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「ハンドメイズ・テイル」シーズン5観終わった感想:トムも真っ青の俺様モス

ハンドメイズ・テイル シーズン5@Hulu

気が付いたら「ハンドメイズ・テイル」シーズン5がリリースされてました。

正直言うと、シーズン4ぐらいからエリザベス・モスのドヤ顔に食傷気味で退屈を感じ始めたドラマなんで観るかどうか迷ったんだけど、どう始末をつけるのかが気になってシーズン5も観てみました。

シーズン5はほとんど話が動いておらず、ジューン(エリザベス・モス)はカナダのまま、娘のハンナはギリアドに囚われたまま、セリーナ(イヴォンヌ・ストラホフスキー)は夫の葬式のために一旦ギリアドに帰国するが司令官どもから煙たがられてカナダに左遷された状態です。

 

【ハンドメイズ・テイル】シーズン5の感想

うわぁ…

このドラマいつからモスのドアップにこんなに依存するようになったんだろう。シーズン4でも批判したけど、シーズン5は依存度マックスよ、マックス。

モスのドアップで全てを語っているといってもいいぐらい。トム・クルーズも真っ青。

たとえばだよ、モス扮するジューンが仲間の元侍女エミリー(アレクシス・ブレイデル)の嫁のクレア・デュヴァルと話しているシーンを例にとってみますよ。

モスはエミリーに会いに自宅に向かうんだけど、そこでエミリーの嫁から「エミリーは復讐心を捨てられずギリアドに戻った」と聞かされる。(エミリーに扮するアレクシス・ブレイデルはシーズン5出演なしなので、降板したのかも)

モスと会話中のクレア・デュヴァル

 

カメラはクレア・デュヴァルからモスの顔に切り替わるんだけど・・・

かの有名なモスのドヤ顔、とにかくカメラに近い

距離感おかしい。

モスを映す時はとにかくカメラがギリギリまで寄るわけ。このあと話し相手に切り替わると上のデュヴァルを映した距離感になるの。

毎回このパターンでさぁ、トムより俺様ぶりが酷くて鬱陶しいことこの上ない。

でエンドタイトルみるとそこに「エグゼクティブプロデューサー:エリザベス・モス」の文字があったんで、「嗚呼、なるほど…」と納得するわけだ。

俳優がメガホンとると必ず自分アップになっちゃう現象にそろそろ命名してはどうか

エリザベス・モスは確かにいい俳優だと思うけど、いくらなんでもやりすぎ。

おまけに美人でもないし、内容的に表情はいつも暗いので、視聴者はずーっとこんな画面を見せられるの、苦行でしかない。

そこまで寄るか?というぐらい寄る。いっそのこと画面からはみ出してみてはどうか。

ジューン(モス)は夫ルークとモイラと住んでいて、ギリアド時代のトラウマやハンナを助け出せないことで精神的に不安定な日々を過ごす。

ジューンのこの精神アップダウンの繰り返しもしつこいし、ルークとモイラとの兼ね合いも同じことの繰り返しでえらくしつこい。

ジューン暴走→ルーク&モイラが宥める→ジューン落ち着く→新しい展開→ジューン暴走→ルーク&モイラが宥める→ジューン落ち着く→新しい展開

・・・の無限ループに上のモスのドアップを散々ぱら見せられる視聴者の気持ちをお前らは考えたことがあるんか。

ルークとモイラも鬱陶しいんだよね。ジューン、ルーク、モイラと主要キャラが誰も好きになれない。(なんならセリーナが好き)

なんかもう当初のディストピア世界で強く生き抜く女性を見ているというより、自己満のスタイリッシュなディストピア世界観描写とキャラ達を無理やり見せられている感じ。

唯一良かったのはセリーナで、シーズン5でも夫の葬式を世界中に動画配信してそこにハンナと映るという神経逆なで攻撃は健在だけど、自身が子どもを産んでその子をカナダ在住のギリアドシンパであるアラニス&ライアン・ウィーラー夫妻に奪われそう、しかも自分がウィーラー夫妻に侍女のように扱われるようになった展開はカルマ的でおもしろかった。

後半、カナダで難民排斥運動が激化するようになってきたのはずいぶん取って付けた感がした。西欧諸国の難民排斥を批判しようとするポリコレ的側面なのでしょう。

最終話で互いに子どもを連れて追われる身となったジューンとセリーナが再会し、この先二人の憎悪共感関係はどうなるのか、この点はまだ興味ある。

ギリアドもニックとローレンスがずいぶん力を持っているような感じもするので、そろそろ幕引きに向かっているんじゃないかな。飽きてきたし。