ミセスGのブログ

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子どもの生命を危険にさらした親が処罰されないって、日本おかしいだろおい

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福井県で12月初旬から行方不明になっていた3歳の男の子、田中蓮くんの変わり果てた姿が発見された。田中蓮くんは、行方不明になった父親の会社から40km以上離れた河口岸で釣り人によって発見された。

啓蒙のため、先日書いたこの記事を改めて読んでもらいたい。

子どもを一人で放置させるのは重過失であり、不法行為であることを認識せよ

子どもの生命を危険に晒した親が処罰されない日本 

田中蓮くんのケースを振り返ってみよう。

蓮くんは、車で父親の会社に連れられて行った。この日は土曜日だったが、父親が会社にちょっとした用事があった。父親は蓮くんを助手席に残していった。蓮くんはシートベルトをしていて、父親のスマホでアンパンマンを見ていたという。車のエンジンはつけっぱなしで、ロックはかかっていなかった。

会社の建物の駐車場のうしろには川が流れていた。柵はなく、幼い子どもであれば足を踏み外して川に転げ落ちることは避けられない。3歳の蓮くんはおそらく自分で車のドアを開け、川に転落したというのが現在の見方である。

わずか3歳の蓮くんは、「危険」という概念も知らぬまま、父親の怠慢と過失によって命を落とした。父親は自身の無責任な行動を処罰されるべきである。なぜなら父親は蓮くんの生命を危険に晒したからだ。

「息子を失った悲しみに暮れる親を責めてはならない」「父親を責めるとかクソ」「子どもを失った悲しみで十分罰せられている」「追い打ちをかけるような真似をしなくても」といった人情的な意見は、人治国家で認められる意見であって、法治国家では認められるべきではない。子どもを失った悲しみと、親の過失は別ものである。

ネットを見ていても、子を死に至らしめて苦しんでるであろう父親を責めるのは忍びないのか、父親の無責任な行動を批判する声があまり聞こえてこない。父親を逮捕すべきだという声も聞こえてこない。ニュース番組やメディアでも、父親の過失責任がどうなるのかという議論さえ聞こえてこない。

先週も、横断歩道を一人で渡っていた5歳の男児が車にはねられて死亡するという痛ましい事件があったばかりだ。男の子はなんと一人でアイスクリームを買いに行こうとしてたという。

親は何をしていたのか。「親を責めてはならない、悪いのは男の子を轢いたドライバーだ」というコメントばかり耳にするが、過失はまず親にある。5歳の子を一人で外に出し、生命を危険にさらしたのは親である。5歳の子の生命を守るのは親の責任であり、それをしなかった親の怠慢と過失を問うのが当然だ。

この事件でも、子どもを失った親への同情心から親の過失を問うことが心情的に阻害されるのか、親の過失責任を問うコメントや議論がひとつも聞こえてこない。

「暗かったからね・・」「横断歩道渡ってたのに?」「5時はもう暗いから一人で外出させる時間じゃないよね」「買い物は明るいときにさせるべき」など、的外れな意見ばかりである。

よくても「やっぱり5歳で一人で行かせるのは危ないね」くらいの認識であって、危機意識が低すぎることに愕然とした。日本が平和で安全であることも大いに影響しているのだろう。

子どもを放置することに対する認識の甘さが起因して、親による子どもの放置がいっこうになくならない。子どもの心身が実際に危険に遭うまでは、放置が認められてしまっているのである。

初犯であれば実刑は免れるはずなので、こうした事件は親の過失をしっかりと認め、処罰すべきなのである。社会がそれを啓蒙していかなければ、子どもを守る法整備はいつまで経っても整わず、その間に次から次へと幼い子どもたちが犠牲になっていく。

ただでさえ少子化で国の存続が危ぶまれていく時なのに、子どもの生命を危険にさらしている親が決して処罰されないのは、あまりにも不条理だ。子どもは親の所有物でもモノでもない。子どもには人権がある。危険という概念さえ知らない3歳の子の生命を危険に晒した罪は父親にあるし、父親はその罪を問われるべきだ。

子を失った親の悲しさは子どもの人権や生きる権利より優先されるとでもいうのか。

子どもを放置することが子どもの生命を危険にさらすといった当たり前の認識が日本社会ではあまりに低すぎる。スーパーでもショッピングモールでもコンビニ前の車内でも、子どもが一人でいる場面を見かけることがある。友人の友人にも、3歳の時から一人で勝手に外に出している親さえいる。こんな親は逮捕し、親権をはく奪すべきだ。

子どもを放置することは子どもの生命を危険にさらすことであり、法律で厳しく罰せられるという社会システムを構築していかなければならないし、日本人人一人一人が意識を改革して、啓蒙していくべきだ。

田中蓮くんの死を教訓にするという意味で「田中蓮くん法」を制定してもよい。子どもを放置することが重罪であることを誰もが認識する社会にしていくべきではないだろうか。