本日も新作海外ドラマの紹介いくわよ!
ご紹介するのは「1883」という西部開拓時代の西部劇ドラマです。
【1883】粗筋
時は1883年、テキサスからオレゴンを目指すダットン家と欧州からの移民たちのサバイバルを描いたフロンティア西部劇。
粗筋としてはこれだけなんだけど、実質、ダットン家の十代の娘エルサ(イザベル・メイ)のカミング・オブ・エイジ劇といってもよい。
ダットン家の父はティム・マグロウ、母はフェイス・ヒルの夫婦共演。
夫婦共演には別に異論はないんだけど、ファイス・ヒルがなぁ…
フェイス・ヒルってこんな顔してたっけ…?すごい綺麗だったのは覚えてる。
整形手術のし過ぎで、皮膚おかしくなってない?とても54歳には見えない…
外見はともかく、この人、演技向いてないよ…やっぱり歌手だなと思った。
あとフェイス・ヒルは民主党支持派で銃規制の熱心な提唱者であるのに、銃をバンバン撃ちまくって人を殺す本作に出演することに抵抗はなかったのか、そこが気になった。民主党支持派は銃規制に熱心だったりするのに、自分で道を切り開き stand groundという、どちらかというと共和党の理念を都合よく利用しているのが卑怯だよね。ジョン・ボン・ジョヴィとかさ、歌詞まるっきり共和党系なのに民主党の政治家ばかり仲良くしてたりさぁ。ポリティクスの話はここまでにしとくわ…。
さて、タイトルにもあるように、このダットン家というのはケビン・コスナー主演ドラマ「イエローストーン」のダットン家になります。つまりケビン・コスナーの曾祖父母とかに当たるわけだ。ダットン家の3世代くらい前の御先祖様がテキサス(ていうかテネシー)から北西部を目指してアメリカ横断する話です。
そこに偶々サム・エリオットとラモニカ・ギャレットが加わる。この二人はドイツ移民をテキサスからオレゴンに連れて行く用心棒的な仕事を請け負っていて、腕利きのカウボーイ人員を探している時に遭遇したのがティム・マグロウでした。
サム・エリオットとラモニカ・ギャレット、そしてダットン家の父ティム・マグロウは全員南北戦争経験者で、サムとティムは共に大尉でした(面識はなし)。
【1883】感想
はい、ではまず良いところから。
アメリカの美しい大平原、荒野、大自然を背景に無慈悲な暴力が映し出されるところがテイラー・シェリダン(脚本、エグゼクティブ・プロデューサー)らしい。
馬の撮り方も馬上の人の撮り方も上手いわ。
次いで、俳優たち。
リアルカウボーイのサム・エリオットは言わずもがな、ラモニカ・ギャレット、ティム・マグロウ、雇われカウボーイのウェイド役ジェイムズ・ランディ・アイベアは好演だった。
南北戦争後の西部開拓時代というレアな題材も好奇心をそそられる。
・・・そのぐらい?
あとは批判ばっかりになっちゃうわ、困ったな。
面白くなくはないんだよ。それなりに面白いですよ。
ただねぇ・・・
問題は脚本にあると思う。
西部開拓が舞台の人々の決死の生存劇かと思いきゃ、途中から金髪エルサのカミング・オブ・エイジ一人劇になっちゃうのよねー。
それなりにサバイバル劇は用意されているのよ?川越え、ハリケーン、盗賊、先住民の攻撃、襲撃でワゴン破壊、内輪揉めなどなど。(なにせこの移民たち、英語も分からなければ馬も乗れない、狩りもできない、ガラガラヘビも知らない、川の水をそのまま飲んじゃうような幼児みたいな人達ですから、一から十まで説明してあげないといけない。その警備責任者が口数少なめ、要点だけ言うタイプのサム・エリオットなので、とにかく序盤から勢いよく人が死んでいく。次第に文句言う人が多くなってきて、サム・エリオットが途中でティム・マグロウに任務譲渡する始末。)
でも、こういうのが面白いわけだよ。
だけど何故かエルサが馬に乗って牛追いを担当し始めてからはっちゃけ始め、主な焦点がエルサに切り替わってしまいます。
まずエルサは雇われカウボーイのイーニスとあっという間に恋に落ちて初夜を迎えた翌日に結婚する。しかしイーニスがあっけなく盗賊との戦いで殉死、その涙が乾かぬうち、助けてくれた先住民のサムといちゃつき始める。
すると突如ハリケーンが発生したため低地でサムと身を寄せ合い、やり過ごそうとする。ハリケーンが上を通過しているまさにその瞬間、「ギャー!」と叫んでいたエルサは、何を思ったか突然発情してハリケーンの最中にサムに接吻するという意味の分からなさ。貴方、一体何してるの!?KISSINGアンダー・ザ・ハリケーン!?抱き寄せ合ってたのは確かだが、そこから接吻が生まれるとは予想を遥かに上回ってきた。
そしてすぐに「アイ・ラブ・サム」とかなんとかいって即結婚というビッチぶりに仰天してしまいました。
もちろん父母は「それ愛じゃないから」と反対するのだけど、エルサの中二病は止まらない。サムと契りを交わし、コマンチ族の仲間入りを果たす。父母にまで「あの調子だと次はネブラスカで恋に落ちるな」と揶揄される始末。
コマンチ族の言語を少し教えてもらい、コマンチ族の仲間からロデオ用パンツを縫ってもらい、2021年にアリゾナ土産店で買ったかのような青色の先住民ベストを地肌に着て大はしゃぎのエルサ。
父母にはオレゴンまで牛追いの仕事は続けるが、その後はサムの元に戻ると宣言。
サムらコマンチ族はエルサたちを送り出すが、エルサはおもむろに振り返り、コマンチ語で「アイラブユー!!サム!!私のハートはここにアルサ!!」みたいな愛の詩を叫び続ける。背景にうつる移民たちの冷めた視線・・・まさかのソープオペラのような展開に寒すぎて、ここでギブアップするかと思いました。
そもそもね、このブリーチした黄色の金髪は何なの。1883年にヘアブリーチ技術があったとでもいうんか。
エルサ扮するイザベル・メイは若い頃のジェニファー・ローレンスを彷彿とさせるルックスでとても可愛いと思ったが、エルサにわざと注意が向くような水色と純白という目立つ色のドレス(他の女性たちは皆古びたアースカラーの洋服を召している)、このイエローヘア、寒いのに青のベストを地肌に纏うだけ、といった狙いすぎの演出があざとい、あざとすぎる。
ドラマとはいえ史実との乖離も甚だしく、人種差別と男尊女卑がノーマルだったこの時代に白人女性が先住民男性と結婚した例は聞いたことがないし、白人女性であるフェイス・ヒルが白人男性カウボーイたちに命令して顎で使うといったような現象は考えにくい。
とどのつまり、本作は1883年を2021年・2022年の見方で描いているウォークイズム映画なのである。
若く美しい女性が殻から抜け出し、男と同じように馬に乗り、走り、戦い、男のように相手を口説き、ベッドインする。せっかくの西部開拓史というドラマ上ニッチな題材なのに、またしてもウォークイズムを炸裂させ、余韻と重厚感を溢れさせることができたであろう作品を現代のチープなポリコレで台無しにしてしまった。それはサム・エリオットを駆使しても挽回できるような代物ではなかったのでした。
エルサのナレーションも酷い。南部訛りにしようとしているのだが、とても聞いていられないほど酷く、何故この状態でナレーションOKとなったのか不思議である。
エルサ絡みだけでなく、通貨設定もおかしかった。馬番に2ドルって高すぎでしょ。この時代、1ドルが約29ドルなので、数時間馬を見ていてもらうだけに58ドルも払っている。ティム・マグロウの馬車の荷物の見張り番に20ドルということは、一泊で470ドルも払ったことになる。蛇の油売りの万能薬だかなんだかに10ドル(290ドル)…当時の人々がこんな大金をいとも簡単に出してたはずがない。ちなみに、ラマンカがノエミに買った鏡は50ドルで、1175ドルである。
フェイス・ヒルの真っ白な歯も1883年の時代設定にはそぐわない。
それからドイツ移民と聞いていたが、移民たちがスラブ語とかセルビア語を話していたんだが、全員ドイツ人ていうわけではなかったんか?
で、肝心の「イエローストーン」のダットン家との繋がりは最終話の僅かなシーンのみしかない。なので「イエローストーン」を観ていなくても全く問題ない。
エルサに共感できる年齢にある女性だったらもっと楽しめたかもしれない。あいにく私はもう中年ですし、もう世間知らずの娘ではないので、どうしても冷めた目で見てしまいました。
面白くなくはないけど、imdbの評価はどう見ても高すぎ。
本作より「イエローストーン」の方がおもしろいという声が多いけど、実は「イエローストーン」は第1話をギリギリ我慢して観たところで、おそらく好きになれないドラマだと直感したので観ることはないと思う。たとえ世間の評価が高くても、どうしても好きになれないドラマや映画てあるんだよね。相が合わないというか。「イエローストーン」のレビューを読んだところ、第1話で私が感じた不調和そのものだったので、観なくてもいいかなと思った。
ちなみにもう1作「6666」というスピンオフが用意されているようです。