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【ガラスの城の約束】映画あらすじネタバレ感想:機能不全家族のアル中父を美化した感動作

ガラスの城の約束あらすじ感想ネタバレ

ガラスの城の約束

ハーイ皆さん、五月病と梅雨に負けず、生きてますか。生きていればいいよ、動物だって虫だって懸命に生きてるから、私の背中で。

実は先日ですね、パソコンに向っていたのだけれど、妙に背中が痒いんですよ。なんていうかこうTシャツのタグが触って痒い感覚ありますでしょ?またはTシャツの内側にできたピリングが微妙に触って痛痒いみたいな感覚、あれがずっと続いてましてね。

左右の肩とそれからたまに二の腕あたりが痒くなって困ってたんです。これはアレルギーのせいかなぁと思ってボリボリ手を伸ばして掻いていたのですが、お昼ごろになって右肩に手を伸ばしたとき(Tシャツの中ですよ)、手の先に何かに触れたんですね。

感覚的にゴミか虫のようだったので、蜂ん子かとおもって「ウェエ」と言いながら慌ててTシャツを脱ぎすてました。(昔、洗濯物の間に挟まってた蜂に何度か刺されたことがあるので)

そうしたらカメムシっぽい虫が床に落ちました。

カメムシ、それは永遠の敵。

でもカメムシともちょっと違うかもしれない。ニオイ出てなかったし。そーっと紙にのせて外に捨ててきました。

というわけで、午前中はずっとTシャツの中に虫を飼っていたことになりますね、私。

虫がとても苦手です。

それでは前置きはここまでにして、6月14日公開「ガラスの城の約束」を視聴した感想です。実話を基にしています。

主演は「ルーム」「ショートターム12」「キャプテン・マーベル」の若手実力派ブリー・ラーソン、父にウッディ・ハレルソン、母にナオミ・ワッツです。

 

【ガラスの城の約束】作品情報  

原題:The Glass Castle

製作:2017年

監督:デスティン・ダニエル・クレットン

出演:ブリー・ラーソン、ウッディ・ハレルソン、ナオミ・ワッツ

放映時間:127分

「キャプテン・マーベル」のほうが日本では先に公開されてしまいましたが、ブリー・ラーソンがこの作品に出演したのは同作品より前です。

監督は「ショートターム12」のデスティン・ダニエル・クレットン、絶対覚えられない名前です。

「ショートターム12」に次いで、ブリー・ラーソンが再び主演しています。監督もお気に入りなのでしょうね。

 

【ガラスの城の約束】あらすじ

人気コラムニストのジャネットは、恋人との婚約も決まり、順風満帆な日々を送っていたが、ある日、ホームレスになっていた父親のレックスと再会する。

かつて家族のために「ガラスの城」を建てるという夢をもっていた父レックスは、仕事がうまくいかなくなり、次第に酒の量が増え、家で暴れるようになっていった。

高校生になったジャネットは大学進学を機にニューヨークへ旅立ち、親との関係を絶とうとしたが……。

ガラスの城の約束-映画.com

 

【ガラスの城の約束】感想

ジャネット・ウォールズによる自伝「ガラスの城の約束」が原作です。

NYマガジンの人気コラムニストであるジャネットは、投資銀行に勤める男性と婚約し、公私ともに順風満帆な人生を送っていた。ある晩、タクシーに乗っているときにゴミ漁りをしている両親と再会する。

その両親がウッディ・ハレルソンとナオミ・ワッツです。世界一豪華なホームレス両親です。

再会を機にジャネットが幼少期の両親との日々を回顧しながら、現在と過去という2つの時間軸で映画は進んでいく。

私はまだ原作を読んでいないのだが、評判を聞き回ると原作の方が遥かに良い作品であるということは間違いなさそうなので原作はこれから読もうと思っている。

一説によると映画はPG13で一般向けになっているが、原作本のほうは完全に内容がRであるというから、両親の養育パフォーマンスは映画より厳しいものなのだろう。

ウッディ父とナオミ母はボヘミアン・ヒッピー夫婦で、次から次へと土地を移り変わり、税金は支払わず、定職に就かず、自分のやりたいことや夢を追うハッピーカップルである。

二人でボヘミアンしている分には一向に構わない話であるが、二人には4人の子どもがいた。娘3人、息子1人で、次女がブリー・ラーソン演じる主人公のジャネットである。

ウッディ父はアル中でろくに働かないので、一家にはお金がなく、子どもたちは常にお腹を空かせている。定住地もなく、オンボロステーションの車に家財を積んで放浪生活を送っている。

ナオミ母は絵を描くことに明け暮れているため、子どもの面倒をみない。今でいうネグレクトである。

ジャネット「母ちゃん、お腹すいた」

ナオミ「食べて1分後に消えてなくなるものと、一生残るものとどっちが大事かなぁ~?」

とかなんとか屁理屈をこねて、親としての責任を果たすことはない。

ジャネットが母ちゃんの分までホットドッグをゆで始めたところ、ガスストーブの火が洋服について火にまかれてしまいお腹に広範囲にわたって火傷も負ってしまう。

病院に見舞いにきた長男までもが頭に包帯を巻いて血が滲んでいるのをみて、担当医はネグレクトや児童虐待を疑いウッディに詰め寄るものの、ウッディは

「お前たちが高級車を運転して贅沢な暮らしをしてられるのは誰のおかげだ、あ~ん?俺たちが怪我してやってるからだろ?」

とかなんとかDQNみたいなことを言って脅し、病院の目を盗んでジャネットを抱っこして連れ去り、次の場所へ放浪するというようなその日暮らしを続けている。

ウッディはこのような自分たちの生活を「自由」と呼ぶ。私たち先進国の現代社会では、これを機能不全家族とかchild endangerment と呼ぶ。

ただ複雑な事には、この両親は彼らなりに愛していて(あるいはそう信じていて)、自分たちが正しいと信じる社会規範、道徳観、倫理観、慣習、世界観で子どもたちを育てていただけなのである。

現代の社会水準からみればchild endangermentに相当する事ばかりだが、直接暴力を振るうことはしなかったようだし、時と場所が違えば日常の光景とも言えるし、何より彼らの言う事に一理あることも多い。

ともあれ、物心がついた子どもたちは早くこの生活から抜け出そうとする。まず長女が脱出に成功する。そして次女のジャネットが家を出ることに成功する。もともと文章を書くことに才を発揮していたジャネットはやがてNYマガジンのコラムニストに就任するまでに成功する。

そして婚約者と順風満帆な生活をしていたころ、ホームレス生活を経てNYの廃墟に住んでいる両親と再会する。再会した父親と衝突するものの、余命幾ばくも無い父親への情が憎しみに勝り、最後は父親と和解してめでたしめでたし。

家族って素晴らしい。どんなことがあっても、やっぱり家族って素晴らしいものである。

・・・・と言いたいのだろうけど、そうは問屋が卸さないんだよ!

なんだこのアル中男の無理やり美化話は。

仕事をしない、金を入れない、子どもに食事を与えない、金は酒に使う、家を持とうとしない、娘を車から引きずり降ろしても酒を飲みに行く、娘を使ってポン引きする、娘の隠し金を盗む、娘の婚約者を殴る、娘の婚約者から1億借り入れようとうする(おそらく返す気はない)・・・

娘をバーで児童売春させようとしていたとき、すでにブリー・ラーソンがジャネット役を演じていたのでさほど衝撃を受けないかもしれないが、実はこのときジャネットは13歳である。それを頭に入れて映画を観てみると、見方がかなり変わってくるはずだ。

ちなみに母ナオミが演じたローズマリーもろくな母親ではなく、子どもたちが腹を空かせていたときに1人でこっそりと毛布の下でチョコレートバーを食べていたらしい。

これを美化話にする必要あるんか?

何この綺麗ごと。

映画は2つの点で大きな間違いを犯している。まず1つは上述したように、どうしようもないアル中父を美化していること。

実は両親は二人とも頭が悪いわけではなく、ジャネットの言うようにある意味では頭は良かったのである。(母は教員免許もあった。)ただ彼らの頭の良さや信条が社会に見合っていないだけなのである。

あるいは永遠のドリーマーとも言うべきだろうか。父のほうは幼い頃の性的虐待をほのめかしていたので理解できるとしても、母までもがこれほど刹那的にしか生きれないのは何かしら精神疾患を抱えているように思える。

しかしながら、これらの要因や背景を考慮しても、さすがに美談にできるかと言うと、映画を観た限りではそうそう納得いくものではない。

そして2つめはジャネットがいかにして貧困機能不全の状況から抜け出し、大学を出て、成功することができたのかというレジリエンスにフォーカスするのではなく、アル中の白人男性にフォーカスしているということ。

これだけ無能で酷い父親がいかに「頭の良い男」だったのか、「自分らしく生きる幸せを教えてくれた」のかというのは、どうしようもなく無責任で刹那的で半ば育児放棄の両親を美化した戯言であって、成功できたのはジャネットのレジリエンスと努力の賜に他ならない。

本来ならジャネットがいかにして精神的な苦悩を葛藤を乗り越えたのかにフォーカスすべきところだが、それがそっくり抜けている。

ジャネットのレジリエンスをすっかり無視して、アル中ネグレクトの白人男性を美化する描写をみると、ハリウッドはいまだ男尊社会なのだなぁと感じざるを得ない。 

それから最悪だったシーンは、父ウッディと婚約者の腕相撲のシーンで、せっかく役者がいいだけに興醒めでした。