ミセスGのブログ

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道徳の授業が一つの価値観の押し付けになる危険性

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道徳の授業が一つの価値観の押し付けになる危険性

2018年4月23日(月)に放映されたNHKクローズアップ現代(#クロ現)で、小学校で教科化された道徳の授業のワンシーンが問題になっている。

リンク先に内容の書き起こしがあります。動画も探せばあるので興味のある方は見てみてください。

“道徳”が正式な教科に 密着・先生は? 子どもは? - NHK クローズアップ現代+

 

 

道徳の授業で教えなければならない「価値」とは?

道徳の授業は今年4月から小学校で、再来年から中学校で教科化される。いじめをなくすという目的もあるようだ。

道徳の授業で教えなければならない「価値」というのがこちら。

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家族愛は無償?

番組では家族愛を教えるために「お母さんのせいきゅう書」という教本内容を使用していた。

たかし君がこなした家事に対して母親に請求書を書いて渡した。お使い代100円、お掃除代200円、お留守番代300円というように。すると母親はたかし君に「病気をしたときの看病代0円」「部屋代と食事代0円」と同じようにしてリストにして、すべて0円をつけて渡したというものだ。

この内容について、先生は生徒たちに意見を書かせる。

「母親の愛、家族の愛は無償である」という価値観を生徒に教えるのが目的のようで、狙いどおり、ほとんどの生徒たちは一つの意見に収束した。

生徒 「私はたかしにいろんなことをしている。それでもたかしにはお金をもらってないよ。」

生徒 「私の宝物はたかしだから、お金なんてもらわないよ。」

生徒 「お金はいらないから、そのかわり、たかしの成長を見せてね。」

そこで一人の男子生徒が違う意見を発表した。

男子生徒「私は0円なのよ、お母さんの気持ちになってみなさいよ。せっかく家事とかをしているのに。子どもっていいな。えらいことをするとお金をもらえるから」

ここでクラスに笑いが起きる。

先生は

「でも、お母さんは0円の請求書を渡した。お金がほしい、いいなと思うんだったら…。」

生徒 「たしかに、1円、10円、100円でも書いて渡せばいい。」

少年の意見は先生とクラスのマジョリティに否定され、少年は涙を流す。その後、少年が意見を言うことはなかった。

 

出る杭が打たれた瞬間

先生は後ほど彼の席に向かい、頭をなでてフォローしていたが、damage is doneで時すでに遅し。少年は周りと違う意見をいうと否定され、マジョリティの意見に同調しなければならないことを体で学んでしまった。

日本人の個性はこうやって潰されていく。高校や大学で他国の学生が自由に意見を発表するなかで、「周囲の意見と違ったらどうしよう」「皆と意見が違うと否定されるから言えない」と堂々と意見を言えない日本人がこうしてできあがっていくのだ。

この男子生徒は「母親の仕事も有償であっても良いのでは」というみんなと違うユニークな視点をもっているのだ。折しも母親業の大変さが現代社会で何度も取り上げられている時である。先生はそれを取り上げてみんなで議論させる、考えさせるといったプロセスを実践すべきだったのではないだろうか。多様性を重んじるとはそういうことだ。

先生だって間違っていることはあるし、教育者として違う考え方を聞き入れる必要がある。模範解答を期待するのではなく、生徒の色々な意見を聞き入れる度量、それを昇華させる技量が求められる。 

逆に生徒はというと、他の意見や先生の意見にチャレンジするくらいの果敢さを身に着けていくべきだ。これからの日本人に必要なのは、落としどころを一つの価値観にするのではなく、多様な価値観に触れ、それを当たり前と認識し、その上で自分の意見を臆することなく述べる力である。

※余談ですが、中学の頃、禁止されていた自転車通学が見回りの先生にバレて焦ったことがあったが、今になって考えてみると自転車通学を禁止している理由も特にない。「それが規則だから」と先生は言ったが、あのとき「なぜ理由がないのに自転車通学が禁止されているですか、納得いきません!自転車のほうが早く帰宅できるし、時間を有効に使えるので効率的です!」と駄々をこねるべきだったと思った。賢い皆さんはそうして欲しい。

 

「価値観の明確化」アプローチは廃れてきている

実はこのケースのように価値観を明確化する手法は過去数十年に使われてきたアプローチだが、現在は広範囲にわたって却下されている。

この先生が失敗してしまったように、教師が「価値観」を生徒に押しつけるのは不当である。周りと違う意見を勇気をもって発言したにも関わらず、議論されることもなく真向から否定されて泣いてしまったことから分かるように、生徒を抑圧することになるのだ。また、生徒たちの自主性や自律性を奪うことにもつながるだろう。

話は逸れるが、統一テストもこうした排他的で凝り固まった一面がある。統一テストは組織が反復してほしい内容をどれだけ詰め込んだか測るだけで、生徒の潜在力や未知の力が測れないからだ。

 

普遍的ではない価値観を正しいものとして教えるのは危険 

私は道徳教育自体は賛成である。でも今回のように、一つの価値観だけが正解であることを前提にした道徳教育には賛成できない。

穿った見方をすれば「生命を尊ぶ」とか「他者に暴力を振るわない」など明白な道徳規範を除き、価値観というのは主観的なものであり、何が正しいか正しくないかは本人が決めることなのだ。結婚生活ひとつとっても価値観の違いによる離婚は少なくない。そのくらい人の価値観は同一ではない。

「正直・誠実」を教えるのもいいが、嘘つきの不誠実だらけの集団に放り込まれたら、確実に利用され、騙され、痛い目に遭う。

「規則の尊重」を教えるのもいいが、時と場合によっては規則自体に疑義がある場合も少なくないので、体制やシステムをいちいち疑うことを同時に覚えさせるべきだ。

「家族の愛は無償」という一つの価値観を生徒たちに押しつけられた子どもたちは、大人になった時、飲んだくれギャンブル中毒の働かない親に再三金の無心をされても我慢して面倒を見ようとするかもしれない。家族の愛は無償だから。

また自分の母親が高齢になったときも、自分が仕事に行っている間は毎日無償で孫の面倒を見るのが当然と思うようになるかもしれない。祖母がいくら忙しくても疲れてていても、無償で面倒を見ることを期待するかもしれない。家族の愛は無償だから。