ミセスGのブログ

海外ドラマ&映画の感想もガッツリ書いている、ホラーを愛する国際結婚&アメリカ在住女のブログです。

「アイ・アム・レイシスト」という旦那はレイシストなのか?

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差別について再び考えてみました。

カリフォルニアでレストランに行ってみたら、キッチンをチラッと見てみて欲しい。 そこにはほぼ100%の割合で、ヒスパニックが働いているから。

一方、表舞台でチップを稼ぐウェイターやウェイトレス、あるいは受付は、ほとんどが白人。

 

レストランで見られる偏った光景

ある日、私たちは某レストランで「なぜレストランの表舞台のウェイターやウェイトレスにはヒスパニックが見当たらず、みな白人なのですか?キッチンで働いている人はみなヒスパニックだ。これは不当差別ではないのですか?」と聞いてみたことがある。

私たちが尋ねたこの店員はウェイターではなく、やはり裏方のヒスパニック系だった。彼は

仕事に応募してもヒスパニック系は全員キッチンに回されるんです。ヒスパニックがチップをもらえるウェイターになれる確率はほとんどありません。

と言った。差別のない社会とは、誰もが同じく均等な機会を与えられる社会であるはずだが、特定の人種が全員あるいはほとんどがキッチンに回されているとしたら、これは完全に不当な差別ということになる。

レストランで表に出てくるヒスパニック系は、食事の後を片づける人だけである。

「差別は許さない」「レイシストは恥を知れ」と抗議活動がさかんな一方で、何故こうした明白な目の前の差別には誰も目を向けないのだろうか。

教育程度が低いが故に一定の職種に就けないというのなら理解できる。でもレストランのウェイターになるのに特別な技術や専門知識は要らないはずだ。高卒でも十分職務を果たすことができる。

 

「アイ・アム・レイシスト」という旦那の真実

アメリカ人の夫は自分で「アイ・アム・レイシスト」と言う人間である。しかし彼は「アイ・アム・レイシストではあるが、平等なレイシストである。白人だろうが、黒人だろうが、同族同人種であろうが、みんな平等に差別する」という。

彼にとっては、白人のクズは「レッドネック・ホワイトラッシュ」であり、黒人のクズは「ニガー」であり、メキシコ人のクズは「ウェットバック・ビーナー」なのである。ポリコレの意味がわからない彼にとっては、太っている女性は「カービー」じゃなくて「チャビー(太っちょ)」である。

言葉の悪い彼は「〇〇人はレイジーだ」「ゲイが嫌い、ほっといてくれれば何も問題ない」「不法移民は全員強制送還しろ」だの言いたい放題で私をイラつかせることも多々あるのだが、実は私は知っている。

彼が、軍隊の上司フィルを心からリスペクトしていたことを。フィルはゲイである。そのとき、米軍はまだ同性愛者を受け入れていない時だったが、フィルがゲイであることは皆知っていた。

また、こんなこともあった。基地内の広大な畑で働く出稼ぎ労働者のメキシコ人たちが字を書けないことから、必要書類をすべて書いてやったり、不要になった軍装備の革のブーツ(まだまだ全然使える)をこっそり倉庫からくすねて、ボロボロになったスニーカーの代わりに渡していたことを。

だからといって彼がレイシストではないという証にはならないが、少なくとも彼は肌の色や人種 、性的志向よりもその人個人という自分のシンプルな判断基準がベースとなっている。

彼はアメリカ人であり、アメリカに忠誠心、愛国心を抱いているが、「アメリカは世界のいじめっ子」と公言するし、何よりアメリカ人への批判が一番多い。

ある人種に好意を抱くということも特別扱いすることもない。日本人の私と結婚しているからといって、日本人を優遇するようなことはないし、日本人は素晴らしいと手放しで褒めることもない。(日本の伝統、歴史、文化、価値観などは好きだけど)

その代わり、娘に日本人としてのアイデンティティを忘れないでほしいと願っているし、日本の文化、歴史、伝統にはきちんと敬意を払っている。

おそらく彼の場合、差別の元となる恐怖心や警戒心の対象が、肌の色とか人種とかではなく、わけへだてなく誰にでも向けられているからではないだろうか。もともとシンプルで野性的な彼にとっては、人間は friend or foe(敵か味方か)である。つまり、人間なら相手は誰でも警戒心、恐怖心の対象であり、敵味方を判断する基準は肌の色よりもむしろその人次第ということなのかもしれない。

友人は、彼のことを「恐竜のように卵から生まれてきた」と描写する。そのくらい原始的な脳をしている。原始的で動物的だからこそ、人種よりも人間を見て判断しているのかもしれない。それが彼のいう公平なのだと思う。

もしかしたら、私よりも彼の方が差別をしない人間なのではないか。「レイシスト」の皮をかぶろうとする彼を見て、差別についていつも考えさせられるのである。