ミセスGのブログ

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アメリカ人の野人旦那に学ぶ、同調圧力や事なかれ主義の克服方法

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日本が大好きな私が、嫌いな日本の特性…

それは事なかれ主義

事なかれ主義については、過去にもいろいろ記事にしている。 

いい人過ぎてアメリカ人の旦那を怒らせる私~事なかれ主義に陥るな

「遺憾の意」砲しか出せない弱腰外交。事なかれ主義が日本を崩壊させる

久しぶりに日本に帰国してギョッとする、日本の非常識

 

事なかれ主義を英語で言うと何になるかと言うと…

- a fear of rocking the boat

- ostrich policy

- peace at any price

政府の事なかれ主義は

immobilism: (Government, Politics & Diplomacy) a political policy characterized by inertia and antipathy to change

"peace at any price" というフレーズはまことに耳が痛い

どんな代償を支払っても平和が大事という意味だ。

領海領空を侵犯されたり、世界中でトンデモない嘘を吹聴されて名誉を棄損されているのに、立ち上がりもせず、「友好」とか「平和」を盲目的に唱え続ける左翼に通じるものがある。

日常的な例でいえば、痴漢にあっても声をあげないのも事なかれ主義のひとつだ。

あるいは、交際している相手と喧嘩になるのが怖くて、自分の意見を言えないこともそうだ。

アメリカ人の旦那が日本人を批判するときのセリフはこうだ。

You guys don't know how to stand up for yourself.

stand up for というのは、文字通り、立ち上がるとか立ち向かうという意味。

自分のため、自分を守るために立ち上がることを知らない、と彼は批判している。

彼は歴史や日本の伝統をよく学んではいるが、GHQによる占領のくわしい内容までは知らない。つまり、わたしたち日本人が戦後の自虐史観に洗脳されていることまでは分かっていない。

それでも、彼の口からこの鋭い言葉が出てくるほど、私たちは平和ボケして危機意識に欠け、事なかれ主義に陥っているということだ。

日常的なことはともかく、ニュースなどで見る日本の外交姿勢は彼が正しいといわざるをえない。

 

アメリカ人の野人旦那から学ぶ、同調圧力や事なかれ主義の克服方法

むろん私とて例外ではない。

事なかれ主義から抜け切れず、アメリカ人の旦那にたびたび怒られる。

彼は事なかれ主義や同調圧力とは無縁だ。

スノーフレークが私だとすれば

彼はまさに雑草である。

ちぎろうが踏みつけようが引っこ抜こうが、何してもまた生えてくる。

私の心臓がガラスでできているなら

彼の心臓は鉄でできている。

しかし私がキツイことを言うと「母ちゃんヒドイ。傷ついた」と言うので少しイミフ。

「父ちゃん、感情あったの?」

もともとの性格が原始的ということもあるが、米軍に長らくいることもあって、彼はまさに野人と化した。

職場での彼のあだ名は、nuts(ナッツ)である。

ナッツはナッツでもマカダミアナッツとかの類ではない。

crazy のナッツである。

アメリカ人からもクレイジー認定されている野人だ。

彼は、私とタランチュラと高い所を除けば、怖いものは何もないと言う。

友達も少ない。つーか、ほとんどいない。もともと社交的でない。

でも本人は全然平気。もともと一匹オオカミだ。

とにかく事なかれ主義や同調圧力を克服したいなら、彼に学ぶのが一番だ。

では、どうしたら克服できるのだろうか。

事なかれ主義や同調圧力の対極にいる、10年間連れ添ってきたアメリカ人旦那について考察してみた。(いまさらだ。)

 

他人に嫌われてもへっちゃら

意に反して他の人に同調してしまう理由のひとつは他人に好かれたいという欲求が原因だ。

人は自分と同じ行動をする者を好きになる傾向があるので、相手の行動を真似したり、自然に同調するようになる。

他人に好かれたいと思ってなければ、相手に同調することもなくなる。だから他人に嫌われても平気な人は、この同調圧力を感じていないはずだ。

現にミスターGは他人に嫌われてもまったく平気な人だ。

それどころか

I want them to hate me.

と、わけのわからないことまで口走る。

その真意を問うと

I want them to hate me so that they leave me alone.

嫌われれば近づいて来ないから

と言う。

あんた、よっぽど周りの人間に恵まれなかったんだね。

要は他人に嫌われても平気になることが同調圧力を克服する第一条件だ。

他人に嫌われようがなんともないので、自分の意見を臆することなく言える。この野人は「こう言ったらどう思われるかな」「これ言ったら嫌われるかかな」と考えたことなど皆無だと思う。

ただし彼の場合は、極端にそっちに振られてるので、逆に困る時もある。「少しは他人がどう思うか、どう感じるか気にしなよ」と私に言われるくらいだ。ふつなら彼の領域には間違っても行かないので心配なさるな。

また、他人に嫌われても平気ということは、一人で生きていける強さがあるということだ。

日本は農耕民族だからとか、国土が狭いから近隣住民とうまくやっていかなければ生きていけなかった、とか同調する理由は諸説ある。しかし今はもう農耕で食っている人は多くないし、近隣や親せき付き合いをマメにする人も少なくなっている。一人ぼっちがなんぼのもんじゃ。

というふうに考えることはできないだろうか。

私にかんしていえば、旦那ほど強い人間ではないのだが、幼い頃から集団行動がヘタクソで、一人でいることが苦ではなかった。学生時代の教室移動も勝手に一人で行ったりして友人から「なんで先に行っちゃったの」と毎度怒られる始末。

グループ旅行の話が持ち上がって、気が乗らないからって一人だけ旅行に行かなかったりすることもあった。多少、変人扱いされてたかもしれない。しかし、いつも私を理解してくれる親しい友人に恵まれていたので別段なんの問題もなかった。

純ジャパではあるが、同調圧力はさほど感じた覚えがない。

 

面倒くさくてもその都度イチイチ対応する

アメリカ人が得意なことの一つが「声をあげる」こと。

日本では不本意に思っても「まあいいや…」とあきらめてしまうことでも、アメリカ人は声を上げる。

「でも日本で意見を言ったり声を上げると、面倒くさい人扱いされる」という意見を聞くが、それはちがう。

面倒くさい人扱いされるのは、何かが間違っているからだ。

意見を言ったり声を上げたから面倒くさい扱いされているわけではない。

断言する。面倒くさい人扱いされる原因は必ず他にある。

どうでもいい件について、自分の意見を延々と主張し続けたり、周りに同意させようとしたら、それは面倒くさい人認定される。

社内で決定したことを「でも私はこう思うので」「私の意見はこうです」といつまでもグチグチ言っていたら、それは面倒くさい人扱いされる。

プロジェクトの進捗状況のミーティングで、自分が担当する一商品の色のディテールについて意見を延々と主張していたら、それは面倒くさい人扱いされる。

正しいことだったら、舞台が日本でも、決して面倒くさい人扱いされない。

たとえば…

アメリカのお店のレジの人は、客を待たせることがけっこうある。

客の列が長くなっても、カスタマーサービスのスピードが変わらない。

そんでもってレジが空いたのに、店員同士でお喋りし始めたりする。

そんな時、すぐさま声を上げるのがうちの旦那。

レジやってくれるの、それともお喋り続けるの?どっちなの。

しかも嫌味たっぷりに言うので、いまだにゲッとか思う。

私たちの番が回ってきて、先の店員が「ハウア~ユードゥ~イングと感じよく挨拶をすると、旦那は

店員がくっちゃべって待たされて不満なこと以外はオケ。

とか平気で言う。

旦那は露骨な言い方をするので、私はいつも気まずくなってしまう。

彼みたいに皮肉までいう必要はないが、列で待っていたお客さんたちは全員同じことを思ってたはず。

日本でこのような状況になったら、思い切っていちいち声をあげてみて欲しい。

誰もあなたを面倒くさい人扱いしないはずだ。

むしろ拍手を浴びるかもしれない。

「よく言ってくれたわね~」と褒められるかもしれない。

もう一つの例。

ウォールマートの朝は、レジに店員が少ない。大型店でもレジが1つか2つしか空いてなかったりする。

その日、娘を8時に学校に送り届けた足でウォールマートに向かった。

案の定、レジは1つしか空いてなくて、客はすでに3人並んでいた。

レジの対応は言うまでもなく遅い。

そして待っている客の数はどんどん増えて行った。

か~っ、なんだよ…こんな大型店で1個しかレジあけてないってどういう経営管理してるんだよ…

と思っても言えなかったチキンなミー。近くに店員もいない。

すると以心伝心、私の後ろで待っていた黒人男性が、8mくらい離れた店員に

YO~こんな大型店でレジ1個しか空いてないヨ!

店員はみんなどこ行っちゃったのヨ!

と声を上げた。素晴らしい。

こういう日常的な細かな出来事でも、おかしいと思ったら声をあげて行くことを習慣づけることが事なかれ主義の克服方法につながる。

最後にもう1つ。

痴漢にあったら、声を上げて下さい。

みんなが声をあげるようになれば、抑止になります。

ちょこっとだけ勇気を出してみてください。

いちど言うと、慣れてきます。

ようは慣れなんです。

私も高校生の時は言えませんでした。

20代前半で「やめてください」と言うようになり

30代になったのに痴漢にあったときは「何してんですか、さっきかアァ!触るのやめてYO!」と言うようになりました。