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Hulu新作ドラマ【リトル・ファイヤーズ・エブリウェア】を観始めたのであらすじ感想

リトルファイヤーズエブリウェアあらすじ感想

Little Fires Everywhere@Hulu

Reprisal(原題)」「The Act(原題)」と面白いHuluオリジナルドラマを紹介してきましたが、再びHuluから面白いドラマが届いたので紹介します。

新作「Little Fires Everywhere」です。

ビッグ・リトル・ライズ」「モーニング・ショー」とドラマの世界に殴り込み、快進撃を続ける女優リース・ウィザースプーンがセレステ・Ngの原作に惚れこみ、映像化の話をプロデューサーに持ち込んで実写化の運びとなった作品です。

なお、リース・ウィザースプーンと対で主演する黒人女性役にはケリー・ワシントンで、ケリーの起用はリース・ウィザースプーンからの強い要望によるそうです。

 

【リトル・ファイヤーズ・エブリウェア】あらすじ

時は90年代のクリントン政権時代。

オハイオ州はクリーブランド郊外のコミュニティ「シェイカーハイツ」に、家無しの母ミア(ワシントン)と十代の娘パールが引っ越してくる。

母娘に部屋を紹介したエージェントがイリーナ(ウィザースプーン)。イリーナは富裕層で恵まれた生活を送っており、シングルマザーで貧しい生活を余儀なくされているミアに同情をする。

アメリカの中流~富裕家庭の主婦イリーナを演じるリース・ウィザースプーン

イリーナの子どもは4人。

長女のレキシーは優等生で美人(18歳位)、長男トリップは成績は悪いがスポーツマンのジョックでモテ男(17歳位)、次男ムーディは内気だが思慮深い「あなたイイ人なんだけど」系(16歳位)、末っ子のイジー(15歳位)だけは反抗的な黒羊で母親が持て余している。

リチャードソン家のご子息・ご令嬢とミアの娘パール

末っ子のイジー

いい人なんだけど系青年のムーディがミアの娘パール(可愛くていい子)と仲良くなる。パールはリチャードソン家で頻繁に過ごすようになる。

次男ムーディとパール

一方、アーティストのミアに何か通じるものを感じたリチャードソン家の黒羊イジーミアと親しくなる。

社会経済的に立場の違う二家族の糸が複雑に絡み合って文字通り火花がバチバチ、事態は思わぬ方向に進んでいく。思わぬ方向というか、豪邸が全焼するという事態に進んでいく。

 

【リトル・ファイヤーズ・エブリウェア】第1話の感想

飲酒運転をかました挙句に「私を誰だと思ってるの!?」と警官に悪態をついたことで評判がた落ちの女優リース・ウィザースプーン。決して好きではない女優だがドラマ界に進出してからの活躍が目覚ましい。

ニコール・キッドマンと共演した「ビッグ・リトル・ライズ」も大成功したし、ジェニファー・アニストンと共演の「モーニング・ショー」も好評(第1話だけは観た)で、2作とも自分よりビッグネームの女優と共演したことからもリースプーンは単にしゃくれてるだけでなく、野望溢れるやり手のビジネスウーマンである様子が伺える。

リースプーンは「キューティ・ブロンド」のように金髪の外見からカリフォルニア民ぽく見られるが、こう見えて生粋の南部育ち。読書家で、優等生でAをとることが普通だったというリース・ウィザースプーンのあだ名は「リトル・ミス・タイプA」だったという。ドラマでも実生活でもリトルばっかり付いてんな。リースプーンは自分のあだ名がついた「タイプA」というプロダクション会社の経営にも関わっている。

リースプーンが演じるのはアメリカで最初に創設されたコミュニティ「シェイカーハイツ」に住む中間~富裕層の主婦イリーナ・リチャードソン。一流のジャーナリストを夢見ていたが、子どもと家庭を優先するためにキャリアをあきらめた中年女性で、仕事はパートタイムでローカル紙にコラムを書くに留め、優しい夫と4人の子どもに恵まれ、豪邸で何不自由ない幸せな生活を送っている。

イリーナ・リチャードソンの運命は根無し草のように転々とねぐらを変えていくボヘミアンのシングルマザー、ミアと十代の娘パールに出会うことによって大きく変わっていく。

ミアと娘のパールは、イリーナとは社会経済的に何の接点もない母娘だった。ミアは黒人シングルマザーのアーティストで、「シェイカーハイツ」にやってきたときは娘と車に寝泊まりする生活を送っていた。とはいえ、ミアは悪い母親ではない(たまにレクリエーション的にドラッグをやるが)。経済的には満足いく生活を与えることはできないものの、自転車の部品を拾ってきて娘に手作りの自転車をプレゼントしてあげるなど、子どもへの愛情は確かな母である。。

ミアはどうやら隠しておきたい過去を抱えているらしく、警察に身元がバレるとマズイことがあるらしい。ミアが地下鉄に乗っているシーンで女性と仲睦まじくしているシーンもあったので、もしかしたらミアはゲイという線も考えられる。

イリーナの方はというと、末っ子イジーにだけ手こずっている。イジーは仲の良いお友達から「フリーク」と呼ばれて友人関係を解消されてしまっているので、おそらくゲイであり、それが友人に知れ渡ってしまったのだろう。(80年代後半はエイズが流行したため、90年代はLGBTへの偏見が強かった時代)

90年代の時代背景だというのをつい忘れてしまうと、第1話だけでもイリーナの言動にドキッとしてしまうことが多々ある。

たとえば間貸しする部屋を閲覧しているときに「仕事はアーティストよ」というミアに「まぁ。私はてっきり趣味的な意味でアーティストかと…プロフェッショナルなアーティストだとは…」というぎこちない返答で不安定な職業への差別心を隠し切れなかったり、ミアが家無しでボロ車に住んでるシングルマザーであるからって藪から棒に「私の家でハウスキーパー(=メイド)をしてみない?」と不躾な提案をしたりする

シングルマザーへの一方的な同情心と施しは弱者であるミアの方からみれば横柄で無礼なことにイリーナは気が付いていない。「自分は弱者に施しをしている」「善行をしている」という独善的なリベラル脳志向から脱却できないでいる。(ミアは半ばキレ気味。)

リチャードソン夫に「ホームレスの女性にいきなり我が家でハウスキーパーの仕事をオファーするのは失礼じゃないか?」と諭されると、「そう考える方こそ差別。私は恵まれない人に自分ができることをしているだけ」と返す。

夫のジョシュア・ジャクソンとは99年のクルーエル・インテンションズ以来の共演

さらには「私の娘は黒人のBFがいるし」とドヤる。長女レキシーも、自分は他人種と交流しているのだから差別心がなくリベラルだと思い込んでいる。日本でもたまに聞かれる無自覚の差別というやつ。典型的なアメリカのリベラル中流富裕家庭にみられる現象です。

著者は香港からアジア系移民2世なので、こうした差別意識も実体験してきたせいか、独善的で押しつけがましい差別意識の描写がとても上手い。

たとえば日本語を流ちょうに話す外国人にむかって「日本語がとても上手ですね」と言うのは、日本人側からしてみれば善意心で相手に好意を示す行為なのだが、言われた側からしてみると逆に差別的ととられることが多い。

日本人からしたら「褒めたのに・・・ホワイ?」と思うかもしれないが、逆の立場で外国にいた私は重々理解できる。外国人に「どこから来たの?」と聞かれて「じゃぱん、極東、日出ずる国」と答えると「英語がお上手ですね」と褒められると馬鹿にされた気がして大変不快です。わかるか。

ここ数年暴走し始めたリベラル主導のポリコレも、実は差別心の裏返しだったりする。黒人の「ブラック」を「アフリカン・アメリカン」に言い換えるということは、ブラック自体に差別心があるということの裏返しなわけで、元々「ブラック」に偏見や差別心がなければ言い換えるという発想が出ないという、そもそも論である。ブラックは「真っ黒→汚れている」というネガティブな印象を与えると言うけど、そうなると言霊のレベルになっちゃうよね。スペイン語で黒はnegro(ネグロ)なので、その言葉も狩ることになって、やがてネグロという言葉が死滅するじゃないか!

というわけで、白人と黒人の社会経済的階層が違う二つの家庭が複雑に絡み合うことになるので、あっちこっちに火花が散る(リトル・ファイヤーズ・エブリウェア)のがこのドラマである。(そのあげく本当に豪邸がファイヤーしちゃうんだけれども

端的に紹介すると「デスパレートな妻たち」のコメディ要素を抜いた政治社会的な主婦活劇というところ。

まだ第1話しか観ていないが、特筆すべきはミアの娘パールの可愛さ。母思いで心優しく、強く、素直な少女を演じている。

他方、ミアを演じるケリー・ワシントンはいちいちリアクションが大きすぎてわざとらしくて見てられない…いったいリースは何を思ってケリー・ワシントンの起用を強烈プッシュしたのか。

でもドラマは面白いのでおススメ。