【ヴァイキング~海の覇者たち】シーズン6第7話です。
前回はエモーショナルで衝撃的な回でした。
重要メインキャラの1人がヴァルハラに向けて旅立ちます。
以下ネタバレ注意
【ヴァイキング~海の覇者たち~】シーズン6第7話あらすじと感想
前回のエピソードで、賊の襲来を返り討ちにしたラゲルサは手負いの身でカテガットに戻る。もちろんグンヒルドは「回復してから行ってはどうか」と正論を説くが、相手はヴァイキングきっての盾の乙女ラゲルサ。行くと云ったら行く女なのである。
ラゲルサはカテガットに到着。落馬しながらも、降りしきる雨の中を這って進む。
そこへアル中ヤク中PTSDの廃人と化したヴィットゼルクが現れる。ヴィットゼルクは地面を這うラゲルサをサイコな不具弟アイヴァーと勘違いして刺し殺す。
預言通り、ラゲルサはラグナルの息子によって殺されてしまった。勘違いで。悪気はなく。
まぁ無理くり「母の仇」と動機を後付けできることは出来るが、ヴァイキングを観てきた視聴者ならヴィットゼルクがラゲルサに殺意を持っていなかったことは誰でも知っている。
だがいずれにしてもスカンジナビア半島一の盾の乙女ラゲルサはヴァルハラに向かって旅立ってしまった。
今回の第7話はラゲルサを偲ぶ会である。
カテガット民に愛されてきたラゲルサなので、特別な葬儀が執り行われる。
ラゲルサひとりでヴァルハラに送るのは寂しいので人間の生贄が捧げられる。
人身御供。「ヴァイキング」でお前たちが一番嫌いな儀式のやつだ。
山羊でさえ生贄にするのが嫌なのに人間を生贄にするなんて意味が分からない。
こいつらはいつになったら「生贄は無意味」ということに気が付くのだろうか。人的資源や家畜を無駄にする方が共同体にとってダメージが大きくね?
まぁ生贄の是非は置いとくとして、ラゲルサのために神々に捧げられるラッキーガールはこの方です。(立候補制)
名前は「ギーダ」と言います。
ラゲルサの娘と同じ名前ですね。きっと母ちゃんがラゲルサの熱狂的なファンで、ラゲルサの亡き娘の名をとって付けたのでしょう。
なお、生贄にはほぼ全員が挙手するのですが、その中に妊娠中のトービもいました。
トービの人生を振り返ってみましょう。トービは元々シーズン2のボルグ首領の嫁でした。ボルグ首領はカテガットを襲った罪で血のタカ刑に処され、嫁のトービはラグナルに助命されました。
その後ホリック王の息子エルレンデールの嫁にされDV被害者となり、ビヨルンに救出されましたが、今度はビヨルンの浮気虫で離婚し、ウベと結ばれるという波乱万丈な人生を送っています。
最終的に夫として最も理想的で男気のあるウベと夫婦になったので幸せを掴むことができました。
トービは最初はか弱い女性でしたが、エルレンデールが夫だった頃からラゲルサの傍で生きてきました。ヴァイキングの遠征に参加して男たちと戦い、ラゲルサの傍でカテガットを守ってきました。
歴代の女性たちが一人また一人と消えていく中で、なんだかんだでここまで生き延びてきたトービは凄い。誰が生き残るかを考えたとき、トービが生き残ることを予想できた人はいなかったんじゃないかしら。
トービとラゲルサの絆は母娘にも似たものがありました。お互いを信じ合い愛し合っていたので、ラゲルサのいない世界に生きるのは無意味とトービが考えるのも無理はありません。
そういうわけでトービは自分が生贄になると立候補をしたのですが、トービは妊娠していますしアサ(ビヨルンとの間にできた娘)もウベもいるので、グンヒルド閣下は勿論「ダメです」と却下します。
さて、ギーダは「生贄に選ばれて超ラッキー」とは言うものの、いざ「死の天使」を目の前にすると若干すくみ足に。
死の天使「・・・怖い?」
怖いわ。
死の天使というか悪魔や。人殺しや。
生贄の儀式に、こんなのいたっけ?
まぁいいや。生贄の儀式もグレードアップして「死の天使」役なる人殺し役をぶっこんできたのでしょう。
ぶっとい剣で刺されるギーダのうめき声と表情がめっちゃリアルで怖かったです。
さぁ、無事(?)生贄の儀式が終わり、いよいよラゲルサの葬儀が執り行われます。
トービ、グンヒルド、ウベがラゲルサに最後の別れを言います。
グンヒルドの唇の形が美しい。
ビヨルンはギリ葬儀に間に合いました。
ラゲルサと生前に再会することは叶わなかったけれど、少なくとも最後のお別れを言うことができたのがせめてもの救いだった。
そしてビヨルンが母ラゲルサへ最後のお別れを言うシーンは、アレクサンダー・ルドウィグのベストシーンだった。
号泣必至のシーン。母への強い愛が伝わってきた。ビヨルン、これまでの嫁や恋人たちよりも誰よりもラゲルサを一番愛していたのねー。
ビヨルンとラゲルサの母子関係は、終始強い愛と絆に結ばれていました。
葬儀のイロハはよく分からないが海に氷が張っているので盾の乙女たちが船を引っ張るとともに、射手が火矢を氷上と船にむかって放つ。すると船は激しく燃え始め、氷も割れて船が少しずつ進み始める。
ラゲルサの葬儀は殆ど台詞はないものの、美しい情景を背景にカテガット民の哀悼、寂寥、敬愛といった強い感情が画面を埋めていて、寒いけど胸アツなシーンでした。
ラゲルサの最期に相応しい荘厳で素敵な葬儀です。
またこれがさぁ、独りで敵の手中で死んでいったラグナルと対照的なんだわ。とはいえ二人とも見事な死に様というか悔いなく死んで行ったよね。
ビヨルンの娘アサがスタコラサッサーと氷の上を歩き始め、氷下の海を覗くと・・・
海中にワルキューレ*の姿が。*ワルキューレ…北欧神話において、戦場で生きる者と死ぬ者を定める女性、およびその軍団。
沈んでいくにつれ、若くなっていくラゲルサ。
美しいィィィッ!
ラゲルサが海底の砂に着くと、そこでラグナルが寝ていた。
ラグナルはやけに寝相がいい。
ので、ラゲルサも横になり砂化する。
このあと二人は風化し、ヴァルハラできっと再会しているはず。
すごいロマンチック。
目頭熱女。
どうですかー皆さん。この二人を見ていると死生観について考えちゃわないかい?
真剣な話をしてしまうと、現代の日本国民は前例を見ないほどの平和を享受しているため、暴力や死といった人生の裏の部分に触れる機会が激減している。
テレビや新聞などのメディアに血や死肉が映されることもないし、地域共同体が失われた今、近所の婆さんが死んだとか村親戚が死んだので葬式前に死体に会ってくるとかそういう機会もない。
これ即ち、死ぬということはどういうことなのか、生きることと死ぬこととはどういうことなのか、死生観について考える機会を奪われていると言ってもい。
死は誰一人逃れられない運命なのに、死について考えないのもおかしな話ではないか。
「ヴァイキング」はあくまでドラマだが、死と隣り合わせの世界に生きていると否応でも死について考えざるを得ないし、彼らにとって死は生活の一部になっている。死は終わりではない。
宗教で死後の世界を定義することで死の恐怖を取り払う側面もあるのだろうな。
ラゲルサの生き方と死に方の描写には勇気をもらいました。
若い人たちにはピンとこないだろうが、中年になってくると死が近くなってくるので残りの人生の生き方について偶に考えるようになるんだ。
でもラゲルサがラグナルを愛したように自分はそこまで夫を愛しているかどうかは微妙だな・・・最近はムカついてばっかりだし。
最後に、ウベのラゲルサへのお別れの言葉も素敵だった。
「あなたは母を殺した。だが、盾の乙女ラゲルサのために私は泣く」
ヴァイキングは騎士道精神とは無縁だったけど、ウベのこの心は騎士道精神に満ち溢れていると思いませんか?
キエフ公国のアイヴァーの方では特に何も起きてません。
アイヴァーが逃がしたディアの使いの者がこっそりやってきて「ディアは無事です」と伝えてきたくらい。
ノルウェー統一王になったハーラル王はオラフに忠誠を誓わせようとするがオラフは拒否る。でもオラフは智賢なのでいつか役に立つかもしれないということでハーラルはオラフを生かす。
ラゲルサを殺したヴィットゼルクは森で凍えているところを使いの女性に発見される。