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ミセスGのブログ

海外ドラマ&映画の感想もガッツリ書いている国際結婚&アメリカ在住女のブログです。

社会のレールから早々に外れた私が翻訳者になるまで

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もともと外国の映画や音楽が好きで、憧れもあって、英語を習い始めた私。

翻訳者になろうと決めたのは、大学の頃だろうか。

皆が嫌いな英作文や、論文を書くのが割と好きだった。

現地の留学カウンセラーとのカウンセリングで、「将来は何をしたい?」と聞かれ、とっさに「翻訳者になりたい」と答えたのを今でもはっきり覚えている。

それまで翻訳者になりたいとはっきりと思ったことはなく、英語を使う仕事につけたら、ぐらいに思ってた。

実際に口に出すという行為は、なんとも影響力があるものだ。社会人になる頃には、自然に翻訳の仕事を探していた。

早々にレールから外れる

若くして体を痛めてしまった私。

新卒で就職して安定した社会人生活を送る、という社会のレールから早々に脱線した。

同級生が就職してOJTやらなにやら忙しくしている時、私は痛みと格闘し、検査のための長期入院、手術、リハビリに半年以上も費やし、病院のベッドの上で半ば絶望していた。

手術は無事終了。リハビリを経て、塾講師のバイトを週に数回し始めた。その数カ月後、まだ22歳と若いこともあって、英語力が生かせる仕事に正社員として就くことができた。

ところが時を同じくして応募した全額奨学金(返済不要)による市の交換留学制度に受かった。正社員の仕事は、半年で辞職。今度はアメリカに1年向かうことになった。

日本に帰ってくる頃には、自分は翻訳で食っていくという決意があったので、翻訳に絞って仕事を探した。

派遣で翻訳の経験を積む

とにかく翻訳の仕事に特化したいという思いがあり、電話応対やら事務やら秘書業務などに煩わされないように派遣で仕事を見つけることにした。

ふつうなら正社員を探そうとするだろう。しかし、私はいずれフリーで独り立ちしたかった。会社が潰れても困らない実力を身に着けるという最終目的があった。なので、雇用形態にはこだわっていなかった。

すぐに仕事は見つかった。最初に翻訳業務をやらせて頂いた建設会社では、社会人として最低限の電話応対や書類業務も少しあった。が、それ以降はほぼ翻訳一本。煩わされることなく業務に集中できた。

そして今はどこに行っても評価して頂けるくらいスキルが身に着いた。職探しにはあまり不安を感じていない。会社で雇ってもらえないなら、フリーで働くだけのことだ。

先日応募した会社では、いくつか仕事を納入したところ、

「他にも5~6人候補者がいて、同じように仕事を依頼したんですが、Gさんが群を抜いて素晴らしかったので、是非お願いしたい」

という大変嬉しい評価を頂いた。

もともと親もサラリーマンではなく、小さいながらも会社を経営していたこともあって、サラリーマンに対する拘りは少なかったのかもしれない。

あの時、私より先に社会人に出発していった同級生は激務で退職したり、結婚退職したり、離婚したり様々だ。

私は早々にレールから外れてしまったわけだが、結果的にそれがスキルを身に着けることにつながった。

氷河期真っ只中の就職ということもあって、何かしらのスキルを身につけねばという意識が常にあったことも幸いしたのかもしれない。

予想どおり、何かスキルがないと職にありつけない時代になった、いやスキルがあっても食っていくのが大変な時代になったので、レールから逸脱しても、スキルの追及に舵をとった私の決断は間違っていなかったのかもしれない。