日本で生まれ育ち、和を大事にすることを自然に身に着けた私にとって、人との対立は苦手だ。ストレスも溜まる。そんなストレスが溜まるくらいなら、理不尽だと心に思っても、自分が少し我慢すれば収まるならそれでいい。そんな風に考えて育った。
人と対立することによって、自分もストレスを抱え、相手もストレスを抱え、不運にもたまたま隣に居合わせてしまった周囲の人にもストレスを与えてしまう。わざわざ自分から大きな波を引き起こす必要はないと言い聞かせてきた。
波風立ちまくっているアメリカ
ところがどうだろう。アメリカに来てみたら、あっちこっちで波が立ってるではないか。スーパー、ファーストフード、レストラン、デパート、DMV(運転免許取得や車両登録など一括して扱っているところ)、大学、遊園地、駐車場などなど…さらには電話越しやドライブ中にも。
これは私にとって一番大きなカルチャーショックの一つだった。
なんでアメリカ人はよく口論してるんだろう
なんでアメリカ人はそんなに喧嘩してるんだろうか
少しぐらい我慢できないのか
なんてことを勝手に思っていた。
ところが、6年住んでやっと気が付いてきたことは、アメリカではこんな私の考え方は完全な間違いであるということだ。私のこんな考えを、事なかれ主義という。波風を起こさない、起こそうとしない、起こすのが怖い。いずれも、事なかれ主義だ。アメリカでは弱腰と捉えらえ、まったく尊敬されわないどころか、弱いとみなされ、つけ込まれて、利用される。(←ここが大事)
「お人好しすぎる」と旦那に怒られるのは何故か?
私の旦那(ミスターG)は生まれも育ちもアメリカだが、成人してからは海外生活が長かったせいか他国の文化や慣習には理解がある方だ。それでも私の日本人らしい対応が癇に障る時がたまにあるらしく、たまに怒られる。
ミスターGとまだ遠距離恋愛中、休みを利用してアメリカに遊びに来たときのこと。ウォールマートという大型店に買い物に行った。クレジットカードで決済をした。クレカ決済のときはID(身分証明書う)の提示を求められる時がある。このときもIDの提示を求められた。ところが、遊びにきていただけなのでIDと呼べるものはパスポートぐらいしかない。(こちらではIDというとほぼ運転免許証を見せる。)
パスポートを出す人なんか殆どいないだろうし、それも日本のパスポートである。怪訝な表情を浮かべたレジの店員は、「ちょっと待っててください」と言うと、私のパスポートを持ってオフィスの方へ行ってしまった。オフィスマネージャーにでも確認しているようだった。
そこで機嫌が悪くなり始めたミスターG。彼が怒る意味が私にはまったく分からなかった。
少しして戻ってきた店員。(当たり前だが)問題はなく、パスポートを返してもらった。
購入したアイテムも少しだったので、1つのビニール袋に入れた。カートを押して外の元の場所に戻そうとしたところで、ミスターGに一喝された。
「いい加減にしろ。カートはそこに置いていけ。」
???ホワット?ホワイ?
私にはまったく訳が分からなかったが、彼の説明はこうだ。「IDがパスポートってだけであんな扱いを受けてるだけで怒るべきだし文句を言うべきなのに、なぜ何も文句を言わないのか?おまけにカートまで戻そうとするなんてどういう神経をしているのか。イヤな対応をされた上にご丁寧にカートまで戻すなんて、お人好しもいい加減にしろ。」
どっひゃー
私は何も悪いことはしていないのに怒られるなんて理不尽すぎる、と私も怒り、大喧嘩。
事なかれ主義が抜けない私
6年経過した今では、彼が正しかったとはっきり言える。そもそも、私のパスポートを持ってどこかに消える時点で私はクレームをつけなければいけなかったのだ。しかし、当時の私にはそこで「おかしい」と思える判断能力さえなかった。きっとミスターGは私をオオカミの群れに放り投げられた子羊のようだと思っただろう。
「お店の人がそう判断したんだから仕方ない」という感覚で何も疑わずにいたのは、事なかれ主義といってしまえばそれまでだが、店員の行動が自分にとって正しいことなのかどうか考えることを放棄していたともいえる。脳の怠惰である。
しかしミスターGを含め、アメリカ人はおかしいことがあればすぐに声を挙げておかしいと言う。理不尽なことがあればすぐに指摘をする。人と対立するにはかなりの気力を消耗するのに、アメリカ人は当然のようにやってのける。また、社会もそれを当然の権利として寛容している。
和より個人が尊重されるのだ。
どちらがいい悪いという問題ではない。それぞれ歴史も文化的背景も全く違うのだから違って当たり前だし、どちらも批判する気は毛頭ない。
しかし世界的にみても日本人の和を乱さない心は稀であり、世界の殆んどはアメリカ並みに和より個人を尊重する文化である。その中に日本人が放り込まれると、前述の私のように、オオカミの群れに放り込まれた羊のようになる可能性が高い。弱いとみなされ、つけこまれ、利用される。
「いい人」であることは必ずしも美徳にならないのだ。優しさにつけこむ人は、あなたが思っているより多い。徹底的に利用され、自分がバカをみる可能性の方が高い。
また、波風を立てるようなことを言うと「空気が読めない」と批判される可能性もある。和のため、協調性のため、人のために我慢するということは「優しさ」でもある。しかし、議論しなければいけない時に「いい人を演じたい」ために「空気を読んで」議論しないのは、単なる事なかれ主義である。
ミスターGには「アメリカ流すぎてイライラする!」などと思うところもたくさんあるが、波風を立てることを全く怖がらない姿勢は、尊敬すべきところであり、見習いたいところである。負けずにがんばろう。