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教師たちは、給食の強要は虐待であり拷問にもなり得ることを自覚せよ(有罪判決の例も)

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岐阜市で、給食を完食させようとして子どもに食事を強要した教師が厳重注意処分を受けた。

結論から言うと、給食の強要は虐待にあたるし、場合によっては拷問になり得る。なぜか?

「給食残さず食べなさい」…完食指導で児童5人嘔吐 50代教諭を厳重注意処分 岐阜市教委 - 産経WEST

 

食べる量には個人差がある 

子どもだろうが大人だろうが、食べる量には個人差がある。体の大きい子もいれば、小さい子もいる。胃が大きい子もいれば、小さい子もいる。その日、お腹がすごく空いている子もいれば、朝食を食べ過ぎてお腹があまり空いていない子もいる。たまたま体調が悪かったり、食欲がないときもある。体調が悪かったり、食欲がなかったりするのは、大人も同じだ。そんな時に無理やり食事をすべて食べろと言われたら、あなたはどう思うだろうか?

食事の適正量は1人1人違う。食べる量をみんな一緒にする必要など、どこにもない。各自が自分で考える適正量をコントロールして食べればいい。

 

完食など、それほど重要なことではない

学校で残さず食べる指導など必要ない。偏食をしつけるのは親の責任であって、教師の責任ではない。食育のため、というのであれば、他にいくらでも方法はある。給食を完食しろと言われる一方で、期限切れの食料廃棄問題や、テレビの大食い選手権や食べ物を粗末にする低俗番組が垂れ流されているなかで、子どもは何を思うだろうか?

そもそも好き嫌いがあって何が悪いのだろうか?大人でも好き嫌いはあるはずだ。「偏食は良くない」「好き嫌いは良くない」という言葉を耳にするが、それは自分の心に留めておけばよい。他人の好き嫌いを正す責任は、あなたにはないはずだ。

好き嫌いは加齢によって徐々に減っていく。子どもの頃は味覚も敏感なので、好き嫌いのスクリーンが大人より激しい。子どもの頃はあまり食べれなかったけど、大人になったら少し食べれるようになったという人の方が多いはずだ。

無理に食べるメリットなど、どこにもないのである。

日本には昔から「人に出された物は完食しないと失礼にあたる」という誤った考えが浸透している。訪問先でお茶菓子をすすめられたときや、飲み物をすすめられたとき、手をつけないと失礼にあたるというものだ。それがたまたま嫌いなお菓子だったり、喉も乾いてない時があなたにもあるのではないだろうか?「実は私これが苦手で。ごめんなさい、せっかく頂戴しましたのに」と一言添えればいいだけで、すすめた側もすすめられた側も、気を悪くすることはないのだ。

私も今は義母が作ってくれたスープなどでも、苦手なものは「好きじゃない」と言って食べずに断っている。最初は気が咎めたものだが、さすがにこちらに長くいると慣れるものだ。もちろん旦那が一日かけて作ったものでも「好きじゃない」と言って断る。

食事を完食するよりも大事なことはいくらでもある。「もうお腹がいっぱいなので食事を食べたくない」と先生に自己主張できるようにする訓練、自分の意思を示す訓練のほうが、この先、社会の荒波にもまれていく上でも、よっぽど大事である。

ときどき「給食の完食なんて、昔は当たり前だった」と反論する人もいるが、時代錯誤も甚だしい。昔は昔であって今ではない。時代が変われば社会通念も変わる。昔はテレビで女性の胸をモロだししていたが、今は禁止されているように、昔の規範や社会通念を押しつけるのはナンセンスだ。

 

食事の強要はデメリットが大きい

給食を完食するよう強要することにはデメリットしかない。たとえば、昼食時間や5時間目、あるいは掃除の時間にまで及んで完食を強要されると、クラスメートから白い目で見られる。机がずっとそこにあるので、掃除ができないと文句を言われる。一人が完食できなかったために昼休みはナシなどの罰を与えられ、クラスメートからいじめの対象になる。

あるいは、昼食を完食しないといけないという精神的なプレッシャーを感じ、学校に行きたくないと言いだしたり、登校拒否になるケースもある。精神的プレッシャーは、教師によるものだけではない。教師が日ごろクラス全体に完食を呼びかけていれば、クラスのお友達さえ精神的プレッシャーを与えてくる。いわゆる、相互監視の状態だ。

今回の事件のように、嘔吐までいくと、周りの子たちもショックを受けたはずだ。泣いたり、トラウマになったり、学校に行きたくなくなったり。楽しいはずの食事の時間が拷問と化す。食事ぐらい楽しく食わせろ。

 

食事の強要は拷問にもなり得る

食事を強要することを英語で force-feed(ing) という。過去にグアンタナモでハンガーストライキをする囚人に無理やり食事を食べさせようとしたことが問題になったことがあった。囚人の中には、ハンガーストライキをして死んでしまう人もいるので、 米軍をかんたんに非難できることでもない。命に関わると認められた時にのみは認められるなど諸説ある。

しかし、米国医師会と赤十字はこう述べている。

forcible feeding is never ethically acceptable

食事の強要は、倫理的に決して許されるものではない

また、 世界医師会は、「拷問および他の残虐で非人道的なまたは品位を傷つける取り扱いまたは刑罰に関する条約」のなかに、force-feeding(食事の強要)を明確に示している。 

ミリタリーと囚人の例は極端かもしれないが、人権という点からいえば、ミリタリーと囚人も、教諭と生徒も、立場は違えど1人の人間である。大人が大人に食事を強要していたら、立派な訴訟案件になる。集団で強要した場合は、その罪はもっと重い。よく考えてみてほしい。

完食しなければいけないと相手が負担に思うまで執拗なプレッシャーをかけるのも、精神的な虐待にあたる。昼休みや5時限目になっても、食べ終わるまでそのままだとか、廊下に机を出されて完食を強要されるだとか、なかには連帯責任を負わせて、1人が完食しなかったら全員昼休みはナシなどの罰を与える、あるいは全員完食したら褒美を与えるなどの賞罰に基づいた慣行である。

学校の子どもたちはハンストをしているわけでもなければ、食べなければ命の危険に関わる状況下にいるわけでもない。「本人の意思に反して」食事を強要することは、人権の侵害にあたることを教師も私たち大人も自覚する必要がある。

 

給食を強要して有罪になった最近の判例

2017年5月、ニュージーランドで59歳のプリスクールの教師が子どもに食事を強要した罪で有罪判決を受けている。容疑者の女教諭は、子どもの口にスプーンを運び、顎を押さえつけた。また、4歳の女児の嘔吐物を食べるように言った罪でも有罪となっている。

容疑者は食事を強制しただけではなく、他の暴行も働いているので、11件の容疑のうち10件で有罪となった。有罪となった罪のうち、3件は「食事の強要」である。

 

この事件が全国に知れ渡り、給食完食の強要というナンセンスな慣行がなくなることを切に願う。