あなたのカゴには何が入ってますかー。
「バスケット・ケース(1982年のホラー映画)」「籠の中の乙女(感想ここ)」に続くかごの中コンテンツ、今度は「瞳」ですよー。
私のかごの中には…ええとね、本とチップスが入ってました。
先日、全世界待望の「プー」映画の実写化を成し遂げたマーク・フォースター監督の作品「かごの中の瞳」のあらすじ感想です。
かごの中の瞳は9月28日に公開予定です。
【かごの中の瞳】作品情報
原題:All I See Is You
公開年:2017年
監督:マーク・フォースター
出演:ブレイク・ライブリー、ジェイソン・クラーク、イヴォンヌ・ストラホフスキー、ダニー・ヒューストン
上映時間:110分
言語:英語
マーク・フォースター監督の代表作は「プーと大人になった僕」「ワールド・ウォーZ」「チョコレート」など。
主演の盲目の女性にブレイク・ライブリー、夫役はオーストラリア出身のジェイソン・クラークで、「パブリック・エネミー」「猿の惑星」「ターミネーター:ジェネシス」などに出演している。
それからブレイク・ライブリーのチョイ出の友人役に「ハンドメイズ・テイル」のイヴォンヌ・ストラホフスキーも出てる。
【かごの中の瞳】あらすじ
幼い頃、交通事故で両親と視力を失ったジーナ(ブレイク・ライブリー)は、優しい夫ジェイムズ(ジェイソン・クラーク)とタイのバンコクで幸せな結婚生活を送っていた。
ある日、角膜手術を受けることになったジーナ。手術は成功し、右目の視力が回復したジーナは、初めて見る世界に興奮しながら、徐々に新たな人生を楽しむようになる。
一方、変わりゆくジーナの姿に不安を覚える夫のジェイムズは・・・
【かごの中の瞳】感想
おそらく、本作は、ある夫婦の愛がすれ違っていく様を描いたラブロマンス映画と誤解する人が多いはずだ。だがそれはこの映画の本質ではない。実は、これは無責任なフェミニズム映画である。
手術が無事に成功して右目が見えるようになったジーナは、青春時代に解き放たれた少女のように人生を謳歌し始める。鏡に映った自分の成長した姿にうっとりしながら、化粧をし始め、今までの冴えない洋服を捨ててカラフルで華やかな洋服を着るようになる。
と、まあここまではいいでしょう。
その後は歯車が狂ってきて、こうなります。
ジーナはそこで収まらず、南欧に住む奔放な姉と刺激的なその夫を訪れ、11歳くらいの甥と一緒に風呂に入り、パーティに繰り出し、他人のセックスを見る風俗店を楽しみ(品行方正の善人ジェームズは入店を拒否)、通りすがりの男に「ケツを触られた!」と怒り狂って喧嘩をし、これまで住んでいた家はイヤだと言って新しい家を買えと言い、近所のフェロモン男といちゃつき、最後には浮気する。
要はビッチーになるわけだ。一見しただけではビッチーは言い過ぎだと思うかもしれないが、よく聞いてみると、お尻を触られて大騒ぎして皆になだめられている時に、姉に向かって「姉さんは自分がケツを触られなかったからひがんでる」みたいなことまで言っている。
ジーナの変わりように若干引いてる夫のジェイムズ。
加えて、冒頭からずっとジーナが無数の男性と交わる妄想が挿入されていることや、ジェイムズとの営みで浮かべるジーナの不満げな表情から(ジェイムズがずっと録画した動画でジーナの顔を確認している)、ジーナにはずっと性的にも解放されたいという無意識の願望があったことが分かる。ちなみに目が見えなかった時はいつも正常位だった体位が、目が見えるようになって騎乗位に変わる。
自立したジーナは、ついに近所の男と浮気をする。
ジーナの浮気を疑うジェイムズは、ジーナの目が再び見えなくなることを望み、目薬に細工してしまう。そのためジーナはまた段々と視力を失っていくのだが、とちゅうでジェイムズの細工に気づき、目が見えないフリをするという芝居を打つ。
そんな中、ジーナの妊娠が発覚。ジェイムズに告げるが、ジェイムズは自分が無精子症であることを知っていた。つまりお腹の子は自分の子ではなく、ジーナが浮気した相手との子だ。
ジーナは目が見えないフリをしたまま、時は流れ、お腹の子はすくすく育っていく。
ジーナはコンサートを開き、歌の歌詞でジェイムズを本当に愛していたことを伝える。ジェイムズはそれに気づき、自分がジーナにしたことを悔やみ、罪悪感に苛みながら命を落としてしまう。
ジーナは去って行った近所の男そっくりの赤ちゃんを産んでおしまい。
という話なのね。
これはどういうことかいうと、目が見えるようになったことで解放されたジーナは、女性が自立して社会進出したことのメタファー。そしてジェイムズは男性の心情を表しており、ジーナの自立を喜ばしいと思うと同時におもしろくないと感じている。
ジェイムズはジーナに頼られることで自分の承認欲求を満たしており、自分の存在価値を見出している。ジーナを自分の支配下に置いておきたい、自分に依存させておきたいわけ。
究極のフェミニズム映画ってやつですよ。まぁフェミニズム映画自体は別に悪くもなんともないし、推奨されるべきテーマではあるが、問題はそのフェミニズムの描き方が現代のありきたりなパラダイムに依存していることだ。
そこでは内向的より外向的であることが良しとされ、シラフより酒を飲むことが相応しいとされ、そして性的に奔放であることが推奨される。エキセントリックでセクシュアルな義兄の描き方はあからさますぎて滑稽であった。
プールや公園で出会う知り合いのグッドルッキングな色男は性のはけ口として消費されるものであるし、ジーナは嬉々としてその定石を踏んでいく。
愛情深く、良き伴侶である男は「生産性がなく」、こざかしい細工をするヤキモチ焼きの信頼できない愚男になり果てる。
飽きたわ、こういうの。もっと融通無碍な発想はできないものかしら。
たとえば私は近眼で、コンタクトを外すとジーナどっこいの視力の悪さだ。(※メガネは冬眠の前後にしか着用しない。世間のブスに勝るとも劣らない醜悪なメガネ姿をまださらすわけにはいかないのだ。)
そんな私がコンタクトをつけて目が見えるようになったからといって内向的から外向的に変わることはないし、ケツをジジイに触られたイイ女であることをことさら大騒ぎして宣伝することはないのである。
どうせ変貌するのであれば、目が見えるようになって旦那の優しさが見えなくなっただとか、初めてみる男性具にショックを受けてセックスができなくなり夫婦仲が危機に陥るだとか、地獄耳という才能を失くしたために再び事故に遭うだとかしたらいい。
さらに悪いことには、ジーナの変化がまるで美談のように語られている。どっちかっていったらジーナは「自立したために浮気して離婚してシングルマザーになった女」が真実に近い見方であって、「自立して本来の自分を取り戻した結果、夫と別れて一人で逞しく生きていこうとする女」というのはあまりに美談仕立てにしすぎじゃないですか?
だって現実は金持ちで優しい夫に先立たれ、自分は情事の相手の子を一人で産んで育てることになっているわけですよ。いくら女性が社会進出して自立したほうが望ましい社会とはいえ、こんな結末で本当に幸せなんですか?と問いたいですよ。
そのまま陳腐なフェミニズム仕立てに持って行かずに、深いレベルで夫婦愛を描写できていたら、かなり良い映画になってたと思うんすよ。
たとえばジェイムズが愛するが故に妻を手放す決断をするとか、妻が夫の愛がどれほど深いか理解していなかったことに気づくだとか、自立して解放されても自立畑は青くなかったことに後になって気付くとか、かごの中にもういられないことに気づいて自ら去っていくだとか、ジェイムズがシャイニング状態になっちゃうとかさぁ、いろいろあるじゃない。
夫婦仲がどう転ぶか、お互いへの愛がどうなるのかを見たかったのに、途中から無責任なフェミニズム推奨映画になってしまったのが残念でした。
評価:55点