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【KIZU-傷-シャープ・オブジェクト】感想:至上最高にスローなドラマの衝撃のラストに絶望する

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KIZU-傷- シャープ・オブジェクト

新作ドラマ【KIZU-傷-/シャープ・オブジェクト】を見た感想です。

全8話の構成、エイミー・アダムス主演、「ゴーン・ガール」の原作者ギリアン・フリンのデビュー作をドラマ化ということで話題性十分、imdbや腐ったトマトでも評価が高いドラマですが、私には苦行ともいえる退屈なドラマとなりました。

おもしろいと感じる人も多数予想できると思いますので、機会があれば是非鑑賞してみて下さい。

 

【KIZUー傷ー/シャープ・オブジェクト】作品情報

第76回ゴールデン・グローブ賞の3部門(作品賞 主演女優賞:エイミー・アダムズ 助演女優賞:パトリシア・クラークソン)でノミネートされ、エミー賞最有力とされています。

主演はエイミー・アダムス、共演にパトリシア・クラークソンです。

「ゴーン・ガール」の原作ギリアン・フリンのデビュー作をHBOがドラマ化しました。

 

【KIZUー傷ー/シャープ・オブジェクト】あらすじ

南部特有の閉鎖的な⽂化と過⼲渉の⺟親の元で育った影響で幼少期から⼼に深い傷を負い、アルコールに救いを求め世間から距離をおいた⽣活を送る新聞記者カミール・プリーカー(エイミー・アダムズ)は、精神科の病院から退院し職場復帰してすぐ、故郷の⼩さな町で起きた残忍な連続少⼥殺⼈事件の取材を任される。

渋々⽥舎に帰り、事件を追っていくうちに⺟との⻑年の確執や⾃らの忌まわしい過去のトラウマがよみがえり、⾃⾝と葛藤しながら事件の真相を追っていく…。

KIZU-傷-公式サイト | 映画・海外ドラマのスターチャンネル[BS10]

簡単に言うと、毒親のせいで自傷行為とアル中まみれになったエイミー・アダムズが地元の少女連続殺人事件を取材するために故郷に戻り、事件の真相を追う話です。 

 

【KIZUー傷ー/シャープ・オブジェクト】感想

原作が「ゴーン・ガール」のギリアン・フリンであることは後になって知ったのだけれど、やはり私はギリアン・フリンが嫌いである。

最近みたシャーリーズ・セロン主演の「ダーク・プレイス」もギリアン・フリンが原作だということを今知って、やはり好きになれないと実感した。知らずに見たのに同じ印象を持つあたり、ストーリーに特徴のある作家なのであろう。

原作読んでないから確かな批評はできないけれど、ギリアン・フリンの作品を映画化とドラマ化したものに関しては、完全に嫌い。

ゴーン・ガールなんて巷でやけに評価されているけど、観終わってかなり憤りを感じましたよ私は。まあここはKIZU-傷-/シャープ・オブジェクトを語りたいので割愛しますけれど。

エイミー・アダムズ主演のサイコスリラーで、南部の小さい田舎町で少女が連続して殺されるダークなサイコスリラーときたら見ないわけにはいかない。エイミー・アダムスの母にはパトリシア・クラークソンが出ていて、何やら母娘の確執が凄そう、ということでワクワクする題材が揃い済みのドラマだ。

でもねだよ?

これほどノロい展開のエンタメを、私は未だかつて見たことがない。第1話ではダークな雰囲気やエイミー・アダムズの魅力もあって、「これから何かが起きるんだろうワクワク」と思っていた。

しかし第2話から第7話(全8話)までは、ほぼ何も起きない。進展しない。ウォーキング・デッドのシーズン7と8を見ているより、まだ悪い。一つだけ起きたことといえば、第2話か第3話あたりで、二人目の少女の死体が見つかったことだけだ。

2人目の少女の死体が見つかったからといって、何も起きない。白髪爺さんの保安官だか警官はひたすら受動的。他に若い刑事が一人出てくるが、警察の捜査はないも同然だ。

では第2話から第7話まで何が起きているのかというと、エイミー・アダムズがひたすら酒を飲んで、ドライブをしている。飲んだくれにも程がある。煙草を吸わせた勇気は買うが、とにかくずっと酒を飲んで行ったり来たりしているので、さすがにウンザリする。エイミー・アダムズがよくこの役を引き受けたものだ。

4話と5話あたりで、よくよく見るのを辞めようと思ったのだが、これから何かが起きるのだろうと思って見続けてしまった。あいかわらずエイミー・アダムズの飲んだくれドライブを楽しみ、ローラースケート・ガールズのケツを拝み、ボソボソ喋る脇役たちを眺めるシーンが続く。苦痛この上ない。

エイミー・アダムズの飲んだくれシーン以外は、田舎町の同じ場所が何度か映し出されたあと、エイミー・アダムズのフラッシュバックが挿入される。

フラッシュバックは文字通り閃光的で、早すぎて理解できない。リストカッターどころか体中を傷つけているエイミー・アダムズが自分を切っているシーン、血、子どもの頃の回想シーンが目まぐるしく挿入される。

登場人物はいずれも好感を持てる人がいない。パトリシア・クラークソンの存在は不愉快極まりないし、エイミー・アダムズの異父妹のアマはサイコチックだし、異父も受動的で何者なのかさっぱり解せない。

白髪爺さんの保安官はさも世間を知っているかのようなフリをしているが、何もしない役立たず。若い刑事は殺人犯を追っているのかエイミー・アダムズを追っているのか分からない。

母のアドーラ(パトリシア・クラークソン)の友人ジャッキーといえば、カミール(エイミー・アダムズ)のよき理解者になり得る存在をちらつかせておきながら、はしごを下ろすキャラだし、とにかく登場人物が全員クソ。

このようなクソのような登場人物がボソボソ意味ありげにずっとなにか喋っている。オーディオも問題があって、何を喋ってるのか分からないことが多かった。

カミールの意味ありげなフラッシュバックや町民たちのさも意味ありげなショットが第2話から第7話まで続くが、悪いことにそのどれも意味を持たないことを最終話で知ったときの絶望感こそが、本記事のタイトルで言う「衝撃のラスト」である。

ネタバレをすると、カミールの母ちゃんは代理ミュンヒハウゼン症候群を患っている。ミュンヒハウゼン症候群とは、虚偽性疾患の精神病であり、周囲の同情を買ったり、気をひくために、病気を患わっているように見せかけたり自傷行為をしたりする病気だ。

幼い頃、ある知人が学校の教科書に「ブス」とか「デブ」とか「死ね」とか落書きをされていた。また教科書がびりびりに破かれたりしていた。彼女はイジメを受けていたわけではなく、自作自演だったことが後に判明した。これもミュンヒハウゼン症候群の一種だろうと思った。

代理ミュンヒハウゼン症候群というのは、傷つける対象が自分ではなく近親者になる。母親が子どもを傷つけるケースが多く、たとえば子どもに僅かな毒を盛ってかいがいしく世話をすることで、献身的な母という注目を浴びることが動機となる。

母ちゃんが代理ミュンヒハウゼン症候群であったことは、それはそれで置いておくとしてだ。それがなぜ少女の殺人犯になってしまうのか。自分の子どもたちへの殺人と殺人未遂は確かな容疑だが、少女の殺人については、発見されたのは家にあったプライア―(歯を抜くのに使われたもの)だけで、この状況証拠だけでアドーラが少女の殺人犯にされてしまうのは突飛すぎる。

犯人の謎解きについては、1話から7話までほぼ捜査をしておらず、エイミー・アダムズの飲んだくれドライブと胡散臭い登場人物たちがさも意味深に喋っているだけなので、もう誰が犯人だろうが構わなくなってくる。

ふつうにみていれば誰が犯人かは早々に見当がつくのだが、どうやら「衝撃のラスト」が最大の武器だったようで、第8話はこれまた唐突に終わる。エンドクレジットのあとに短いシーンが入っていることに注意されたい。

アート的な雰囲気、ダークな画、スローで静かな展開、そして衝撃のラストという昨今の海外ドラマにありがちなワナに嵌まってしまった感じもする。

トゥルー・ディテクティブや The Sinnerのシーズン1という成功例もあることはあるのだが、エイミー・アダムズをもってしてもこのドラマは救えなかった。完全に過大評価。

たぶん、2時間ものの映画にしていたらイイ感じだったと思う。