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SATC続編「アンド・ジャスト・ライク・ザット」第4話:キャリーのアパート、新しい友、スタンフォード

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間断なく挿入されるWokeイズムの波が鬱陶しいけど、それなりに面白いSATC続編And Just Like That...

第4話を観た感想です。

 

And Just Like That...第4話の粗筋と感想

キャリーのアパートと新しい友人

第4話ではキャリーが古巣のアパートに戻ってきます

第1話でビッグが急逝したため、キャリーは再び独身に。ビッグとの思い出が詰まった家は売りに出し、キャリーはあのアパートに戻りました。

まぁ確かにキャリーはこのアパートがしっくりくるわよ。キャリーといえばこのアパート。このアパートといえばキャリー。

あら?ということはこのアパートは売りにだしてなかったんだ。いいわねぇ、お金持ちは。行ったり来たり、元の家もキープしたままなんて。庶民には無理なNY富裕層の日常。お金に糸目を付けない日々が清々しい。

正確にいうとお金持ちなのはキャリーではなくて(キャリーは高価な靴の買いすぎで破産寸前でしたから)ビッグでしたけど、ビッグがなくなって多額の遺産が転がり込んだでしょうから、キャリーはもうお金の心配はいりませんね。

確かどこかの記事で、このアパートの中での撮影はすべてスタジオていうのを読んだ気がする。キャリーアパートへのツアーなんかもあるけど外観だけで、中身はスタジオで拝見とかそんなような記事を。

キャリーのアパートってぐるっと一周できるようになっていて、広くはないけど一人か二人で住むなら落ち着ける部屋なんだよねぇ。クローゼットも広くて羨ましい。

キャリーとビッグの愛の巣も素敵。シーマが言っているように壁紙のセンスがいいよね。キャリーがここで「ベージュがあまり好きじゃなかったの」と言ったのは、ナターシャを意識してのことよね。ビッグも(べージュが)嫌いと言ってたし。私はベージュが好きですけど。

キャリーとビッグの家の売買を担当するのは不動産業で成功したシーマという女性で、彼女も有色人種要員として投入*されたひとり。(*SATCでは主役4人が全員白人女性ということがWOKE民に批判されていた。別にいいのに。)

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不動産業で成功しているシーマ

シーマを演じるのは「ホームランド」でソールの妻を演じたサリター・チョウドリー。ベンガル人とイングランド人を両親に持つ。

レギュラー出演と謳いつつ、リサ・ウェクスリーと同じでほぼ準レギュラー扱いよね。登場時間少ないもの。結局、リサもシーマも白人の3人あっての出演なわけだわよ。やだわーこの偽善的な対応。

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リサ・ウェクスリー扮するニコール・アリ・パーカー。アンソニー・マランティーノ曰く「黒人版シャーロット」。無理くりNYファッションに身を包む。

他に投入された二人は、キャリーのボスのチェとミランダの専攻している授業の教授ですが、教授以外はみんな存在感あるわ。

リサ・ウェクスリーは「シカゴPD」でボイトのボス役として出演していたのですが、今シーズン(シカゴPDのS9)出てきていません。ボイトといい仲になりそうだったので戻ってきて欲しいなと思っているのですが。

さて、キャリーとビッグのアパートメントの売却を担当するシーマ。実は喫煙家らしく、シーマの車に乗ったキャリーが煙草の臭いに気が付きます。

そこでキャリーが辞めたはずの煙草を1本だけ吸います。

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不動産屋のシーマに煙草を1本もらうキャリー。キャリーが元の(独身の)自分に戻ったことを象徴づける一コマ。

キャリーが煙草を辞めたのはビッグではなくエイダンが煙草嫌いだったからだけどね。

もしこれがエイダンとの愛が再燃する逆フラグということまで計算しつくされたものだったら大したものだけど、まぁ考えすぎですね。独身時代にカムバックしたことを象徴しているだけなのだと思います。

キャリーとシーマはバーでドリンクを飲みながら、シーマのマッチングアプリ体験について話します。

出会い系もすっかり市民権を得てきましたね…私は使ったことないけど。だって結婚したあとにマッチングアプリが登場してきたんだもん。でも怖がりだからどのみち使わないけどね。

えー、キャリーはシーマとビッグのアパートで会います。そこでシーマが引っ越し業者がキャリーとビッグの写真立てを倒してガラスを割ってしまったことを告白します。

これにキャリーは激怒。ガラスはビッグが何度も触れたものであり、交換すれば済む問題ではないとシーマに食ってっかかります。

これに対しシーマは「ときに人は他人の感情に鈍感で、そのことに気が付きもしない」と言います。そして「今日は私がその人物だけど、前回は貴方だった」と言います。なんのことか分からないキャリー。

マッチングアプリのことを話していたとき、キャリーが「まだ愛を探す勇気があって何よりだわ」みたいなことを言ったんですけど、そのあとシーマが表情を曇らせたんですね。

シーマは実はキャリーの「まだ」という言葉に傷ついていたというわけです。マッチングアプリをいくつも使って恋愛相手を探し続けているシーマにキャリーが「まだ」と言ったことに傷ついていました。

シーマにしてみれば「まだ(その年になっても)諦めずに愛を探しているんだ。。マッチングアプリで。。せいぜい頑張って」みたいに捉えたわけだ。

まぁ、シーマの気持ちも分からないでもないけどさぁ、キャリーは最愛の夫を亡くしたばかりなんで、そこは勘弁してやらんか?

確かにキャリーは自己中なところもあるけど、これはちょっとキャリーに同情したかな。確かに「まだ」は余計ではあったけど。

でもすべてを言い合った二人は、友人としての道を踏み出しました。

私はシーマは割と好きかも。アジア系らしく、白人女性特有の気取った感じがないというか。まぁ、SATCもとい本作の3人は特別だけど…

 

シャーロット

シャーロットは娘の遠足の計画準備をしたり夕食会の準備をしたりと社交に勤しみます。

ですが、ミランダだけではなくシャーロットの場面でもあちらこちらにWOKEイズムがさく裂します。

たとえば夕食会に招待したメンバーが白人だらけで、気が付いたら黒人はリサ・ウェクスリー夫婦だけだったので「黒人の友人がいないと思われちゃう」とか。

しかもそのためだけに2年間も口をきいていない黒人夫婦ジェンキンス家を無理くり招待します。

メッセージを4件もいれたのに返事がないからと直接押しかけ、他に計画があるというミセス・ジェンキンスに「早く切り上げて顔だけ出せない?」とか「また今度ね」というミセス・ジェンキンスに「いつもまた今度ねで終わっちゃうから是非今回の機会にやっちゃおう」みたいに言って相手を呆れさせる始末。

これが主役の3人が現代に馴染む努力をする上で空振りをしてしまう50代女性の姿に共感するというのが目的なんだとしても大失敗である。

だって誰もこんなことやらないもの。

そもそもアメリカでは同人種でまとまっていることが多く、それは無駄な摩擦を避けるためだと無意識にも皆知っているわけです。

だけどそれを無理くりレイシストに結び付け、これまで人類が踏襲してきた自然共存を差別的であるとし、多人種が不自然且つ非現実的にカラーブラインド的に交わっていなければならないと主張するのが昨今のWOKEイズムであり、それを真に受けてドラマ化しちゃってるのが本作なのである。(大衆にウケると考えているのか、それとも自分たちがプログレッシブとして人権意識に疎い大衆の目を覚まそうと考えているのか、どちらなのかは分からない。)

ミセス・ジェンキンスにこれ以上関わり合いたくないと思われたシャーロットは、学校の遠足プランを巡って争ったディアドラ(黒人)に出くわし、ディアドラ夫妻を夕食会に招待する。なお、ディアドラの夫の発音も間違える。

手あたり次第に黒人夫婦を招待しようとするシャーロットの姿に共感どころか軽蔑さえ覚える始末。

ディアドラが「夫に聞いてみる」と場を離れた隙にリサから「御免けど、明日の夕食会無理だわ」と言われるシャーロット。

そんなわけでシャーロットは舌の根が乾かぬうちにディアドラに「御免けど、翌日の朝に夫が大腸内視鏡検査があったの忘れてた~」とか言う。

黒人だからという理由で利用されるディアドア夫婦が不憫である。

こんなの余計に黒人が怒らない?

大体、主役の3人は別に2000年前後から2021年にタイムワープしたわけじゃなく、ずっとNYに住んでいたわけでしょう?それならWOKEイズムに溢れるNYでこんなぎこちない日常にならないでしょ?

これでは典型的な白人のアメリカ人女性は馬鹿ではないかと思わせてしまう危険性さえ孕んでいる。

チェはともかく、他の投入された3人(リサ、シーマ、教授)はいかにも時代精神的でプロパガンダ臭が匂う。

さて、リサ・ウェクスリー家の夕食会に意気込んで向かったシャーロットとハリー。

シャーロットはハリーに黒人有名アーティストの名前を予習させたり、記事を読ませたりと余念がない。

しかし夕食会につくなり、皆の前で黒人女性を知人と間違えるという大失態を犯す。日本人からしたら「ただ人間違いしただけなのにシャーロットはなぜ飼い犬が死んだかのような表情をしているのか」と思うことでしょう。

人間違いは日本では大したことではなく後になれば笑い話で済む話だ。科学的にも人間は他人種の顔を見分けるのが苦手ということが証明されている。西欧人にしてみたらアジア人は皆同じ顔に見えるし、アジア人にしたら西欧人の顔は見分けがつかない。うちの母ちゃんだって洋画は「みんな同じ顔に見える」と言ってるし、クリス・タッカーだって「ラッシュ・アワー」でジャッキーに「アジア人は皆同じ顔に見える!」と言って笑いを誘っていたじゃない。それを西欧人だってアジア人だってゲラゲラ笑ってたわけですよ。

しかしWOKEイズムでは他人の顔を見分けられない=他人種は同じ顔をしている=レイシストに繋がってしまうのである!恐ろしい世の中に生きてますよ、私たちは。脳の働きを無視しろと言わんばかりのこの不条理。めんどくさ。あぁ、そんなこと言ったら叱られる。でもクリント爺さんだって似たようなこと言ってるからね。

でもシャーロットはそのあとディナーテーブルでリサの義母を相手に名誉挽回。このシャーロットは格好良かった。あとThe METの重役会メンバーになってたなんて…。

シャーロットは馬鹿正直に「夕食会に招待したもののリサたちだけが黒人カップルだったからどうしようかと思った」とリサに言うが、リサが「私も実はシャーロット達だけ白人でどうしようかと思ったの」と優しくフォローしてくれる。白人女性がお馬鹿みたいやないかい。

たとえ黒人のリサがそう思ってくれたとしても、シャーロットがミセス・ジェンキンスやディアドラにしたことを正当化することはできませんよ。

 

ミランダ

ミランダと教授の二人のディナーの会話は悪くない。

成功した仕事と母親業との間で揺れる二人(教授は不妊治療中)の会話は、「不妊治療が失敗して安堵する気持ちもある」という教授の一言が恵まれた女性の我儘とも思える一方で、女性としてキャリアと母親業をいちどは天秤にかけたことがある者なら共感できるだろう。でも果たして視聴者にそこまで成功した人物がいるだろうか(裁判官になるか母親になるかで悩むだと?)…

 

スタンフォードの行方

スタンフォード役のウィリー・ガーソンが癌で亡くなったことはニュースで知っている方も多いと思いますが、そこでスタンフォードはどうなったのかという問題です。

この4話で明らかになりますが、スタンフォードはアシュリーという17歳のTikTokインフルエンサーのマネージャーとしてツアーで日本に行ったことになっています。

アンソニー:なんでこの小娘が人気があるのか分からん。でも僕は中年だし。ゲイだし。日本人じゃないし。

で大爆笑。

SATC時代と変わらずいてくれているるのはまぁキャリーとアンソニーくらいですかね。特にアンソニーはゲイなんだけどWOKEイズムにまったく染まっていないというか、さらに好感度アップ。

なお、スタンフォードはアンソニーに離婚届を置いて出ていったことになっています。

ウィリー・ガーソンが亡くなったことを知りながら観ていると悲しいですね。

心なしかアンソニー役のマリオ・カントーネも「離婚届」以上に悲し気な表情をしているように感じました。(なお、ウィリー・ガーソンはストレート男性ですが、マリオ・カントーネは現実世界でもゲイです。)