃよかった」と口走ります。息子アレクセイはこれまたよせばいいのに、夜中にそれをこっそり聞いている。
愛など微塵もないこの家族の関係は、ロシアのダークで陰鬱な情景によっても寓喩されている。
この映画は長い定点シーンが度々出てきます。枯れ木を何秒も映しているのは何故?と思って画面に近づいてよく見てみると、枯れ木の一番大事な根本の部分は腐ってポッカリ穴があいている。ちょうど家族の一番大事なコアの部分が腐ってぽっかり穴があいているように。
母のゼーニャはヒステリー女で夫ボリスの顔を見ては罵ることしかしません。それはもう毎日PMSのようなヒステリー。ところがどっこい、新しく捕まえた金持ちの男と会うために自分の美容サロンでブラジリアンワックスをして全身ピカピカに磨き上げ、思春期のように女を謳歌しています。
そんなゼーニャの「母親の顔を見てみたいもんだ」と思っていると、心配いりません、出てきますよ。
ゼーニャの母は3時間ほど車で走った人里離れた場所で孤独な独り暮らしをしているのですが、この母親がまた毒親でして、ゼーニャでさえ寄りつきません。
ゼーニャが母を訪問しても「お前なんぞ産まなきゃよかった」とゼーニャと全く同じ言葉を吐きます。
愛のない母から生まれたゼーニャは、自分の息子にも愛を与えず、愛の不在は連鎖します。
自閉症と化した無責任な父ボリスは言い返すこともしなければ自発性もなく、息子にも無感心です。息子のことより離婚したら根本主義である会社の経営者にクビにされるかもしれないとビクビクしています。息子が失踪しても「仕事中なんだが」とまるで関心を示しません。
母親失格とか父親失格とか、そういうレベルじゃない。とにかく自分のことしか考えられない、利己的な人間たちなの。
ボリスの新しい彼女マーシャはすでに妊娠していてお腹も大きいのですが、彼女もまた利己的で、大きいお腹を抱えたままボリスに捨てられるのじゃないかとビクビクしています。息子を捜索中のボリスに「昨日も今日も会いに来てくれないの?」「私のこと愛してる?」と迫る、愛のない女です。
さらに続けると、市民を守るはずの警察にも愛がありません。地元のロシア人を助けるのが仕事のはずなのに「誘拐や殺人などの犯罪をにおわせる物証がないと動けないし、できることはそうない」と冷たくあしらって、ボランティアのチームに捜索を丸投げします。
登場人物は愛のない者たちばかりです。登場人物に誰一人感情移入できないのは当たり前で、感情移入できるできないという視点では本作の本質を掴めません。感情移入させないことで、ロシアの愛の不在が叙情的に感じられるのです。
ロシア人を愛せないロシア人とロシア社会、ここが本作の意図した部分であり、監督によるロシア現代社会へのツッコミなのです。
ゼーニャやマーシャがセルフィーを撮っているシーンもあったり、高級レストランでデート中の美女が席を立った時に他の男性に電話番号を聞かれてあっさり教えて席に戻るなど、ロシアは経済的に発展したけれども愛のない社会になったという監督の意図が見え隠れします。
アメリカや日本で子どもが失踪したとなったら、家出か誘拐か事故なのかは関係ないですよね?警察もメディアも人々も協力して、必死になって子どもを探します。
が、本作ではロシアの警察が動きません。動いたのは有志のボランティアの人でした。ここもまた大きなポイントです。
有志のボランティアの人たちは極寒のなか、誰も文句を言うことなく、手際よく捜索活動を進めていきます。枯れ木が立ち並ぶクライ森の中で、幹がひび割れした木が数秒映ったあと、明るいオレンジ色のユニフォームを着たボランティアの人たちが奥の方から一人、また一人と現れます。
男の子が見つかるのか見つからないのかという視点ではなく、このボランティアの人たちがロシアに残っている愛で、まだ希望があるという視点で見るのがもう一のポイントだと思います。
2年後、ゼーニャもボリスもそれぞれ新しいパートナーと再び愛のない家庭を築いていました。
ボリスは2歳になったマーシャとの息子をあやすでもなく、邪魔に思ってリビングから動かしてバシネットに入れてしまいます。
ゼーニャの彼氏アントンがウクライナ分裂問題のニュースをテレビで他人ごとのようにぼーっと見ている傍らで、ゼーニャはスマホいじり。
スマホに飽きたゼーニャがランニングマシンに走っているときに、ジャージに大きく「ロシア」と書かれています。ゼーニャはモスクワの冬の情景をじっと見つめます。この瞬間、ゼーニャとボリスの愛のない関係と二人の愛の証が存在しないことは、愛が不在のロシアの寓喩だったのかと知ってハッとするのです。
アレクセイの部屋の改築で再び愛の不在を胸に突き付けられる一方、アレクセイが毎日見ていたであろう窓の外のモスクワの情景を見て、ロシア人のロシアへの慕情を痛烈に感じました。
ロシア人はランボ―みて一度熱くなってみたらどうだろうか。「ロシア」を失う前に。
このロシア監督の作品、実は今回が初めてでしたが、なかなか畏れ入りましたね。
「モンペがネグレクトで色恋狂い、その間に子どもが失踪しちゃう、かわいそう、ひどすぎる、子どもどうなっちゃうの」という視点で見ていると、本作の表面しか理解できず、「キャラにまったく共感できないし、何が言いたいのかよくわかんない映画だった」となってしまうので万人受けではないかもしれません。
しかし本質を掴もうとすると、細部にまで意味のあるシーンばかりの濃密な映画であり、静画像の連発でここまで表現できるのは職人的だと思いました。
いつか世界の終わりが来るなんて言うけど、経済格差がここまでひどくなって富が1%の富裕層に集中したり、SNSやセルフィーで自分大好き者が溢れたりと、フィジカルとメンタル両方で利己的な世界になった今、世界の終わりはもう来てたと見るのが正しいのかもしれんな。
評価:75点