ダウンタウンの浜ちゃんがテレビ番組で顔を黒塗りにしたことで騒動になっている。
twitterで浜ちゃんのブラックフェイス画像を最初に見た時の私の反応はというと「ヤバイ」だった。ヤバイの理由は2つ。まず、反射的に感じたヤバイ。そして「また日本バッシングの種が出てきた、ヤバイ」である。
どんなシーンだったのか
件の動画はどんなものだったのか。芸人たちがアメリカのポリースマンに扮するというもので、ダウンタウンの松本人志さん、ココリコの遠藤さんなどが、順番にアメリカの保安官の制服を着て格好良く登場してくる。
そして最後にダウンタウンの浜田さんが登場するのだが、彼だけビバリーヒルズ・コップのエディー・マーフィに扮している。そして、その顔は黒く塗られているというものだった。
日本人のマジョリティ意見
色々な意見を参照してみたが、日本に住んでいる日本人の方は「どこが問題なの?」「気にしすぎ」「過剰反応しすぎ」という意見が多いようだ。
タレントのフィフィさんは、このようにツィートしている。
黒く塗ると差別だと騒ぐ人達はネガティブなイメージを持ってるのかな?日焼けして黒人並みにするほど黒い肌に憧れている人もいるし、黒人ファッションも真似てる人もいる。意図によっては批判されるだろうけど、黒人に扮しただけで差別って?そう指摘する人達こそ、優劣を付けて人種を見てる気がする。 https://t.co/QGtnKapKQw
— フィフィ (@FIFI_Egypt) 2018年1月3日
人種差別だと言っている人の方こそ人種差別している、と彼女は言う。この意見に賛同する方も多い。要するに、人種差別の意図はまったくないのに、過敏に人種差別に反応することこそが人種差別だというものだ。
分かりやすく言うと「アメリカ黒人のことをブラックというのは差別的だからアフリカンアメリカンと言いましょう」という過剰なポリコレである。黒人の肌の色は黒いのでブラックで問題ないはずなのに、それを言い換えるのは黒人の肌の色を劣っているとみなしているからであり、それこそ差別的であるという見解だ。(個人的にはまったくその通りだと思う。)
これは、実は間違っていない。単一民族である日本人は、一つの人種しかなかったのだから、良くも悪くも人種差別に対する意識が低いのである。人種差別がどういうものが分からなければ、人種差別することはできない。人種差別という概念が存在しない世界で生きてきたのだから、日本人は人種差別自体が未知の領域なのだ。「日本人は人種差別しない」「日本人には人種差別心はない」という人が多いのも、実は人種差別を知らない世界で生きてきたからである。
フィフィさんはエジプト人だが、2歳の時に日本に移住しているので、中身はほぼ日本人だし、発言も日本人の思考になっていると思う。
実際、日本人が本当に人種差別しない人達なのかどうかは、アメリカのように多人種国家にならないとそれは分からない。私が考えるに、人種差別する人もいれば、差別しない人もいるはずだ。
悪意なき人種差別
渡米してまもなく、人種に関するナイーブな質問でたまにアメリカ人の夫を怒らせることがあった。日本で生きてきた私にとっては人種差別というのは未知の領域なため、自分の質問や意見が現地でいかにアホであることに気がつかなかったのだ。
外国人に「鼻高くていいね」とか「顔が小さい」と相手を褒めたつもりが、相手にとっては侮辱にあたるのと似たようなものかもしれない。人種差別を知らないため、人種差別への意識が低かったのである。彼はあきれたように首を振っていた。
件の番組の趣旨としては、エディー・マーフィに扮して黒塗りの浜ちゃんだけが「なんで俺だけ」というような罰ゲーム的な立場にあるのが分かるので、エディー・マーフィをリスペクトしているようには見えないのだが、それでも決して悪意はなかったと思われる。
しかし、黒人本人が反応、批判しているように、「差別の意図はない」「悪意はない」では済まされないのも事実である。ブラックフェイスに対する黒人たちの反応はというと、差別だという人もいれば、気にしない人もいる。但し、気にしないという寛容な人でも、怒りを示すまではいかなくとも、少なくとも不快に感じたり、グレーゾーンという人が多いはずだ。
なぜなら黒人はその肌の色ゆえに人類史のほとんどを差別、迫害されてきたからである。ミンストレルショーの前例もある(1830年代にステレオ的で見くびったやり方で黒人を風刺したコメディショー)。肌の色がみな同じ日本人にはなかなか理解しがたいものがあるが、そういった歴史背景があることを忘れてはならない。彼らは肌の色で判断されることがないように、人種差別をなくすために、全身全霊を傾けてきたのだ。
「悪意はない」「差別の意図はないから差別ではない」「エディー・マーフィへのリスペクトだからこれは差別ではない」では、「愛があるイジリだから私のはセクハラではない」と同じことになってしまう。
去年、ダルビッシュ投手に対して目を吊り上げるポーズをしたアメリカ人選手が批判にさらされる事件があった。アメリカ人選手はもしかしたら「ダルビッシュの切れ長の目かっこいいな、俺もあんな切れ長な目になりてえ」という意図であのポーズをしたかもしれない。しかし、人種差別問題では本人の意図は問われない。肌の色や容姿を風刺すること自体が現代ではタブーになっているし、もともと肌の色や容姿をわざわざ風刺すること自体がスマートではない。
人種差別がほとんどない日本で、今回の件を差別意識が過剰だと思うのも私は理解できるのだが、差別への意識が高まると、そうそう笑えるものではなくなることは私が実証済みである。
反日の影?
最後に、この件で怒りをあらわにしたコラムニスト、ベイエ・マクニール氏を取材したハフィントンポストは、慰安婦問題をねつ造し、世界で日本人の評判を貶めた朝日新聞の合弁会社であり、記事は朝日新聞が担当している。
ベイエ・マクニールは、日本批判の多いジャパン・タイムズに毎月コラムを書いていて、事あるごとに日本をバッシングするニューヨーク・タイムズにも今回の件を投稿済みだ。ちなみにニューヨーク・タイムズの日本支社は、朝日新聞社内にある。
したがって、私たちは、これも反日活動に利用されているという一面を理解しなければならない。ただでさえ慰安婦問題、南京大虐殺、真珠湾攻撃で日本の評判が毀損されている時であるし、日本がいかに男尊女卑かを日本から海外に向けて発信し続ける輩もいるので、相手にバッシングのネタを提供しないためにも、人種や容姿をネタにするのは避けたほうが賢明だ。
騒ぎすぎ、敏感すぎ、過剰反応しすぎ、ポリコレうるさいという意見は理解できるのだが、人種問題は、本質的にセンシティブな問題であることを覚えておいてほしい。