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【籠の中の乙女】あらすじ&感想:ププッと笑いながらゾゾッとくる胸糞悪い映画

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籠の中の乙女(原題:Dogtooth)

 

「籠の中の乙女」を視聴した感想です。長男を亡くした夫婦が、二度と子どもを失いたくないという思いから極度の過保護になり、3人の子どもたちを自宅に幽閉して育てる話です。不穏な空気を感じながらもププッとせずにはいられない、胸糞悪い映画でした。

 

【籠の中の乙女】作品情報

原題:Dogtooth
製作年:2009年
上映時間:94分
監督:ヨルゴス・ランティモス
言語:ギリシア語
受賞:アカデミー賞外国語賞ほか
ジャンル:ドラマ、スリラー

 

【籠の中の乙女】あらすじ

ギリシャのとある一家。息子(クリストス・パサリス)と2人の娘(アンゲリキ・パプーリァ、マリー・ツォニ)は、しゃれた邸宅に幽閉され、育てられてきた。

ある日、父(クリストス・ステルギオグル)が成長した息子のためにクリスティーナ(アンナ・カレジドゥ)を家に入れる。しかし、子どもたちが外の人間に初めて触れたことをきっかけに、一家の歯車は少しずつ狂い始め……。


引用:シネマトゥデイ

 

【籠の中の乙女】感想

見始めてしばらくした感想は、また変な映画作りやがったな、でした。人によっては「なんなのこの映画」と思って映画館を立ち去ることもあるでしょう。途中で「勝手にやってろ」と思いそうになりましたが、でも最後どうなるんだろうという好奇心に勝てず、最後まで見てしまいました。

おそらく長男を亡くしたがために両親が超過保護になり、3人の子どもたちをティーンエイジャーになっても外界と遮断した世界で生活させている話です。

外の世界には化け物(ここでは猫)がいて、車でしか出れない。長男は化け物に食われて死んだ。という風にマインドコントロールされているので、たとえゲートが開いていても子どもたちは家の敷地の境界線から一歩も出ません。

物理的な洗脳だけでなく、言語も洗脳しています。たとえば「海」は「レザーの椅子」、「遠足」は「丈夫な床材」、「塩」は「電話」、「ゾンビ」は「小さい黄色い花」というように、子どもたちが何らかのきっかけで耳にした言葉を、家の中の世界の言葉に置き換えます。

言葉はもちろん感情や思想を示す手段ですので、新しく触れた言葉をすべて家の中のものに置き換えられてしまっている子どもたちには、思想や思考というものが芽生えていません。体は成熟していても、精神は3歳児のようなものです。

さらにひどいことに、こどもたちには名前がつけられていません。父、母、息子、長女、次女という「名前」だけです。

これは精神をきたしてしまった両親が極度に過保護になってしまった異常な極例ではありますが、考えてみたら自分にも思い当たる節があったりするんですよね。

たとえば娘に「セックスってなあに?」と聞かれた時のこと。娘に性的コンテンツを知られまいと、「セックスとは、ジェンダー(性別)のことですよ」と答えました。ウソは言っていませんがセックスには、もっと大きな意味がありますよね。

しかし大人へと成長する子どもたちが、このような非現実的世界で生きていけるわけもなく、子どもたち、特に長女が知的好奇心と人生探しに駆り立てられて行きます。フラッシュダンスを見た後の長女がダンスを踊るシーンは胸が痛くなりました。

結局、この子たちのように人生が未開な社会(ここでは家族という社会)では、混乱や知的好奇心が鬱積して、それがかならず表面化していくのだろうなと思いました。

これはまだ家族単位ですが、これが社会であったらどうでしょうか。ゾゾゾッときませんか。カルトや超抑圧された社会では、大なり小なりこういうことが起きていそうな気がします。

同時に、私たちが生きている社会で悩んだり人生の答えを求め続けているように、エデンの園で悩みも心配もなく生きているような彼らも、外の世界に憧れ、答えを探し、自分の人生をつかもうとするのだなぁと、人間の否定できない本能を強く感じました。

暴力的な描写は2回ほどあります。性的コンテンツがけっこう多めで、局部から何からモロ見えです。

最後の解釈はどうしたらいいのか、いまだに分かりません。

ところどころに同情しながらもプププッときてしまうシーンがけっこうあります。映画館で見てたら、ププッをこらえるのに必死だったでしょう。しかもそのシーンは深刻なシーンなのです。自分クソだな、しょせん他人ごとなんだよなと、遠いかの地で起きている抑圧された社会のことなどをふと思いました。

評価:55点

籠の中の乙女はU-NEXTで視聴できます。