2018年の夏に帰国して9年ぶりに両親と再び同居することになったわけだが、まもなく私は帰国を若干後悔し始めた。
両親の近くにいられるのは嬉しいし、8000km離れていて年1回しか会えない孫と両親が一緒に過ごすことができることも嬉しい。普段は私たち夫婦だけなので子どももジジ・ババと一緒に暮らすことになれば、私たち以外もいるという子どもの安心感、社交的な発達、日本語と日本文化の継承も期待できると思っていた。
日本に戻ってきて1年半ほど経過したが、私はアメリカへの帰国を考えている。第1の理由は、子どもの教育問題だが、第2の理由は両親との同居が思っていたよりはるかに難しかったからだ。
親子仲はとても良いし、両親にはとても感謝している。
両親と同居できない理由
喋りっぱなしの母
老化のせいなのか何なのか、アラセブンの母がとにかく喋りまくる。近所や隣人のゴシップ話から親戚の話、仕事の話、父の話、買い物の話、欲しい物の話など、とりとめのないことをとめどなく喋りまくる。
母はもともと社交的でお喋りな人であったが、年を取るにつれてお喋りがパワーアップしている気がする。それはもう独り言のように喋っているので、娘がいつも「ねぇママ、ババは誰に喋っているの?それとも独り言?」と聞いてくるくらいだし、来日した夫も「ずっと喋ってるね」と言うくらい。
ちなみに、私が2階にいようが、トイレにいようが、所構わず喋っている。
私はいつもリビングでブログ執筆をしているのだが、書いている時でも一向に構わず話しかけてくる。これが非常に気が散ってしまうので「ちょっとうるさいから黙って」と注意すると、その後何日にも渡り、沈黙という罰を受けることになる。
私はもともとお喋りじゃなく内向的なので、自分から喋ることはあまりないので、必要以外は言葉を交わさないという冷戦状態が続く。息が詰まる。こうした理由から、迂闊に注意ができない。
ちなみに1つ何かを言うと10返ってくる上に、絶対に自分が正しいと思っている人なので、極力意見の衝突を回避している。しかし、数日前に私がたまらず声を荒げてしまい、それから冷戦が続いている。
口論の原因は些細なことだ。雨が続いていたので、ガスストーブで洋服を乾かしていた。しかしほぼ1日サンルームに吊るしてあった湿った洗濯物は生乾きなので雑菌が繁殖しやすく、そのあとガスストーブで乾かしても生臭さが残ることがある。特にコットン100%の厚手のバスタオルやハンドタオルは、顔を拭いたときにムワンと臭いニオイがしてそのまま洗濯機行きということも多い。
ガスストーブの前のバスタオルの位置を変えながら「…臭いんだよなー」と私が一言つぶやくと、母は機関銃のように「臭くないよー!ちゃんとこうしてストーブで乾かせば大丈夫だよ!!なんたらかんたら」といつものようにトークを始めた。
臭くないって何なんだよ。いつもとは言わないけど、臭かったことを経験しているから言ったんじゃないか。母の轟轟トークが大きな声で(声もデカイ)耳に入ってきて、これからあと9もトークが流れるのかと思った私は我慢ができず「あーもういい!もういい!!もういい!!!」と爆発してしまった。
私はハッと我に返るが、父がビックリしたような顔をしていた。私は父に「なんだその口の利き方は!」と怒られるかと思ったが、父は何も言わなかった。父も母の口のうるささにきっと辟易しているのだろうと思った。
母は黙りこくった。
2日間経過したが、冷戦は続いている。
通常は10日間~2週間ほどで冷戦は終結するのだが、毎回のことなのでもうウンザリしている。
父の愚痴が止まらない母
小さい頃から父の愚痴が止まらない母である。確かに父は威勢はいいが自分で何もできないタイプで、自営業のくせに自分は何もせずほぼ母任せ、家でも何もしない。バチェラー友永よろしく、脱いだものも床に置きっぱなしで、孫に注意される始末だ。
そのため、母が会社の金のやりくりから家のことまですべてをこなす。典型的な家父長制である。
母の苦労と心労は相当なもので、私は小さい頃から母が父の愚痴を言うのを見ながら育ってきた。その傾向は変わらず、今でも父がいないときはずっと父の愚痴を話す。娘の私には言いやすいのだろう。
母親に父親の愚痴を聞かされて育った人ならお判りになると思うが、子どもにはかなりストレスである。
そんなに文句があるなら「直接言えばいいのに」と言うと、「言えるわけないでしょ!言ったら怒鳴って大変よ!」と言う。
もとはといえば若い時に少しずつ更生させていれば、今のようなひどい状態にはなってなかったのでは?夫を恐れて対峙せずに自分ですべてしてきてしまったツケなのでは?団塊世代の親とジェネレーションXの子の夫婦関係を単純比較するのは酷なのだろうか。
対話できない団塊世代の両親
前述のように、父に言いたいことを言えない母なので、両親は大事なことを話し合うことができないでいる。
母が2時間離れた病院に行くとき、送迎できる人がいなかったことがあった。私は娘の送迎があって間に合わないので、普段は我が家から2時間近く離れた親せきがわざわざ来て送迎してくれていた。
私は母に電車での行き方を事細かく説明した。父も母も車ばかりで電車には乗らないので、電車の乗り方が分からない。
父はというと…なんとその日は大好きなゴルフに行くという。おかしいだろ、それ。ゴルフと妻とどっちが大事なんだよ。父に言おうかとも思ったが、二人の夫婦関係に口を突っ込むのも嫌なので、父のそばで電車での行き方を母に説明するにとどめた。
父がいないとき、母に「なんで事前に『この日は病院だから連れていって』と頼まないのか」と聞くと、「3か月も前からカレンダーに書いてあったわよ!ジジだって分かってたはずだわよ!」と言う。
しかし、私と母の電車の乗り換え講座を延々と繰り返すのを見た父は、ゴルフをキャンセルしたらしく(キャンセルできたのかよ)、母に送迎すると伝えたそうだ。
私は「誰も行けないときだってあるんだから、大事な話はしとかなきゃダメだよ…。最初からこの日が病院だからね、と言っとけばいいじゃない。ああなたたち夫婦はどうでもいいことは沢山話すのに、何故大事なことは話さないの」とだけ言ったが、母は「今さら無駄。話して分かる人じゃない」と身も蓋もないことをいう。
さらに両親は自営業なので、会社という運命の共同体でもある。父は自分が興した会社を店じまいしたくないようだが、母は不治の病を抱えていることもあって早々に店じまいしたいと考えていた。
店じまいについてはもう5年前から母が周りにこぼしていたことだったが、5年経っても店じまいの様子は見られない。それどころか父が毎年一千万近い設備投資をしたりする。
要するに二人で事業をどうするかについて全く対話がなされてないようであった。挙句の果てに、アメリカにいた私に母が電話をかけてきて、私から父にメールでいいから事業をやめるように進言してほしいという。そんな大事なこと、自分で言えよ。
私はメールで、母の病気のこと、母が生い先短いかもしれないから孫と過ごせるように一旦帰国すること、事業をやめないと母しか分からないことがたくさんあって父自身が困ることを伝えた。
父はようやく店じまいについて考えるようになった。
私が日本に帰国して、娘の手術を終えて自宅に帰ってきた頃、めずらしく両親の話し声が聞こえてきた。父が「俺だってやめなきゃいけないのは分かってる。お前がやめたいのも十分分かってる。だが、いますぐパッとやめられるものではない」と話していたので、私は心の中で「母よ、今が話すチャンスだ」と思ったのだが、母の口から言葉が出ることはなかった。何故、対話ができないのだろうか。。
私と夫は何から何までとことん話し合うタイプなので、両親の関係が理解できない。もちろん意見の相違でぶつかり合うことは多いが、健全な関係を築く上でコミュニケーションは一番大切だし、何より胸中に言いたい事や不満を溜め込んでしまうのは、夫婦関係だけでなく自分の精神を侵食してしまう。
結果、母は子に愚痴を吐いてストレス発散するようになり、子がストレスを受けることになる。
幸い、私たち夫婦は互いへの不満は互いにぶつけるので、同じ轍は踏まないことだろう。
日用品の選択の衝突
細かいことだが、日常生活における選択の不一致がけっこう同居のネックになる。たとえばこんな様子だ。
母は嗅覚過敏で、洗濯洗剤や柔軟剤の匂いを嫌う。私も匂いには過敏なほうで、デパートの化粧品売り場にいくと息を止めてしまうし、香水もダメなタイプ。だけど洗剤や柔軟剤についてはうっすら香りが残るぐらいがちょうどいい。
なぜかと言うと、洗濯しても体臭や脂の匂いはどうしても衣服に残っているので、それをカバーするためにうっすら香りが残っていて欲しいのだ。(とはいえ、強いニオイのものはやっぱり受け付けないのだが)
アメリカではコスコのPBであるKirklandのラベンダーの洗濯洗剤が気に入ってよく使用していた。これはそこまで匂いも強くなく、かといって全然匂いがしないわけでもないので私にはベストだった。
しかし母にはこれもアウト。そういうわけでまったく残り香のない洗濯洗剤・柔軟剤を使うしかない。
さらにアメリカのBed Bath & Beyondで購入してきたハンドソープやバスジェル、ハンドクリームなども使えない。母がすぐに嗅ぎつけて「くさい!頭がいたくなっちゃう!おおーくさい!もう耐えられない」と言うからだ。
また、キッチンはもちろん母の仕様になっているため、私にはどの調味料がどこにあるのか探すのに一苦労だし、食材も豊富にストックしてあるものの乱雑に格納してあるので私にはどこに何があるのかさっぱり分からない。
日用品の取り回しが自分の好きなようにオーガナイズできないというのは、主婦にとっストレスなものである。
干渉
もともと過干渉の母なので、結婚してもそれは変わらない。私への干渉はおろか、孫への干渉も多い。「前髪が長いので目に入る、切らなきゃダメ」と言い出すとずっと言っている。さらには「おかしいよ、幽霊みたい。お友達に変だって言われるよ」とか言う始末。
我が家の子育て方針として「人と違うことを恐れないように、自分らしくありなさい」というものがあるので、「第三者にどうこう言われる」からというのを自分の選択や行動の動機にして欲しくないわけだ。
しかし親の世代は世間体や他人からどう思われるかを重要視する世代なので、他人の目をダシにしてそういうことを言う。娘も多少飽き飽きしてきたのか「わたし、ほかの子の言うことは気にしないから」と返答している。
なんのことかは忘れたが、ほかにも孫と私に延々と小言を言っていたときがあって、そのときは思わず「口出ししないで」と言ってしまった。もちろん、その後10日間くらい、冷戦が続いた。
さらに私の頭をみて母が「あんた何かここハゲになってるんじゃない!?ダメだよ白髪抜いちゃ!おかしいよ」とも言われた。「多少ハゲになっているのは、私が抜毛症という自傷行為をやめられないからであって、そもそも少女時代に貴方たちがしっかり私を見ていれば私の身に性的暴行は起きておらず、ハゲになることもなかった」と言い返したい衝動に駆られたが、年いった母にそれを言うのは気の毒だと思い、「ほっといて」とだけ返した。
価値観の違い
ジェネレーション・ギャップによるものが大きいと思うが、やはり団塊世代とジェネレーションXの価値観の違いは大きい。
たとえば団塊世代にとっては家は資産だが、ジェネレーションX以下の年齢層にとって家はもはや負の遺産でしかない。終身雇用が崩れ、いつリストラされるか分からず、年金も退職金も貰えない中で数千万の借金を背負うことがいかに危険なことかを若者は知っているが、団塊世代の両親は理解していない。
そのため、両親はいつも「家は持たなきゃ。家賃なんか払ってたら勿体ない」という考えであり、「お先真っ暗の日本で家買うなんて怖すぎる」と考える私と話しても平行線のままだろう。
また、「自分の墓なんかなくてもいいかも…」という私の本音を、墓に数百万も出した両親に知られたら、きっと、ぶったまげるに違いない。「戒名なんか坊主の娯楽費だよ」と言ったら不届き者扱いされるだろう。
実家の近くには寺があるのだが、寺の修復費で町内会の人たちがそれぞれ寄進した。当時、私の両親は100万円を寄進していた。そんな両親は兄夫婦に「5万の寄進は当たり前」というが、きっと兄夫婦は「そんな余裕ない」というのが本音だと思う。
自分の家ではないという感覚
両親の家は半分は私名義なので、いずれ子である私が受け取るようになる。しかし今は両親の家なので、私はどうしても自分の家とは思えずにいる。
20代後半の頃、仕事にも慣れて独立してある程度の社会的ポジションを手に入れたあと、強烈に思ったのは「自分の城を築きたい」ということだった。
その数年後、旦那と結婚することができた。
生まれた巣を旅立つときは筆舌に尽くしがたい恐怖と寂しさに襲われたが、アメリカで素朴ながらも自分たちだけの居住空間を手にし、少しずつ自分の城を築いていったことが幸せだった。
今はその城がない。
私はどうしても自分の城が欲しい。
まとめ
独身時代から連続して両親と住んでいるならいざ知らず、いちど親元を離れ、配偶者と新しい家族を築いたあとの出戻りというのは、なかなか厳しいことに気が付いた。
義両親との同居は嫌だけど実両親なら、という人も中にはいると思うが、いちど古巣を離れた人にとっては思いのほか厳しいことを知ってもらいたい。
新しい巣を作ると、自分のライフスタイルが確立していく。家具調度品、ベッド、リネン類は何にするか、どうレイアウトするか、キッチンの収納はどうオーガナイズするか、冷蔵庫の中はどうオーガナイズするか、ビニール袋はどう管理収納するか、調味料はどこに置くか、トイレ掃除のクリーナーは何にするか、洗剤は何にするか、洗濯はいつするか…といったことはすべて自分の選択である。古巣に戻るということは、自分の選択とは異なる家に住むことになるわけである。
換言してしまえば、同居では人生をコントロールできない。自分の人生を管理できない状況ということになる。私にとって自分の人生をコントロールすることは非常に大事なことである。アメリカにいたときは夫と娘しかいない状況で(友人知人はいるが)ときに大変なこともあったが、自分たちだけでやり遂げたという自信にもつながったし、何より自分たちの人生をコントロールしているという実感があった。古巣を離れた自由には責任が伴うが、その責任を全うすることで得られる幸福感があった。近いうちに、私はきっとまた巣から羽ばたいていくことになる。
愚痴って御免なさい。母ちゃん、父ちゃん、長生きして下さい。