ミセスGのブログ

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ベッキー騒動を「集団いじめ」と日本批判の酒井法子、塩村議員、宮本エリアナさんについて

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以前逮捕された酒井法子さんが、自身をベッキーと同列に語り、日本の社会風潮を批判した。

酒井さんは、「日本は女性に対して厳しい国」だと思っているようで「女性に対してというか、何か失敗した人をとことんジャッジする」「「あること、ないことまでほじくり返すというか、そういう風潮を感じることはある。一種の集団いじめのよう」と発言した。

芸能人という立場は、一般人とはかなり異なる。いわば公にさらされてナンボの商売だ。私生活を晒されることもある。芸能人はそれを覚悟の上でなっているのではないのか。もともと注目されたくない人は芸能人という道を選ばないはずだ。

芸能人は一般の人に顔が知られている分、影響力もある。一挙一動が注目されている。「うまくいっているときはスポットライトをあてろ、でも間違いや罪を犯した場合はバッシングするな」は都合が良すぎではないか?

芸能人が一番希望するCM出演は、会社の商品の顔となるわけで、莫大な契約金が発生する。契約には商品=自身のイメージダウンになるような言動は避けることが明示されているはずだ。莫大な契約金を受け取りながら、契約条項を無視して不倫や反社会的行動に走り、自身の過ちを「日本社会の社会風潮」「集団いじめ」にすり替えるのは論外だ。

自身の過ちを棚に上げて日本批判に走る姿勢はどう考えても筋違いだし、自身を少しでも正当化したいだけに過ぎない。

 

日本批判に走る日本人女性たち

塩村文夏議員

塩村文夏議員が野次を受け、外国特派員協会で記者会見をしたのはまだ記憶に新しい。塩村議員もそこで日本批判をしていた。「日本は男尊女卑がまだ根強く残る社会」であるとわざわざ世界に向けて発信したのだ。

塩村文夏議員

ミス・ユニーバスの日本代表となった宮本エリアナさんは、自身がハーフであることから日本でイジメを受け、「人種への偏見を日本と世界からなくしたい。革命を起こしたい。一晩で変えることはできないが、100~200年後には純日本人も減っていると思うので考え方を変えなければならない」と話す。

 

このお二方の言動には私は反対だ。

第一に世界に向けて「日本バッシング」を発信していること。日本人が日本人の評判を貶めるようなことをわざわざする必要がどこにあるのか。

塩村議員が受けた野次は許されるべきではない。しかし野次を飛ばした議員も公式に謝罪を済ませてり、社会的な評判の棄損という罰も受けた。セクハラは許されないという一般社会に向けてのPRにもなった。しかし外国特派員協会で記者会見をして世界に発信したのは大きな間違いだ。議員たるもの、日本の国益を最優先にすべきであり、彼女のこの行動は日本の国益を大きく損なうものでしかない。

宮本エリアナさんは美しい方だが、彼女も大きな勘違いをしている。虐められたことはとても気の毒に思うし、肌の色による虐めは許せない。しかしアメリカでも虐めはある。宮本さんの話を聞いていると、アメリカは多様な人種がいて肌の色で判断しないなど、「どこの国の話?」と首をかしげざるを得ない。

アメリカは確かに人種のるつぼだ。世界を見回すと、多人種国家でうまくいっている国のように見えるが、そう思う人は表面しか見えていないことに気が付くべきだ。

アメリカには深刻な人種問題が根付いている。人種が原因の暴力沙汰、事件は後を絶たない。アメリカに根付く人種偏見に比べれば、宮本さんが言う「日本の人種偏見」は子供だましに過ぎない。

日本が大好きな私は、自身の過ちを「日本批判」「日本バッシング」にすり替える酒井法子さんや、影響力がある立場でありながら物事の深層を知らずに日本批判を発信する日本人女性に対して「それどうなの。」と言いたくなってしまうのである。