ミセスGのブログ

海外ドラマ&映画の感想もガッツリ書いている、ホラーを愛する国際結婚&アメリカ在住女のブログです。

フィアー・ザ・ウォーキング・デッドがクソつまらない理由:ウォーキング・デッドと比較

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海外ドラマ「ウォーキング・デッド」はアメリカでも日本でも大人気のドラマだ。かくいう私もファンである。そのスピンオフが製作されるというニュースを聞いた時は、小躍りしたものだ。

そんな私の期待は、スピンオフ「フィアー・ザ・ウォーキング・デッド」が開始して間もなく、無残に打ち破れることとなった。フィアー・ザ・ウォーキング・デッドは、間違いなく、おもしろくない。シーズン3になっても、ちっともおもしろくない。私がまだ見続けている理由はただ単にゾンビが見たいだけである。

 

フィアー・ザ・ウォーキング・デッドがクソつまらない理由

なぜ「フィアー・ザ・ウォーキング・デッド」はクソつまらないのか。シーズン3もひどいありさまだ。もう我慢ならないので、その理由を分析する。

なお、本家ウォーキング・デッドと本作フィアー・ザ・ウォーキング・デッドの内容に軽く触れているので、未見の方は注意されたし。

 

「ウォーキング・デッド」の劣化版二番煎じと化した「フィアー・ザ・ウォーキング・デッド」

フィアー・ザ・ウォーキング・デッドは、完全にウォーキング・デッドの劣化版二番煎じと化した。それなりに見られたのはシーズン1の一部のシーンだけ。ほかはウォーキング・デッドとまったく同じ趣旨になっている。

そこにはオリジナリティもなければ、真新しさもなく、ウォーキング・デッドの劣化品があるだけだ。ウォーキング・デッドが成功しているだけに、同じ内容、同じ趣旨の劣化品フィアー・ザ・ウォーキング・デッドを見ても、そこには感動はない。わざわざウォーキング・デッドより面白くないスピンオフを見て「人間はウォーカーより怖いわね」と再認識させられる必要性はないのである。

二番煎じの何が悪いかを説明するには、ゾンビもので良いものを作るためには差別化が重要であることと、差別化が難しいという一面を理解する必要がある。ゾンビものは基本的にはモンスター対人間という単純な構造をしている。ぶっちゃけて言えば、13日の金曜日のジェイソンと大して変わらない。

実はゾンビと戦いながら逃げるサバイバルドラマはどの作品も大まかなストーリーは大差がない。私のようにゾンビを愛する奇特な人間でない限り、視聴者は飽きてしまったり、どこかで見たようなデジャヴを覚えたり、あの映画のパクリかという印象を受けてしまうのだ。

したがって、ゾンビものでいい作品を作りたいのであれば、何よりも差別化が必要なのである。先日他界したゾンビの巨匠ジョージ・A・ロメロのゾンビ3部作がそれぞれ何十年も経っていまだに愛されており、ゾンビ映画の金字塔とされているのは、3作とも確固としたアイデンティティが映画に与えられているからである。

だからこそウォーキング・デッドのスピンオフには、本家とは違うアイデンティティを植え付けることが必須だった。患者ゼロを描いて、ウイルスがゆっくりと確実に広まって行く恐怖やパニックする人間心理にフォーカスすべきだった。

ウォーキング・デッドの前日譚であるならば、リックが昏睡中の出来事や、リックがのちに向かったアトランタの市街戦、あるいはローリとシェーンを描いた1シリーズものでも良かっただろう。

フィアーというタイトルに騙された感さえある。現に私はこのスピンオフはウォーキング・デッドの前日譚を描くものだと予想していた。おそらく多くのファンがそう思ったに違いない。ところが、実際のコンテンツは、「フィアー・ザ・ウォーキング・デッド」というタイトルとまったく合致していなかった。フィアー(怖れよ)という言葉が示すコンテンツはシーズン1の一部にしか描写されず、ファンは大きな肩透かしを食らった。

シーズン1の緊迫感のあるシーンをもっと丁寧に掘り下げていたら、良いものが創れたかもしれない。ニックが教会でウォーカーと初遭遇するシーンや、軍隊による交通規制でマディソンとトラビスが車から乗り出すシーン、警察と衝突して暴動が起きるシーンあたりである。

患者ゼロに人間性を与えていても面白かったかもしれない。突然、自分に見覚えのないキズがあり、どんどん化膿していく・・・ただしウォーキング・デッドでは、最初の感染源も明らかにされていないので、患者ゼロに触れるということは治療薬についても無視できなくなるので、原作者がそこには触れたくなかったのかもしれない。

差別化をいっさい放棄した怠惰なフィアー・ ザ・ウォーキング・デッドは、ストーリーも迷走しながら、ウォーキング・デッドの劣化版として存在し、それこそ生きる屍と化している。

 

ストーリーが行き当たりばったり

本家ウォーキング・デッドはコミックが原作なので、ストーリーはある程度しっかりしている。シーズン1の市街戦、キャンプ場、対老人ホームギャング、CDCと場所を転々としてもまったく気にならないし、セイフ・ヘイブンを求めて一生懸命もがく姿に共感を抱いた。シーズン2では全編農場が舞台で、やっと落ち着けるかと思ったけどゾンビ大群の襲撃で逃げざるを得ず、シーズン3で刑務所を見つけ、自分たちで刑務所を住処として作り上げた。

一方フィアーでは、自分たちでなんとかしようという気もなく、金持ちのストランドの言うがままに豪華船に乗り込んだはいいが、その後はストランドの恋人アビゲイルの家においとまし、挙句に家主も同然の人を殺して家に火をつけるという訳の分からない展開に。

その後ホテルを住処にしようと初めて自発的に取り組むが、トラビスが過失致死を犯してしまって逃げると、今度は軍服を着たトラビスたちを殺そうとした男たちについて行ってランチに居住という、これまた訳の分からない展開。

どうせこのランチだってそのうち潰して去ることが予想される。

今思うと、フィアー・ザ・ウォーキング・デッドとは、マディソンたちを怖がれということなんだろうと思う。つまりマディソンたちこそがウォーキング・デッドであって、会う人みんなを不幸にしていく。そういうことであれば、タイトルは間違っていない。

 

ウォーカーが軽視されている

フィアー・ザ・ウォーキング・デッドがつまらない理由の2つめは、ウォーカーが活かされていない点だ。シーズン3までみても、ウォーカーたちとまともに戦ったシーンがろくに記憶に残っていない。

まず舞台をカリフォルニアにしたのは間違いだ。何故かというと、カリフォルニアは乾燥していて雨があまり降らないので、木が少ない。ヨセミテやセコイアなど、カリフォルニアの一部にもまたがる広大な国立公園に行けば、森林豊かであるが、ロスアンゼルス~サンディエゴ間は、ドラマで見れるように砂漠地帯が多く、木が少ない。

木が少ないということは、向こうから来るウォーカーも見えるし、ウォーカーの大群も丸見えということになる。ゾンビの醍醐味というのは、(走るゾンビを除外すると)のそ~っと木のむこうから突然現れたり、気がついたらゾンビが大勢迫ってきていたり、囲まれたりという恐怖感であって、見通しのいい砂漠やビーチでは、ゾンビの魅力が半減してしまう。

ロスアンゼルスが舞台なら、市街地でのサバイバルでもよかった。本家ウォーキング・デッドのシーズン1のアトランタ市街地でのサバイバルは、誰もが楽しんだはずだ。ロスアンゼルスであっても、死角の多いビルや建物が舞台であれば、おもしろいものは撮れるはずだ。

フィアー・ザ・ウォーキング・デッドで、登場人物たちがまともにウォーカーの群れと戦ったシーンを思い出してほしい。すぐに思いだせた人は少ないのではないだろうか?シーズン2のビーチでアリシアとニックたちが戦ったシーン、教会、ホテルのバー、ホテルの桟橋に呼び出す(けど戦っていない)、シーズン3の第1話の軍基地襲撃あたりだろうか。しかし、私にはどのシーンもまったく印象に残っていない。ストーリーを順を追っていかない限り、ゾンビとの戦いのシーンにたどり着けないのである。あ、そういえばシーズン2の終わりの方のメキシカンギャングとゾンビ大群の話もありましたね、というぐあいに。

一方、本家ウォーキング・デッドを思いだしてみよう。シーズン1では、アトランタ市街に馬に乗って行ったリックが角を曲がるとそこにはウォーカーの大群がいて武器も手放したまま戦車に逃げ込んだシーン、グレンの協力で逃げ出したシーン、リックがグレンとともにウォーカーの内臓を塗りたくってデパートから脱出しようとする計画、キャンプ場で群れが襲ってきたシーン、CDC(疾病センター)周囲など、わずか6話にもかかわらず、印象に残るサバイバルシーンが思いだせるはずだ。

次に、ウォーカー(ゾンビ)の個性のなさだ。ゾンビが主役のドラマだというのに、これまでに個性を与えられたゾンビはゼロ。覚えているゾンビが一体でもいるだろうか?

本家ウォーキング・デッドでは、フジツボゾンビ、井戸ゾンビ、土からこんにちはゾンビ、砂山からこんにちはゾンビ、半身ゾンビ、スパイクゾンビ、少女ゾンビ、ネパームゾンビ、ヘルメットゾンビなど、ゾンビにきちんと個性が与えられている。

ゾンビを軽視するコンテンツに未来はない。

 

登場人物のアイコン武器がゼロ

フィアー・ザ・ウォーキング・デッドの登場人物は、命を左右するはずの武器の存在に全く無頓着だ。。ウォーキング・デッドではどうだろうか、見てみることにしよう。

リック=コルトパイソン

まずはリックのコルトパイソン。シーズン1からずっとこれ。シーズン7では、RISE UPというタイトルとともに、ダリルがリックのコルトパイソンを取り戻して渡すシーンが泣かせるほど印象的だった。ダリルもリックも、コルトパイソンがリックの魂であることを理解している。ダリルがリックにコルトパイソンを渡すことによって、リックは自分自身を取り戻し、奮い立つ決心がついた名シーンだ。また、シーズン7を見た人なら理解できるだろうが、リックがいつも腰にさしているハチェット(小型の斧)も、今はリックの第二のアイコン武器と言えるだろう。

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リックとコルトパイソン Photo courtesy: The Walking Dead/AMC

 

ダリル=クロスボウ

ダリルといえばクロスボウ。もちろんシーズン1からの愛用品で、逆にクロスボウといえばダリルくらいアイコン的な存在になっている。武器ではないが、ダリルはバイクともセットになっている。ドワイトにクロスボウ、バイク、レザーベストも奪われたダリルは、魂を奪われたも同然であった。

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ダリルとクロスボウ Photo courtesy: The Walking Dead/AMC

 

ミショーン=カタナ

ミショーンはカタナと一心同体である。

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ミショーンとカタナ Photo courtesy: The Walking Dead/AMC

ほかにも、モーガンは六尺棒、ニーガンはルシール(バーブワイヤーを巻いた野球バット)、タイリースはハンマーなど、それぞれ主要キャラにアイコン的な武器が与えられている。

ウォーキング・デッドの登場人物にとっては、これらは単なる武器ではなく、アポカリプスでサバイバルをしている上で自分自身のアイデンティティともいえるものだ。その武器を奪われることは、自分自身の魂を奪われることに他ならない。ウォーキング・デッドには、武器が武器だけに留まらない描写がたくさんある。

フィアー・ザ・ウォーキング・デッドには、こうした武器の描写も一切ないどころか、サバイバルだというのに武器を確保しようという動きさえ見られない。  

 

登場人物に共感できない

フィアー・ザ・ウォーキング・デッドがクソつまらない原因の最たるものは、登場人物に共感できないことであろう。今まで見てきたようなディテールのヘボさなので、登場人物に共感できないのも当たり前かもしれない。それでも、1人くらいは共感が湧くよキャラがいてもいいようなものだが、このドラマには誰もいない。

登場人物の誰一人として魅力的なキャラがいない。主人公マディソンは圧倒的な役不足。マディソンを演じるキム・ディケンスは好きな俳優なので残念だ。トラビスを演じるクリフ・カーティスも好きなのに、トラビスのキャラにまったく愛着が湧かない。ニック、アリシア、ダニエル、オフェリア、ストランドのレギュラー陣の誰にも共感できない。

実は本家ウォーキング・デッドのほうも、初期に比べると、愛着の湧くキャラが生まれなくなっているという悪い兆候がある。しかしリック、ダリル、ミショーン、マギーなど初期の頃からのレギュラーが強烈な個性とカリスマを持っているので、ファン離れが起きていない。

フィアーは最初から現在までどのキャラにも魅力がないのだが、それにはいくつかの理由がある。

まずは人物設定がブレブレなこと。ウォーキング・デッドのリックはもともと警官という背景も手伝って、瞬時に何をすべきかを判断して行動することができるとともに強いリーダーシップで仲間を導いてきた。でも、その過程で多くの苦悩を強いられたことを私たちは知っている。そして、私たちは、そんな人間らしいリックに共感を覚えた。

一方、フィアーの主役であるマディソンは、今でこそリーダーシップを発揮してきたものの、後先考えずに突如何かをやらかす不安定さを抱えていて、とてもリーダーとして認められるようなキャラではない。カタリーナ島で子どもを誘拐して助けようとしたと思ったら、何もしていないのに避難先のリーダー的存在の人物を閉じ込めてゾンビに食わせたりする。「あなたが必要なの」と言った相手を、その舌の根も乾かぬうちに放り出したりする。そこには苦悩など感じられないどころか、行き当たりばったりの事大主義という人物像という印象しか受けない。

ダリルと比較されていたニックについては、ダリルと比較なんて図々しいにも程がある。ダリルは不幸な生い立ちのレッドネックで、ナイフみたいに尖っては触るもの皆傷つけていたようなローンウルフだった。そんなダリルが仲間とサバイバルを続けるうちに、メンタルも成長していき、今はリックや仲間たちが絶大の信頼を寄せる男になった。ダリルのキャラは原作には存在していないにもかかわらず、ファンの一番のお気に入りとなったのは、ノーマンリーダスのルックスや演技に加え、ダリルのキャラ設定がしっかりしたものだったからに他ならない。

一方、フィアーのニックはもともとジャンキーである。ジャンキーのニックが、問題を乗り越えて精神的にも強くなっていくかもしれない、ジャンキーだったニックは、ストランドが見抜いたように実はかなりサバイバルのポテンシャルを持っているのかもしれないというファンの期待は裏切られ、ニックは精神面でもフラフラし続け、シーズン3にいたっては何をしているのかまったく分からないキャラとなっている。

その他のキャラたちも同様にみんなブレブレ。アリシアはホテルのゲストをウォーカーと一緒に閉じ込めちゃうようなマネージャーと手を組む。ダニエルは心身ともに強いかと思いきゃ今になって幻覚見始めて過去の罪にとらわれて精神をきたす。オフェリアは何も言わずに勝手に一人でどこか行く。ニックも一人でどこか行く。もう何なの?としか言いようがない。こんなキャラ達にどうやって共感を抱けというのだろうか。

フィアーのキャラは、全員が全員とも好き勝手をやっていて自分の思惑で動いているので、そこには連帯感も仲間という意識も信頼感も生まれないのである。フィアーにはレギュラーや準キャラが食われるシーンがまるでない。仲間が食われそうになる危機的シーンがないので、助け合うこともないから、仲間の間に信頼が生まれない。ウォーカーとも人間ともインタラクションがない。

それどころか、動機が不明なまま姿をくらましておいて、あとあと敵対するグループとして戻ってきたりする。また、フィアーでは、魅力ある新しいキャラも出てこなければ、新しく参入した比較的重要なキャラもすべて消えていくので、登場人物はあいかわらず魅力なし、共感なし、親しみなしのナイナイづくしのドラマとなっている。

以上、長くなったが、フィアー・ザ・ウォーキング・デッドがクソつまらない理由を説明してみた。皆さんはどう思われただろうか。