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【独裁者と小さな孫】映画の感想:独裁者を躍らせたいラストシーン


独裁者と小さな孫(字幕版)


台風「チャーミー」一過しましたが、皆さんご無事で?

昨夜はチャーミーの爆風で、日本国民は眠れぬ夜を過ごしたよね。風、ハンパなかったね!

ミーも全然眠れなくてさ、WhatsAppで旦那とチャットしてたよ「怖えよ~」って。隣では小学生の娘が台風なんかどこ吹く風で爆睡してました。

チャーミーはいったん止んだかと思うと突風を繰り出すヘンテコな台風だったよね。「チャーミー、お前がすごいのはもう分かったから」と何度も呟きながら眠りに落ちました。

この10年近くは日本から離れていたけど、これほどの強風を操る台風を経験したのは今回が初めてかもしれない。いつもは「台風来てら」なんつってヘラヘラしてたんだけど、まごころから怖かったですよ。皆はどうだった?

チャーミン去ったと思ったら25号のコンリー来てるよ、コンリーが。台風は25号だけどコンリーは52歳。

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コリンファレル様も食ったとされる憎き台風コン・リー52号

さて今回はNetflixで配信されている「独裁者と小さな孫」を見た感想です。

独裁政権が陥落して独裁者が孫と逃亡する話。こんな作品あったの今知ったわ。探せばまだまだいい映画ってあるね。

 

【独裁者と小さな孫】作品情報

原題:The President

公開年:2015年

監督:モフセン・マフマルバフ

出演:ミシャ・ゴミアシュヴィリ
ダチ・オルヴェラシュヴィリ

上映時間:119分

言語:グルジア語

製作国:グルジア(ジョージア)、イギリス、フランス、ドイツ合作

ここに書いてある名前は一切覚えられないわ。

 

【独裁者と小さな孫】あらすじ

年老いた独裁者(ミシャ・ゴミアシュヴィリ)による支配が続いていた国で、大規模なクーデターが勃発。

幼い孫(ダチ・オルウェラシュヴィリ)と一緒に逃亡した独裁者だったが、政権維持を理由に無実の人々を手に掛けてきたことから激しく憎まれており、変装することを余儀なくされる。

孫にも自分が誰であるかを決して口に出さぬよう厳しく注意し、追手などを警戒しながら海を目指す。

さまざまな人間と出来事に出会う中、彼らは思いも寄らぬ光景を見ることになる。

シネマトゥデイ

 

【独裁者と小さな孫】感想

この映画のジャンルが「ドラマ/コメディ」になってるのをよく見かけるけど、コメディではないことに留意されたい。コメディじゃなくて風刺だろ!

本作に出てくる独裁国家はあくまでも架空の国。ただし革命を経験して自由な風が吹き始めたという理由で撮影場所にグルジアを選んだという。

どこの国でも起きうるという理由からも、出演者は殆ど名前が与えられていない。独裁者は「陛下」だし、唯一名前を与えられているのは孫息子のダチ、そしてダチのダンスの友人マリア、それから娼婦のマリアである。

劇中の大事なシーンは「見たいけど見たくない」シーンをブラック画面にしたり、「見たい」シーンを顔のズームアップにして観客の想像力に預けている。この辺がすこぶるうまい。

独裁国や独裁者を描いた映画はけっこうあるけれど、独裁体制が崩壊して独裁者が逃げる映画って見たことないかもしれない。独裁者と孫の視点で映画が進んで行くので、これがとっても新鮮だった。

独裁体制が1日で崩壊する様も淡々とストレートに描かれてる。陛下は孫に「命令一つで国中の電気を消すことができるんだ」と教えていて、孫に命令をさせるんだけど、最初は電気を消して点けることができるんだけど、2回目は何も起きない。そうすると電話の向こうで銃声が聞こえてくる。

次の日、不穏な空気を察した陛下は外遊という口実で妻と娘二人を国外に逃がすが、孫はダンス友達のマリアに会いたいといって陛下と残る。陛下たちの乗ったリムジンは、白亜の宮殿に戻る途中で暴徒に襲われる。

宮殿がすでに陥落したことを知り、飛行場に戻って国外に逃亡しようとするが、信頼していた元帥がクーデターを起こし、陛下たちのリムジンは軍楽隊に射撃される。

軍楽隊がパッと軍服に着替える様も鮮やかで、これが北朝鮮国家であることを願いたくなるほど。

ガソリンもつきて運転手にも見捨てられ、歩いて逃げ始めた陛下と孫はその後もなかなか綱渡りの逃亡生活を送ります。

私たち民主国家の民としては決して独裁者側の肩をもっては見るべきではないのだけれども、そんな独裁者であっても暴徒化した民衆がゾンビに見えてくるし、独裁者であっても純真な孫息子を愛する気持ちはふつうの祖父と何ら変わりがない。

そんな感じで最後まで、暴力が問題の解決にはならないことや暴力の連鎖の虚しさを教えてくれるんだけど、それがごり押しじゃないからストンと腹に落ちる。

独裁者は逃亡生活中に抑圧された人々と触れ、人々が苦しんでいたことを知るんだけど、かといって独裁者が贖罪の心を持つかというと必ずしもそうではないんですよ。海に着いた暁には孫に「もう陛下って呼んでいいよ」というし、独裁者のポジションを捨てる気はないんですよね。おそらく、また体制を立て直せると思ってたはず。

一方で反体制派の政治犯として投獄され、拷問されていた若者たちを助ける人情はちゃんと持ち合わせている。まあ変装を見破られないためにやむを得ずの行動なのかもしれないけれど。

最後のショッキングなシーンもブラックアウトしてくれたのは正解だった。息子を殺されて憎しみに燃えた母親が、独裁者をただ殺すだけでは生ぬるいので孫を目の前で絞首刑にしてから殺せと言ったり、独裁者を殺しても何にもならない、復讐は悪の連鎖を生むだけであり、民主化の道はさらに遠くなるという穏健派がいたり、黙って孫を保護しようとするサンタクロースがいたり、すべての側面を出して最後は観客へ委ねるというやり方は、独裁体制という暴力への答えを誰も持ち合わせていない現在では正しい判断だろう。

「躍らせるんだ」という最後の穏健派の言葉がリスペクトされることを願いつつ、孫の踊る姿に希望を見出したい、そんな思いが胸に広がった。

アラブの春が吹いた後に見られたように、独裁体制が崩壊したあとに力の真空ができてしまうと、人々の暮らしは圧政下より酷い側面が露呈することも、この映画ではしっかり描かれていた。

とりわけ軍事政権となると、暴力にもっとも近い人民が力を持つことになるわけだから、暴力への敷居が低くなるのは必然なのだろう。

淡々とした淡タイズムなのに最初から最後まで退屈なシーンがひとつもなく、最後まで集中して観れた映画だった。

評価:75点