私はゲイ・マフィアが嫌いです。
ゲイ・マフィアとは何ぞや?日本ではゲイ・ヤクザって言ってるそうな。
ここのところ、アメリカでも日本でも、ゲイ(ホモセクシュアル&レズビアン)やトランスジェンダーの一部の方による活動が活発化してますよね。
日本ではどうか分かりませんが、アメリカではこのLGBT団体が幅を利かせていて、ことあるごとに彼らの要求を押し付けます。この団体は、著名なゲイの人たちもメンバーになっていて、大きな影響力を行使するのですが、しばしばトゥーマッチな要求をしてきます。
要求が通らないと、「ゲイを差別する差別主義者だ!」と、「聖なる戦い」をメディアで宣言し、要求が通るまで、脅しにかかるわけです。まるで、オーガナイズド・クライム(犯罪組織)のように。そのため、アメリカではこういう一部の人たちをゲイ・マフィアと呼んでいます。
どんな要求をしているかというと・・・
アナ雪のエルサをレズビアンにすべき
きっかけは、アメリカのティーンエイジャーが twitter で、「アナと雪の女王のヒロイン『エルサ』がレズビアンだったら、どれだけ多くの人が勇気づけられるか!」とつぶやいたことでした。
その後、この twitter は拡散され、ゲイの人たちからアナ雪のエルサをレズにしよう運動が広まりました。
エルサのセクシュアリティが物語の趣旨ではないのに、レズビアンにしろとか、ストレートにしろとか、そういう要求自体がナンセンスです。
セクシュアリティは置いておいて、映画を楽しませてよ!
キャプテン・アメリカをホモにすべき
アメコミヒーローの代表格キャプテンアメリカをホモにすべきという要求も、しつこく続いてます。キャプテンアメリカがホモでもストレートでもどっちでもいいよ!
キャプテンアメリカの映画はもう何本も制作されてるし、今になってキャプテンアメリカはホモでした、ととってつけたように押し込むのも変じゃないですか?
エルサにしても、キャプテン・アメリカにしても、だったらゲイを主人公にした映画を最初から作ればいい。ゲイを主人公にしたヒーローはあまりないので、むしろ作るべき。
ディズニーランドのゲイナイト
アメリカで、「ディズニーランドにゲイナイトを作れ」という要求もありました。これは反対も多く却下されたようですが、ゲイナイトを作れという要求ができるなら、「ストレートナイトも作れ」っていう要求もできるはず。
でも「ストレートナイトを作れ」って誰かが言ったら、それは「ゲイを排斥している」「ゲイへの差別行為」と必ず言われる。
マイノリティへの配慮は必要だが、マイノリティだから特別扱いしろというのは傲慢だ。障害者でもなく健常者なのだから。
映画館でレディースナイトがあるならメンズナイトも作るべきであるように、ディズニーランドでゲイナイトを作るならストレートナイトも作るべき。しかしストレートナイトになれば、それは「ゲイを排斥している、差別だ」になるのは、おかしい。
たとえばアメリカで黄色人種はマイノリティだけど、ディズニーランドに「黄色人種ナイトを作れ」って要求して納得する人いる?
トランスジェンダーのケイトリン・ジェナーが最も影響力のある人物に
Keeping up with the Kardashians というお騒がせカーダシアン家の日常を追うリアリティ番組に出演していた金メダリスト、ケイトリン(旧ブルース)・ジェナーが最も影響力ある(most influential)人として賞を受賞したのは、ジョークかと思った。
「トランスジェンダーとしてカミングアウトした勇気を称えたい」というコメントが、芸能界からもわんさか聞こえてきたけれど、性的嗜好をカミングアウトすることより勇気を要することは数えきれないほどある。
何より、ケイトリン・ジェナーになる前のブルース・ジェナーは、2016年1月に交通事故を起こし、人を一人殺している。
赤信号の交差点に停車中の車にブルース・ジェナーが追突し、追突された車が交差点内に押し出され、横行中の車がその車に激突。子供を持つ母親ドライバーが死亡した。
ブルース・ジェナーはブレーキをまったく踏んでいなかった。
その数か月後、ブルース・ジェナーは、性転換し、ケイトリン・ジェナーとしてヴァニティ・フェアの表紙を飾ったり、メディアで持ち上げられ、もっとも影響力ある人の一人として賞を受賞し、さらには I am Cait (わたしはケイト)というリアリティ番組を開始、主演している。
事故とはいえ、人の命を殺めてしまった人に同年「最も影響力ある賞」を授与するのっておかしくない?
事故で亡くなった母親のご家族はどう思うだろうか?
海外ドラマに必ず一人はゲイを出演させろ
この10年弱で顕著になった、海外TVドラマのゲイ枠。日本人の人たちは気が付いているかどうか分からないけど、アメリカのドラマのレギュラー陣には必ずゲイ役が出ているのだが、その比率が不自然なほど多い。
ゲイやトランスジェンダーなどLGBTの人口は、だいたい4%(潜在を入れると8%くらい)と言われているのに、なぜ4%がこれだけエンタメ、ポップミュージック、メディアをコントロールしているのか。
海外ドラマ「ウォーキング・デッド」のシーズン4からは、レギュラー陣にゲイが次々と出てくる。
実はシーズン3までゲイキャラがいなかったため、LGBT団体が裏でかなり圧力をかけていた。そして初登場したのがレズビアンのタラだった。
人口の多くがゾンビになって生存者がほんの一握りとなった状態のドラマの中にゲイの人がいてもおかしくないけど、人数が圧倒的に多くて不自然すぎる。
タラ、タラのガールフレンド(刑務所襲撃で死亡)、デニース、アーロン、エリックときて、原作コミックを読んで好きな新キャラ「ジーザス」までもがゲイだと分かった時に「なんだよお前もかよ、ロバート・カークマン(原作者)いいかげんにしろよ!」と思った。と、同時にロバート・カークマンはゲイなのかとも思った。
さらに、このドラマで一番人気のレギュラー出演者「ダリル(ノーマン・リーダス)をゲイに」という噂がまことしやかに流れた。
原作者、ノーマン、脚本家の間で、ダリルをゲイにすることが検討されたのは事実。
ゲイの人が喜ぶ一方で、これはかなりのファンから反発があった。いろいろコメントを見て回ったけど、ファンの反発は「ダリルがゲイ」ということに対してではなく、ゾンビドラマのストーリーにわざわざダリルのセクシュアリティを取ってつけてくることへの反発がほとんどだった。
結局、原作者のロバート・カークマンが、ダリルはストレートだと断言して収束した。
こういう流れに、純粋にドラマを楽しみたい私はうんざりしてる。
ダリルがゲイだろうがストレートだろうがどうでもいい。
なんでダリルのセクシュアリティが争点にならなきゃいけないのか。
海外ドラマにゲイキャラが出るのは自然だけど、数少ないレギュラー陣の中に必ず一人はゲイがいたり、ゲイが何人も出てくるのは不自然。
レインボー・パレードやレインボー・フラッグ
ゲイの方々の存在を理解してもらったり、権利を主張するのは良いことだけど、レインボー・パレードやレインボー・フラッグってどうなの?
私はこれは逆効果だと思う。
まず、レインボー・パレードの特殊性。奇抜な恰好や、裸同然で公衆の道路を練り歩いたり、踊ったりして、路上でディープキス。こんなの、子供にも見せたくないし、自分だって見たくないよ。
男女が路上でディープキスしていたら、見るのイヤじゃないですか?
まして裸同然で抱き合ってるのなんて見たくないし、子供にも見せられない。
男男でも女女でも男女でも関係ない、公衆の場でディープキスしてたら誰だって不快なはず。
アメリカにはゲイを毛嫌いする人がいるのも確かだけど、殆どの人たちは「興味ない」というのが本音。
次に、レインボーを掲げることによって自分たちの特異性を逆にアピールすることになっていること。
ロスアンゼルスのビバリーヒルズ周辺を車で通りかかったとき、住宅街にある小さな公園らしきエリアにレインボーの旗があった。
「わたしたちはゲイ民族です、特殊なんです」って言ってるようにしか感じられない。あなたたちは選ばれた人たちなのか。
"It's just LOVE”って言われても、「おう、その通り。だから何だ?」としか思わない。
ゲイだからって特別視しないよ。
誤解のないように念を押しておくけれど、私はゲイの人たちにネガティブ感情など一切ない。ゲイの知人もいるし、ゲイの女性に口説かれたことはとても光栄に思った。
ゲイの人々へのヘイトスピーチやヘイトクライムは許しがたいし、同性愛者やLGBTに理解がない人たちに対しては本当に残念に思う。
でも、自分たちの性嗜好をこれでもかと押し付けてくるゲイ・マフィアは嫌い。