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引き寄せない法則:引き寄せの法則より大事だから覚えておこう

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引き寄せてますかー。

2000年以降、「引き寄せの法則」なるものがもてはやされ、2010年以降は道端のジェシカさんまで自分なりの引き寄せの法則を実践し、金持ちのパートナーをゲッツ?

しかし三十路を過ぎた頃から大事になるのは、引き寄せの法則ではなくて、引き寄せない法則なんですよ。知ってるかお前ら。私も知らないよ。知らないけどアメリカ生活で引き寄せないことが身を護るために大事なことだと悟ったの。

 

 

引き寄せない法則

10~20代は誰もが竹のようにしなやかな体を持っている。肌はピンとハリがあり、髪もフサフサで艶やかで、たとえ1日徹夜しても「昼に寝ればいいや」と考えてそれを実現できる体力がある。

人生はバラ色で、美味しそうな話や楽しそうな催しにあまねく赴き、イケメンイケ女やリッチピープル、有名人、大物に出会うべく耳を澄まし、引き寄せの法則を実践しようとする。

男は人脈、いい仕事、金運、いい女あるいは男を引き寄せようとし、女は金運、玉の輿、グッドルッキングガイあるいはレディを夢見る。違ったらスマン。

ところが三十路を過ぎると肌はハリを失い、髪は艶を失い、体力は落ち、以前のような機敏さや身のこなしが難しくなってくる。10代20代の頃は想像もつかないだろうが、これは本当だ。時の経過は、誰にも確実に公平にやってくる。

あなたに引き寄せられるものは金、人脈、仕事、グッドルッキングガイだけとは限らない。この世の中には悪運、借金取り、消費、情欲、犯罪者も同じように存在するので、もちろんこれらも引き寄せられる。

外見もキラキラ輝いていて体の自由がきいている頃は、引き寄せたものをさばく体力や気力がある。たとえば若いうちは海外旅行に行ってトラブルに遭っても、若さゆえになんとかそれを乗り越えることができる。最悪、多額の金を失ってもやり直しが可能だ。

しかし年を取ってくると、体のあちこちが痛み始め、目が見えなくなり、体の自由が効かなくなり、脳も劣化する。若い頃の気力や体力も削げ落ち、対応が難しくなってくる。

騙されて20歳で全財産失うのと50歳で全財産を失うのとでは切実さが違う。若ければやり直す時間が十分あるので立ち直ることができる。ところが50歳以降では死期までの時間は限られており、不可能ではないがやり直すことが難しい。年齢を経ると「金持ちを引き寄せる」確率より「金なしを引き寄せる」確率の方が高くなる。

そのため、三十路を過ぎたら「引き寄せの法則」より「引き寄せない法則」のほうが大切だ。

※「引き寄せない法則」という検索語でググってみると、牧野内なんとかさんとかいう方の書籍が出てくるが、目次を見ると宇宙がどうのと書かれているので、ここで書くこととは次元が違うと思われます。

では、引き寄せないために何をすればよいのか?

 

自分の話をしない・相手にプライベートな質問をしない

日本は国土が狭く、災害がひっきりなしに襲ってくるので、人間同士で争っている暇がない。日本人は足並みをそろえ、力を合わせて苦難を乗り切る必要があった。諸説あるが、日本人が和を大事にし、空気を読む文化であるのも、こうした地理的背景によるものが大きいだろう。一刻も早く再建復興するために、他人の顔色や機嫌を伺うことで無駄な争いを回避する必要があったのだ。

また日本人は個人主義ではなく集団主義であり、往々にして他人と比較することで自分の社会的・経済的な立ち位置や幸福度を測ろうとするきらいがある。

さらに横並びの「出る杭は打たれる」式の学校教育を受けることで、自分の基準で自分を判断せずに他人の評価によって自分を測ろうとするため、どうしても自分に絶対的な信念と自信を持つことを阻まれてしまう。

こうした理由から、世間話をつうじてお互いのふところや事情を探ろうとする傾向が強い。仕事、旦那の職業、会社名、居住エリア、不適切すぎることには年収、ローン支払額、子どもを設けるか否か・・・親しくない限り、プライバシーに関わる質問は欧米ではご法度だが、日本では世間話でこうした質問を投げかける人がいまだに多い。

このとき、バカ正直に自分の話をしてしまうと、さらに質問をされ、根掘り葉掘り聞かれてプライベートを把握されてしまう。すると、思わぬところで理由もなく恨まれたり、嫌われたり、嫉妬される恐れがある。

なぜならこうした質問をする人は個人主義者ではなく集団主義者であり、他人と比較することで自分のポジションや幸福度をはかるからだ。自分に満足し、自信を持つ個人主義者であれば、他人のことは気にならないのであまり質問しない。

質問に答えた結果、旦那の収入が相手より少なければ無意識のうちに見下されるし、自分の旦那の収入のほうが多ければ嫉妬されて悪口を言われることになる。金を持っていると思われれば金の無心をされ、物品を売りつけられたり、騙されたりすることさえあるのだ。

自分のことを話さなければ、これを回避できる。余計なトラブルを引き寄せずに済むのだ。

他人に何か聞かれたからといって何もバカ正直に答えることはない。立ち入った質問をされたらお茶を濁すかウソをついておけばいい。立ち入った質問をされるのが嫌と思う相手ならば、その後も親しくつきあう可能性はないので、たとえあとで嘘とバレても問題ない。

ママ友の付き合いでの悩みなどはこれで解決する。

以前、アメリカの家の前で男に「コーヒー飲みに行こう」と声をかけられたことがあるが、「旦那は警察官」だと嘘をついたことがある(軍の警察官なのであながち嘘ではないのだが)。家の前だったので、男にとってここに戻ってくるのはリスキーと思わせる必要があった。

またアメリカのオープンハウスで家を見に行った時は、エージェントには本当の電話番号を知らせず、一桁違いの番号を書く。こうすれば、のちほど煩わしい連絡をされることがないし、万一再会してしまっても「一桁間違えた」と弁解できる。

相手に自分の話をしてしまったり相手の身の上話を聞いてしまったりと、会話にエンゲージしてしまうと、その場から抜け出すことが難しくなる。これは「フット・イン・ザ・ドア」テクニック(※ドアに足を挟めばセールスマンの勝ち)とも言えるので、会話を円滑に進めてしまえばしまうほど、物を売りつけられる可能性が高いことを覚えておこう。

 

笑わない・無愛想にする

アメリカのショッピングモールに行くと、通路の真ん中あたりでアルメニア系がよく物品販売をしているのを目にする。スマホケースだったり、化粧品だったり、香水だったり、道行く人に声をかけてくる。

そのときうっかり目を見て笑顔を向けてしまうと、たたみかけるように相手に話しかけられて歩行を止められてしまう。つまりカモになってしまう可能性が高い。

犯罪者がカモを見つけるときは、(被害者にとっては不幸なことに)感じが良くて優しい人を選ぼうとする。優しい人は人を信用し、人を助けようとする。ときには自分を犠牲にしても他人を助けようとする。そんな人は犯罪者にとってはもってこいだ。

身近なナンパを例にとっても分かるはずだ。あなたがナンパをしようとしている時、あなたを見て笑顔を向けた人と眉をひそめた人、どちらの方がナンパが成功する確率が高いかをあなたは無意識のうちに計算し、笑顔を向けた人に話しかけるだろう。

したがって、他人に笑いを向ける人は犯罪者を引き寄せる可能性も高い。

日本人は相手に失礼のないように笑顔を見せる傾向があるが、可笑しいシーンでもないのに笑顔を見せると、余計な人たちを引き寄せてしまう可能性も覚えておこう。

前述のショッピングモールで物を売りつけようと話しかけてくる人たちの対応としては、無視するに限る。店員だけではなくどこでも言えることだが、基本的に好ましくない状況では無視を決めるのが手っ取り早い。無視が難しいなら聞こえないフリをすること。

 

嫌われても気にしない

日本人は優しい人が多いのだが、その内情は相手に嫌われたくないから優しくするというケースも多いだろう。または、周りの評価を気にするために優しい言動をとることもある。

人に優くできるというのは美徳だが、「嫌われるのがイヤだから優しくあろうとうする、感じよくする」のは危険だ。嫌われたくないがために優しい対応をすると、目的を持ってあなたに近付いてきた人はそれを見抜いて利用する。

嫌われても気にしない人は他人の評価より自分の信念を大事にするので、他人に嫌われようとも自分の心身の安全を優先する。

いちど旅行から帰ってきた時に我が家のゴミ箱に見覚えのない紙おむつが入っていたことがあった。紙おむつをしている家族はお向かいのホンデュラス人家族だけだったので、お向かいのオールドレディが「オラー(スペイン語のハロー)」と挨拶をしてきた瞬間、旦那が挨拶を無視して「うちのゴミ箱にゴミ入れてない?」と問い詰めたことがあった。彼はどう思われても気にならないようだ。

また隣に住んでいたアラフィフのビッチーなドラッグアディクトの車のバッテリーがあがったとき、彼女は以前住んでいたお向かいのイケメン男性(我が家の友人)にジャンパーを貸してくれと頼みに行ったが、彼はジャンパーを持っていなかったので、我が家の旦那が持っているから貸してもらうといいと言ったところ、ブンブンブンと顔を左右に振って去って行ったと聞いた。

彼女がドラッグアディクトであることを知っていたため直接言葉も交わしたことがないのだが、彼女が寄ってこなかったのは私たちが自然に引き寄せない法則の「嫌われても気にしない」を実践している結果なのかもしれない。

私も日本では周囲に嫌われないように気をつけていたのだが、アメリカ在住中に旦那に感化されて、嫌われても気にしない強さが大事であることを学んだ。(だからといって実践できているかと言えば完全には無理だが、少なくとも以前よりは他人に嫌われてもいいと思えるようになった。)

むしろ旦那が言う「嫌われるけどリスぺクトはされる」を実感しつつある。確かに、嫌いな相手というのは嫌いではあるけれども、うかつに馬鹿な真似をしようとは思わない。

たとえば「いじめ」は嫌いな相手だからするのではなく、自分がいじめられないように、いじめやすい相手を見つけて起こる現象である。野生動物のプレデターが弱った動物や子どもを襲うのは、嫌いな相手だからではなく、襲いやすいからだ。

 

嫌いな相手とは距離を置く

集団主義の日本では、みんな仲良くすることが良しとされ、和を乱すことは嫌われる。むりやり歩調を合わせて嫌な人とも付きあおうとするため、人間関係でストレスに悩む人が絶えない。

結論からいうと、嫌いな人とは距離を置くのがベストである。嫌いな人と無理に付き合ってもいい結果は生まれない。遅かれ早かれ、嫌いな人とは口論や喧嘩に発展する。

そもそも人は誰もが唯一無二の存在なので、考え、意見、価値観、思想、信条が同じ人は一人もいないのだ。そんなバラバラな人たちが共生するのだから、嫌いな相手や合わない人がいない方がおかしい。

嫌いな相手と仲良くしなければならない理由もない。

アメリカでの我が家は近隣にマナーの悪い家族やドラッグアディクトがいたので、もちろん挨拶をすることもなく距離を置いていたが、それでいいのだ。お互い存在は認識しているが、歩み寄ることはない。

「仲良くしなきゃいけません」を実践して距離が近くなると、必ず摩擦や争いが起こる。90年代後半からグローバルメディアやグローバル企業が推し進めている「多文化共生」は理想ではあるが、実際は摩擦や対立を生み出し、やがては暴力へと向かっていく。現実世界を見てみれば、衝突が避けられないのは明らかだ。

私たちは世界は理解しようとしても分かり合えない場所であることを認識しなければならない。腹を割って話せばわかるは嘘で、腹を割って話しても分からない人がたくさんいることを早く認識せよ。話し合っても分かり合えない人とは、問答無用で必ず距離を置くこと。

 

孤独に慣れよ

私はもともと個人主義者で、子どもの頃から集団というものが大の苦手であった。中学では友人たちと一緒にトイレやクラス移動というものが煩わしく、いつも一人で移動していたために多少変な奴だと思われていたが、幸い友人には恵まれ、今でも学友時代からの大の親友が3人いる。

集団が苦手な性格は大人になっても変わらず、社交場といえば仲のいい友人とマンツーマンで会うのがほとんどである。同窓会というものは行ったことがないし、行くのが夢でもある。

ブログ界でもオフ会なるものがあるようだ。シネ刀のふかづめさんを囲んでフリスビーとかやろうかと思う。私は行かないけどな。

飛行機での旅行はいつも一人旅だし、結婚した後も旦那と一緒に飛ぶのが死ぬほど嫌いで、娘と二人で飛ぶほうがよっぽど好きだ。映画も一人、買い物も一人が好きだ。とにかくローナータイプで、孤独の耐性が強い。

「世界が違いすぎるので」と二度お付き合いを断った今の旦那とは、共通点がなさすぎるのではと思ったものの、お互いローナータイプという点は見事に一致していたので、すこぶる居心地がいい。現在私と娘が一時的に帰国しているため、旦那とは別居中なのだが、このローナー夫婦は離れていても大丈夫だろう。でも旦那に会いたくて仕方ないので、いつまで離れていられるかは分からない。

私にとっては1人でいることはノーマルな状態なのだが、人間は社会的な生き物であり、やはり何かしらのグループやコミュニティに帰属したいと考える生き物らしい。

グループに帰属するということはそれだけ多くの他人と接することであり、それだけ異なる背景・信条・思想・価値観の人と触れあうことでもある。摩擦や諍いの可能性が増し、喧嘩・仲たがい・トラブルを引き寄せる可能性も高くなる。

他人との摩擦を減らすには、自身が孤独に慣れて、他人とつながっていなくても大丈夫と思える自信が必要だ。